太田述正コラム#2270(2007.12.31)
<ブット暗殺(その4)>
<鎌倉人>
 Mawdoudi(マウドゥーディー)については、大阪外語大の山根先生が詳しいらしいです。
 先生は、ウルドゥー語の専門家でパキスタンに詳しく、論文も書かれています。
 マウドゥーディーについてネットで調べると、1940年代から活躍したイスラムの思想家で、著作が140冊もあり、パキスタンへ留学した学生が、マウドゥーディーの著書を買って母国へ帰るらしいです。
 パキスタンの生みの親のような存在らしいです。
 (パキスタンが生んだ思想家ではなく、パキスタンを生んだ思想家)
 西側で知られていないのは、パキスタンの独立に際しては政治的には表舞台に立たなかったからではないでしょうか?
 思想的にはイスラム原理主義を貫いているようで、その思想がパキスタンをインドと分離する背景にあるようです。
<遠江人>
 Mawdoudiが何語かは分かりませんが、英語では”Maududi”ですね。
Abul Ala Maududi – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Sayyid_Abul_Ala_Maududi
 Maududiについては、太田述正コラム#389(2004.6.23)で既に触れられていますね。
 「 イ Jamaat-e-Islami の創設者であるパキスタンのマウドゥディ(Sayyid Abul A’la Maududi。1903~1979年。http://www.jamaat.org/overview/founder.html(6月23日アクセス))も、同世代人であるエジプトのアルバンナ(コラム#387)と同趣旨の主張を行ったが、彼もアルカーイダやアフガニスタンにおけるタリバンの形成に大きな影響を与えている。」
<太田>
 どうもありがとうございます。
 そんな名前の人物を以前紹介したことがあると自分のコラムに検索をかけて「発見」できなかったのに、「発見」していただいてありがとうございました。
 また、グーグルでMawdoudiで検索をかけた時、フランス語サイトばかりが出てきたのを見て、ひょっとして名前の綴り方が2種類あるのではないかと疑問を持ちつつ、その疑問にこの掲示板で言及するのを忘れていました。
 それにしてもkoyukiさん、「イスラム世界の三大思想家の一人」には興味があります。少なくとも後の二人を教えていただけませんか。
<koyuki>
 あとの二人はエジプトのSayyid Qotb、イランのKhomeiniだとジルは、Jihadの中で言っています。
あなたは子供のときにカイロにいらしたそうですが、そのときに Freres musulmans(日本語でなんと訳しているのか知りません。「ムスリムの兄弟たち」という意味です)の噂なりともお聞きになったことはないのですか。とても不思議です。
 Mawdoudiは西側で知られていますよ。マイケル・ジャクソンほどじゃありませんけどね。太田さんが正しく翻訳しなかったのに、その翻訳を鵜呑みにするのはお止めなさい。太田さん、だから翻訳というのは怖いんですよ。
<太田>
>あなたは子供のときにカイロにいらしたそうですが、そのときに Freres musulmans(日本語でなんと訳しているのか知りません。「ムスリムの兄弟たち」という意味です)の噂なりともお聞きになったことはないのですか。とても不思議です。
 聞いたどころではありません。
 いずれにせよ、ここにも、英語・フランス語表記の問題と日本語表記の問題があります。
 英語表記でMuslim Brotherhood・・フランス語表記では Freres musulmansなのでしょうね。ただし、Freresにaccentをつけなければならないところ、日本語や英語環境ではつけられないのはお気の毒です・・を私は、イスラム同朋会(コラム#1087)、モスレム同朋会(コラム#1406、1411)、ムスリム同胞団(コラム#97、387、388)と三通りに日本語表記してしまっています。
 ついでに申し上げると、Sayyid Qotbは、英語表記でもフランス語表記でも、一番よく用いられている表記はSayyid Qutbではありませんか。私は、サイード・クトゥブと日本語表記しています(コラム#387、388、389)。
>Mawdoudiは西側で知られていますよ。
 MawdoudiとMaududiが同一人物だと気付かなかったことは失礼しましたが、いずれにせよ、グーグルで、Mawdoudi(フランス語表記)の検索結果は約 1,260 件しかなく、他方、Mawdudi(英語表記1)の検索結果が約 55,700 件、Maududi(英語表記2)の検索結果 約 111,000 件あります。
 かく申す私太田述正でさえ、太田述正(日本語表記)の検索結果が約58.800件、Nobumasa Ohta(アルファベット表記)の検索結果が約 2,160 件も本日現在あるのですから、Mawdoudiなんて全く知られていないと言って良いでしょうし、Mawdudi、MaududiにMawdoudiを加えたって私の日本語表記の検索結果の3倍にも達しないのだから、日本の人口の7~8倍、英語圏やフランス語圏等を含めれば10数倍にもなろうかという「西側」世界では吹けば飛ぶような存在でしょう。(もちろんスペイン語、ドイツ語、イタリア語等の表記もあるのかもしれませんがね・・。)
 
><awdoudiの>後の二人はエジプトのSayyid Qotb、イランのKhomeini
 いやーうっかりしていました。
 あなたはMawdoudiは「イスラミスム三大思想家の一人」とおっしゃっていたのですよね。
 これを私が「イスラム世界の三大思想家の一人」と言い換えたのは不適切でした。
 こういう所を突かなきゃkoyukiさんらしくないなあ。
 MawdoudiならぬMaududiがIslamism(イスラミズム)を代表する人物であると言われたら頷かざるをえません。
 もっとも、イスラミズムを代表する人物としては、あなたが列挙した三人のほかにアフガーニ(Jamal al-Din al-Afghani)を加えるのが通例(
http://en.wikipedia.org/wiki/Islamism
)のようですが・・。
>太田さんが正しく翻訳しなかった
 私は、
Pourtant, des les annees 30, un theoricien apparaet dans l’Inde alors britannique. Il s’appelle Mawdoudi, ecrit en ourdou ou en anglais et est peu connu en Occident, mais son influence sera considerable sur les musulmans du sous-continent indien (n’oublions pas que l’Inde est, a partir du 16e siecle, le pays musulman le plus peuple du monde !).
http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p20010920/dossier/a48856-les_khmers_rouges_de_l%E2%80%99islam.html
(accentは省略した。)
のMawdoudi’est peu connu en Occident’のくだりを、Mawdoudiが「西側世界では知られていない」と受け止めたのですが、間違っていますかねえ。
 全く使っていないので私のフランス語がさびついている可能性はありますが・・。
(続く)
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<新規名誉有料読者>
 お返事(コラム#2267)ありがとうございます。つたないですが、あと少し。
>市場経済を否定するバクーニン流アナキズムでは、社会構成員の勤労意欲を維
>持することが困難です。
 これはある程度はその通りだと思います。しかし、これもユートピア思想以外の何物でもないのでしょうが、そもそも、社会構成員の旺盛な勤労意欲というのは本当に必要なのだろうか?と私は考えています。
 ただし、バクーニンのいわゆる集産主義はほとんど疑いなくそこにヒエラルキー、ひいては権力が生まれてしまうはずだ、という理由から私もあまり賛成しません。
 あまり深いところまで理解できているわけではないのですが、経済的な方針という意味では、プルードンのほうが理解できます。さらにいえば、私が今一番共感しているのは、シルビオ ゲゼルの「自然的経済秩序」です。
http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo-jp.html
 最近ぼちぼち聞かれるようになってきた地域通貨というのは、シルビオ ゲゼルの論を下敷きにしているようです。
>将来世界政府ができれば、国際的社会秩序を維持する必要はなくなるものの、
>国内的社会秩序を維持する必要は残るので、将来ともプルードン流アナキズムの
>実現可能性はないでしょう。
 確かに国際的社会秩序を考慮する必要がなくなるのはこのときまでないのかもしれません。国内的社会秩序にとってやっかいなのは、いわゆるテロのようなものの実行力が、残酷なまでに大きくなってしまったことでしょうか。江戸時代とは違い、例えばオウムはその気になればもっとずっと大勢の人間の命を奪ってしまうこともできたでしょう。私はそれ以外であれば社会に内包できると感じています。笠井潔は「国家民営化論」にて、警察を全廃すべきであると論じています。
 これがこのまま答えだとは私も思わないのですが、無権力(/無国家)は無秩序である、というのはちょっと理解できません。
 (笠井潔はタイトル通り、国防も国家がやらなくていいといっていますが、これはいくら何でも危ういという気がします。その理由は相手が大きすぎる、という一点のみです)
> 私は、「近代」という言葉を産業「革命」以後の社会という程度の意味で使っ
>ていますが、近代の枠をとっぱらって考えてみると、縄文時代、平安時代、昭和
>時代と並んで江戸時代は私の言う縄文モードの時代であり、これらはすべてあな
>たのおっしゃるような意味でアナーキーな時代だったのではないでしょうか。
> (日本型政治経済体制は、産業革命後の社会を江戸時代を念頭に置いて再編成
>したもの、という捉え方もできると思います。)
> これらの時代を貫くキーワードは、「平和と小さな権力」であると私は思って
>いるのですがいかがでしょうか。
> (それ以外の時代は、弥生モードの時代であり、これらの時代を貫くキーワー
>ドは、「戦乱と大きな権力」であると私は思っているわけです。)
 こんな視点を持ったことは一度もありませんでした。昭和時代に関していうと、正直違和感がありますが、私が昭和時代に対して持っているイメージは、たかだか数十年前だから江戸時代よりは現在に近いだろう、という感じです。
 (一定方向に連続している、という観点では進歩史観に近い見方ですが。。)
 昭和がどのような時代だったのか、もう少し勉強したいと思います。
<太田>
>社会構成員の旺盛な勤労意欲というのは本当に必要なのだろうか?
 ロボットが発達してあらゆる「勤労」を人間に代わってやってくれるような時代が来れば、社会の構成員の大部分に関しては必要なくなるでしょうが、そのような時代が来たとすると、依然として「旺盛な勤労意欲」を持ち続ける一部の人達が残りの大部分の人達を支配する社会に堕してしまう懼れがありますし、さりとて「社会の構成員すべてが「旺盛な勤労意欲」をなくしてしまったらその社会は滅びてしまうと思いますよ。
>私が今一番共感しているのは、シルビオ ゲゼルの「自然的経済秩序」です。
 時間ができた時に、じっくり読ませてもらいます。
>私が昭和時代に対して持っているイメージは、たかだか数十年前だから江戸時代よりは現在に近いだろう、という感じです。
 昭和時代と言っても、私は最初の20年ではなく、戦後の44年を念頭に置いています。念のため。
 江戸時代は、ある種超モダンな時代だと思いますよ。
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太田述正コラム#2271(2007.12.31)
<映画二本:ベオウルフとリンカーン(その2)>
→非公開