太田述正コラム#2334(2008.1.31)
<皆さんとディスカッション(続x53)>
<Yoshu>
>>一応、役所の人から他方の国籍を離脱するように努力せよ、とは説明されますが、何か証明を出す必要はありません(バグってハニーさん・コラム#2330)
>お恥ずかしい話で、全く知りませんでした。てっきり日本国籍を選択したらもう一方の国籍は自動的に破棄されるか(よく考えたらこれはあり得ませんね)、 一方の国籍を捨てた証明をしなければ日本国籍を選択できないのだと思っていました。確かに「日本の国籍法は、・・・自己の志望によらず外国国籍を取得した 日本人が自動的に日本国籍を失っては困るので、日本国籍留保・選択が認められ、重国籍の解消は本人の自由意志に任されています」(
http://www.gcnet.at/citizenship/dual-citizenship.htm
)とあります。本人の意志によらない重国籍の運用がこうであるなら、なおさらいわゆる本人の意志による日本国籍取得(!=選択。いわゆる帰化)時の重国籍も認められるべきだろうという気がします。
 ペルーの元大統領、アルベルト・フジモリも、生まれた時に両親が、リマの日本大使館に日本国籍留保の意志を表した為に日本国籍 保持者で、そして、ペルー国籍も持つ二重国籍です。だからこそ、2000年11月日本に亡命(?)しましたが、日本政府は彼が日本国籍保持者であるため、 日本滞在には何の問題もないとしました。それに、去年の参議院選挙に国民新党から比例区代表で立候補したぐらいでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%A2%E3%83%AA
こんなこともあるのですね。
<rotbelle>
 シリーズ「世界帝国とその寛容性・包摂性」(コラム#2317、2321、2324。未公開)を踏まえると、(例に挙がっているのが全て独立国であることから、)日本の「移民拒否感情は独立国でなくなったことから起きている」と推定され、「『国際上相応の責任』は、まず独立国にならないと負うことが事実上不可能なのではないか」(コラム#2330)と考えた次第です。
 それで少し移民受入反対論を装って書かせていただけば、このシリーズに例示された国のうち、(このシリーズを典拠として、)少なくともペルシャ、モンゴル、それにアレクサンダーの例は「支配下においてから」の登用の例、ローマの例では<ロムルスは>~はアレクサンダーと一緒、トラヤヌスとセプティミウス・セヴェルスは、どちらも属州の出身でローマ帝国から見て自国人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD
(ここの帝国最大版図を参考)であり、「外国人」の例はムガール帝国ですが、これは「妻」に限定されています。
 これに対して日本の移民受け入れで<太田さんが>言われているのは、「かって支配下にあったが今は間接的制御下にすらない」(英連邦のような組織があるわけでもない)地域の人員の受け入れです。
 そのためこのシリーズを読んでから、「属国状態であるうちは移民反対」の意見に傾いた次第です。
<太田>
 現在日本は米国の属国ではあるけれど、それは世界史上、初めて自らの自由意思で他国の属国になったという珍しいケースだと私は申し上げてきています。
 従って、これまでの属国一般のケースとは同一には論じられません。
 私は、移民受入拒否も戦後日本が自由意思で選んだと考えているのです。
 また、上記シリーズに登場するオランダと英国と米国は、(英国におけるスコットランド人を除き、)外国人の移民を受け入れたケースであることをお忘れなく。
<桜の花>
 どこにでも「権利」を主張する事が欠陥社会を作り出しています。
 在日の方で税金を払っている人も多いでしょうけど、払っていない人も多い現状では、<在日朝鮮人に地方参政権を与えることには、>現在の日本人にとってはデメリットを考える人の方が多いのではないでしょうか。
 <払っていない人が多いことを推認させる資料を掲げておきます。>
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j1031-00001.htm
大阪市生野区の外国人生活保護受給者数、受給世帯数、「韓国、朝鮮」籍者を世帯主とする生活保護受給世帯数(出所「人権と生活」No.22)
           外国人    「韓国、朝鮮」籍
       受給者数 受給世帯数  受給世帯数
2000年  1331  930    846
2001年  1420 1022    993
2002年  1640 1175   1076
2003年  1878 1344   1294
2004年  2095 1502   1449
2005年  2202 1574   1536
<ueyama>
  –コラム#2330の日本人の移民拒否感情について–
(典拠なしで申し訳ないです)
>>日本では、戦災、敗戦、累次の大地震等の大災害時において、こそ泥こそあっても、掠奪・強姦なんてほとんど起こった試しがないのではないですか。
>いや、関東大震災の時だって掠奪・強姦の話はほとんど伝わっていないのでは?
 この点は太田さんのおっしゃるとおりだと思います。失礼いたしました。
 太田さんに習って私の論点も(太田さんの論点に対比する形で)整理しておきますと、
 一、敗戦を境に日本は移民許容社会から移民拒否社会へと180度変わった。
 二、上記は敗戦により日本が移民を受け入れられるような先進国ではなくなったこと、また、敗戦により戦闘要員としての外国人も必要がなくなったことによるもので、日本社会の縄文モード化とは直接の関係はない
 三、関東大震災の際の朝鮮人虐殺も縄文モード化とは直接の関係はなく、当時の一般人(これは(実際にはすでに縄文・弥生の血が相当混じっていますが)縄文人の末裔といってもかまわない)の現実の朝鮮人観によるものである
 また、自他共に認める先進国として復興した現在も移民拒否感情が存在するのは、
 1、先進国として復興した後も、先進国は移民を受け入れるべきだ、という言説が有識者からも政治家からもあまり聞かれなかった
 2、最近ようやく聞かれるようになってきたが、すでに(インターネット等により)特定永住者問題、また、外国人犯罪に関するデータや、それに批判的な言説を簡単に一般人が手に入れることができるようになっており、これが(誤解も含み)センセーショナルであるがゆえにネックになっている
 3、1の理由は「日本人だけで充分だった」からでしょうし、2で最近聞かれるようになった理由は「日本人だけでは充分でなくなった・なくなりそう」だから
という感じです。ですので、まずはその誤解を解くことや、太田さんのおっしゃるように、それが日本の義務であるとともに国益にもかなうことなのだ、という言説を広めることが重要ではないかと考えています。
 軍事問題に関してはコラム#2330の一、二ともに全くもって同意しています。また、「関東大震災時における・・朝鮮人虐殺は・・大衆の深層心理の病理的な噴出であったのに対し、ご指摘の甘粕事件や亀戸事件は、弥生人の末裔たる支配層の深層心理の露呈であった、ととらえることも可能・・つまり後者につい ては・・ロシアに由来するアナキズムやマルクス・レーニン主義に対する安全保障上の警戒心が病理的な形をとって噴出した」(同コラム)こちらについてもそ の通りではないかと思います。後者の動機が当時の現実のアナキストや社会主義者に対するものだったのと同様に、やはり、前者の動機も当時の現実の朝鮮人に 対するものであった、と考える方が(縄文人の渡来人に対するルサンチマンと考えるよりは)自然だという気がするのです。
<太田>
 1の「政治家からもあまり聞かれなかった」理由、2の「インターネット等に」において「センセーショナル」な議論が行われている理由、はなんだ、と私は問いかけているのです。
 3ですが、最初から十分でなかったことはもはや明かではないでしょうか。
 外交・安全保障に関係する仕事、国家の存立に関わる仕事をほとんど全面的に宗主国米国に「外注」していたから一見日本人だけで十分なように錯覚していただけです。
 その結果が日本の文科系を中心とする学問の深刻な停滞であり、ジャーナリズムの堕落であり、政官業の退廃・腐敗です。
 そして今や、医者・看護士・介護士・保育士・お手伝いさん、ブルーカラー労働者、農業従事者等々ありとあらゆる職種において、日本は深刻な人材不足に直面しているのです。
<Yoshu>
 「NLPで役人を辞めた私」シリーズ(逐次公開中)を読んでいて、今、NHKスペシャルでやってる日米関係のシリーズでの話を思い出しました。1月27日放送の深まる日米同盟の回でしたが、アメリカ側は、日本側が自分たちで重要課題を決定出来ずに、アメリカ側の顔色を伺うことしかしないと、憤慨していると言っていることです。このNLPでの日本側の態度も、自分達では積極的に打開策を考えてないから、アメリカ側が憤慨しているのですね。
<太田>
 NLP問題を通じて見えてくるのは、外交・安全保障を自らの意思で外注しながら、これを請け負った米国の邪魔ばかりしているのが日本国民であり日本政府だということです。
 敗戦時、負けっぷりのよさで世界をうならせた日本がここまで堕落してしまったということです。
 だから私は外注を取り消せ、自立せよ、と主張しているのです。
<ちんみ>
 
   –閑古休題–
 「国の起源」で、こんな話があります。(バックミンスターフラー)
昔、羊飼いの一族が羊を放牧していると、
馬に乗って棍棒を持った男が現れた。男は言った。
「ここは俺の土地だ、それにこの土地は危ないんだぞ」
次の朝、羊が何頭もいなくなっていた。再び男が現れ、
「だからこの土地は危ないといっただろう。
どうだ、俺が守ってやろうか」
羊飼いの一族の長は、しかたなく男と契約をむすび、
この土地で放牧をすることを認めてもらい、
羊を守ってもらうかわりに、
一年に羊を10頭を男に差し出すことにした。
しばらく何事も無く過ぎたが、
ある日別の男が馬に乗って棍棒を持って現れ、
「この土地はほんとうは俺の土地だ」と主張し始めた。
こうして、土地の所有を巡る果てしない争いが始まった。
 ↑今世界を動かしているのは、馬に乗って棍棒を持った男たちの末裔であり、その末裔たちの後釜争いを 羊飼いたちにはわからないように、時代の経過ととも にいかにも尤もらしく(羊飼いたちのために~との名目で)ルールをつくり行っているのが、現在の線引きされた国々であり、盲従しているのが(自ら進んで隷属するように仕向けられて)我々民である・・ようにもみえますが、如何なものでしょうかね。
 30年近く前の話ですが、私の友人である警察官が、ど田舎の駐在所(~所長!ですネ)に一家で転勤したとき、周囲の(と云っても数十キロ範囲)の農家の おっさんたちが日本酒などを持って新任祝にこの駐在所に集い、暫し、飲めや~うたえや♪の大騒ぎ…で、酔っているにも拘らずこのおっさん連中は車で帰ると 言い出し、友人は慌てて止めたのですが、「なに~堅いこと言うなよ~大丈夫だ~♪」と、志村ケンみないなこと言って帰途に着いた・・とのこと。 ぼやくこ としきり。
 歓迎してくれてありがたい?のでしょうが、ルールなどなかった世界に勝手にルールをつくり出し、それを履行させよう~なんぞとの不遜な輩が、後からしゃしゃりでてきた“国”とやらではないでしょうかね。
 金や株式ほか博打まで相場は、胴元が儲けることと、文字通り「相場が決まってます」。
 食料・水・エネルギーなどの生殺与奪権は支配者側にありますね(F1ばかり。在来品種絶滅が加速を増している)。
 日本も、政官業の鉄のトライアングルと称されているシステムの下で利権を守り抜くことのみに必死になる結果が、この国の姿。 で、スタグフレーションですか・・。
<太田>
 よく分かんないのですが、お気持ちは私と同じ、と受け止めさせていただきました。
<ueyama>
>一応、役所の人から他方の国籍を離脱するように努力せよ、とは説明されますが、何か証明を出す必要はありません(バグってハニーさん・コラム#2330)
 は、お恥ずかしい話で、全く知りませんでした。てっきり日本国籍を選択したらもう一方の国籍は自動的に破棄されるか(よく考えたらこれはあり得ませんね)、 一方の国籍を捨てた証明をしなければ日本国籍を選択できないのだと思っていました。確かに「日本の国籍法は、・・・自己の志望によらず外国国籍を取得した 日本人が自動的に日本国籍を失っては困るので、日本国籍留保・選択が認められ、重国籍の解消は本人の自由意志に任されています」(
http://www.gcnet.at/citizenship/dual-citizenship.htm
)とあります。本人の意志によらない重国籍の運用がこうであるなら、なおさらいわゆる本人の意志による日本国籍取得(!=選択。いわゆる帰化)時の重国籍も認められるべきだろうという気がします。
 前後しますが、
>日本には実質的に移民が存在していない。だから、外国籍の外国人の参政権を議論することには意味がない(バグってハニーさん・コラム#2330)
 入国時に移民として入ってくる外国人は、遠江人さんが記載されたとおり、実質存在していないといってもいいのですが、実際問題として定住している外国人は 特別永住者である(日本国籍を失った)在日韓国・朝鮮人だけではなく、永住者349,804、定住者265,639、日本人の配偶者等259,656人 (2006年末現在。
http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan53-2.pdf
)がおり、特別永住者に対する対応だけでは、当然特別永住者に対する解決にしかならないわけで、やはり、(移民容認・不容認に関わらず)特別永住者以上に 存在する定住外国人の参政権に関しては、重国籍を認め、日本国籍取得をもっと容易にする、というような直接参政権を与えるものではないものも含め、議論する必要があるのではないでしょうか。
 私は徴兵制というのは、「歴史的な意義」でも純粋な「軍事的・技術的」な意味でもなく、(文脈は違いますが)太田さんの言うような「米国のために血を流 せるのか、それとも日本のためになら血を流せるか」(コラム#2316)という宣言であり、換言すれば、その国家のために命を捨てる覚悟がある、という意 思表示(多くの国では自由意志ではなく強制ですが)ではないかと思います。そしてその意思表示を行っているからこそ、その国の指針に関わる権利を持つの だ、という理屈です。であれば、「日本が韓国や旧西ドイツのような分断国家になるか、戦前みたく大陸侵略でもしないかぎり、徴兵制を議論することに意味は ない」(バグってハニーさん・コラム#2330)とはいえないし、「日本が旧日本帝国領域内の住民以外の移民を受け入れる段階になる以前に、徴兵制の(憲 法上の)復活を図るべきである」(太田さん・コラム#2332)というのに私は首肯することができます。
 ところで上記の理屈によると、いっそのこと徴兵・徴用制に同意したものに参政権を与える(日本在住であれば国籍は問わない。日本国籍のものも同様)としたらいかがかと思います。そうすれば、参政権も、さらに言えば民主主義もいらない、と考えているような人間が、その権利を行使しない、という消極的なもの ではなく、明確に参政権を捨てることも可能になります。(どうしてもある程度の、普通に考えれば相当の差別が予想されるので、差別に負けて徴兵制を受け入 れる、という自由は残しておいてほしいですけど(逆(離脱)はたぶん原則不可でしょう))
 (米国のSelective Service Systemとの違いは、義務ではなく、参政権と完全にリンクする、ということです)
 あまりに非現実的なので半分冗談です。
<太田>
 議論を通じて皆さんの認識が相当深まってきたと思うので、そろそろアングロサクソンにおける徴兵制の意味についてお話してもよかろう、という気になりました。
 皆さん、さぞ頭の中が混乱されることでしょうが、口幅ったいけれど、太田コラムの読者の方々は、私と共に、戦後日本の知の地平線を超える旅をしているのであって、その旅は平坦な道ではない、ということでお許しを願います。
 最近、キング牧師が1965年1月にジョンソン大統領と交わした電話会談の中身が公開されたのですが、ジョンソンが次のように発言しています。
 「われわれは米国に生まれた全ての人が、一定の年齢に達したら投票する権利を持つという立場をとっています。戦う権利を持っているのと同様にね。だからわれわれは、投票権を黒人であれメキシコ人であれ、誰に対しても付与すべきだと思うのです。」
 これは、黒人が憲法上持っている投票権を現実に行使できるようにするための投票権法(Voting Rights Act)にジョンソンが署名する7ヶ月前の会談なのですが、ここで注目して欲しいのは、ジョンソンが、米国民が「戦う権利」を持っていることを(投票権を持っていること以上に)当然視していることです。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/01/27/weekinreview/27tapes.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(1月30日アクセス)による。)
 私が何を言いたいかというと、米国では、憲法上の徴兵制度とは、米国民一人一人が武器をとって敵と戦う権利を持っていることの延長線上の制度であり、徴兵義務というよりは徴兵に応じる権利に近い存在ではないのか、ということです。
 (厳密に言うと、一人一人の戦う権利の集合体である民兵と、国が設置する軍隊とはアングロサクソンの頭の中では明確に区別されているのですが、ここでは立ち入りません。)
 アングロサクソンでは戦争が生業であると申し上げてきたことの一つの表れが、ジョンソンの発言である、と私は受け止めた次第です。
 徴兵は義務であるというイメージでわれわれは議論してきたわけですが、アングロサクソンには、理解不能な議論をしているのかもしれない、という自覚を持った方がいいのではないでしょうか。
<FUKO>
 太田氏は移民により日本社会に「多様性」が得られ、リーダーたる人物を産み出す事が出来る。とおっしゃりますが、「多様性」を得るための手段は移民の他には考えられないという事ですか?
 例えば留学生交換を活性化させるといった方法では代替不可能でしょうか。
<太田>
 留学生を増やすためには、本国に帰っても日本と関わりのある仕事に就きたい、日本で仕事に就きたい、日本に永住したい、日本の国籍をとりたいという人も増やさないとダメです。
 そのためにも、日本が移民を受け入れた形の多様性ある社会になる必要があるのです。
<FUKO>
 コラム#2172を読むに、どうやら太田氏と私(たち?)の隣国韓国の認識にかなりの差があるようです。
<太田>
 もともと韓国の反日感情なんて表層的なものに過ぎなかったというのが私の考えですが、最近では日韓両国民の意識が一層接近してきていることをご認識下さい。
 日本のつい最近までの韓流ブームなど問題にならないほどの、現在の韓国の日本ブーム(
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200801/200801100013.html  
。1月10日アクセス)をご覧じよ。
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太田述正コラム#2335(2008.1.31)
<新裁判雑記(続)>
→非公開