太田述正コラム#13432(2023.4.19)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その39)>(2023.7.15公開)

 「・・・大政翼賛会の発足に先立つ1940年8月28日、首相官邸で新体制運動の第一回準備会が開催された。
 議題は、新体制の中核となる国民指導組織の構想であった。
 白羽の矢が立ったのが、三上卓。
 全国の青年団体束ねる皇道翼賛青年連盟<(注123)>が結成され、三上は委員長に就任した。・・・

 (注123)昭和15年8月16日結成。
委員長    三上 卓
常任委員   穂積五一(至軒寮)
       雨谷菊夫(大日本青年党)
       片岡 駿(まことむすび社)
委  員   穂積七郎(至軒寮)
       長谷川 峻(東方会)
       川崎堅雄(日本建設協会)
       荒川甚吉(東亜経綸同志会)
       西郷隆秀(純正日本主義青年協議会)
       平井羊三(国民運動研究会)
       羽生三七(同 右)
       西本 喬(日本革新青年隊)
       山崎末男(東亜建設国民連盟)
       丹羽五郎(九日会)
その他加盟者 菅波三郎・大岸頼好・溝口勇夫・堅山利忠・竹村茂昭・小野卓爾・有馬康之・仁尾勝夫・浜勇治。
https://tsubouchitakahiko.com/?p=1335

⇒結成趣意書(上掲)を見ても、中身が何もありません!
 もっとも、それ以前の話であって、三上が金づるを持っていないことが判明し、こんな団体に入っていても旨味がないということになったのではないでしょうか。(太田)

 だが三上委員長は多団体の委員らと「思想的感情的対立」を起こして、わずか1ヵ月ほどで連盟は分裂。
 活動は大幅に減退した。
 民間右派団体を束ねるのは並大抵ではなく、三上の精神主義的な理想は頓挫する。・・・
 1942年2月に公布された戦時刑事特別法(戦刑法)<(注124)>・・・の改正過程は、強権化した東条英機政権への反発者を炙り出すものとなった。・・・

 (注124)「<その>刑事裁判の迅速化に関する条項・・・は弁護人選任権の制限、機密保持を名目とした書類の閲覧・謄写の制限、警察官と検事の聴取書に対する一般的証拠能力の付与(有罪立証証拠能力に関する制限の大幅緩和)、本法律に指定された罪に関しては三審制を適用せずに二審制を適用すること、有罪判決理由及び上告手続の簡素化など、被疑者・被告人を速やかに起訴・処罰することを意図しており・・・戦後日本の刑事訴訟法において刑事訴訟判決における有罪理由の簡易な記述や検察官面前調書の特信性は戦時刑事特別法に由来するとされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E5%88%91%E4%BA%8B%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B3%95

 三上ら維新勢力は軍部との対立を深める<が、>・・・このとき政権批判の急先鋒は、東条首相をこきおろす「戦時宰相論」を『朝日新聞』に寄稿した(即日発禁)中野正剛であった。
 中野は密かに、天野辰夫(神兵隊事件首謀者)と結んで宇垣一成(元陸相・元外相)擁立工作を進めていた。
 片岡駿<(注125)>(勤皇まことむすび=五・一五事件元受刑者の本間憲一郎らを中心に1939年結成)の協力によって、東条に予備役へ編入された石原莞爾(陸軍予備役中将)とも密かに連絡した。」(234~235)

 (注125)1904~[1982]年。「岡山県津山市に生れる。大正15年秋上京、黒龍会に入る。<満洲に渡ったあと帰朝し「大日本生産党」や「勤皇まことむすび」に参画。> 昭和八年の神兵隊事件を起こした一員でもあった。昭和16年8月、平沼国務相狙撃事件に連座、中村武彦らと共に検挙さる。昭和18年、東條内閣の弾圧を受けて入獄。」
https://blog.goo.ne.jp/daiguusourin/e/32553464620e7407502659c5e747f1d9
https://ishintokoua.com/?m=202001 (<>内)
https://josaiya.hatenablog.com/entry/2020/08/01/191359 ([]内)
 「片岡駿先生は、「自民党幕府」(『新勢力』昭和51年1月号、『史料・日本再建法案大綱 第三巻収録)と題して、次のように書かれていた。・・・
 日本に於て維新とは、現実に政権を私して国体を危くする亡国的勢力を打倒して、天皇大権の下に国政を一新することである。現実不断に天皇(天皇制)と国体を危ふくせしめつつあるポツダム体制と占領憲法の温存を図り、それを基盤とする権力の頂点に立つものが自民党政府である限り、維新陣営が打倒の目標とすべき現代幕府勢力が、そこに在ることは明々白々である。討幕の無い維新は戯論に過ぎぬ。若しこの眼前の幕府を討つことを図らずして、徒らに維新を叫ぶ者があれば、国民を愚弄し自己を冒瀆するものと云はねばならぬ〉」
https://tsubouchitakahiko.com/?p=4686

⇒「注125」を踏まえれば、戦後日本にも右翼はいたということになりそうですが、戦前の右翼が現実の昭和天皇について勘違いしていただけでなく、戦後の右翼もその勘違いを引きずったままであったことが、ついに右翼の絶滅をもたらしてしまった、と、言えそうですね。(太田)

(続く)