太田述正コラム#2845(2008.10.12)
<皆さんとディスカッション(続x273)>
<AH>
 コラム#2833において”「ゲーム感覚」で太田コラムに接する人が少なくない”とありました。
 驚きました。わたくしは、「生きる」という問題について太田コラムほど、真剣で卓越した考えに触れられる場は、きわめて稀少と思っています。
<太田>
 お褒めいただいて大変恐縮です。
 しかし、私が真剣というか真面目すぎるためなのでしょうか、何の因果か知りませんが、私と袖すりあう関係を持った人は、(前から感じていたことですが、)その人の最も醜悪な部分が露呈したり、(ごく最近気付いたことですが、)その人が精神を病んでいる虞があることが浮き彫りになったりする場合がしばしば生じています。
 そのとばっちりを受けて、私自身が犠牲を払うことになることがあるのはかまわないとして、私と袖すりあう関係を持った多くの人々を不幸に陥れているのではないか、と時々思い悩むことがあります。
 しかしこれからは、下掲の「ろくでなし」さんの示唆もふまえ、私はこれらの人々に自分自身の真の姿と向き合うまたとないチャンスを与えているのだ、と自分に言い聞かせようと思っている次第です。
<ろくでなし>
1.バグってハニーさんについて
 戦後の日本では戦争の分析というと、経済面とかパワーバランスとかリスクとか利害関係とか、それこそ表面上の、素人でも思いつく程度の分析しかなされていないように思います。だから、あの戦争は軍部が暴走して勝てる見込みもない無謀な戦争を(一方的に)アメリカに挑んだのだと単純明快な形でしか理解されておらず、アメリカが愚かで無責任で狂っていたという指摘などはされることなく、ほとんど本質の見えないありきたりな分析しかなされていないのだと思います。
 太田さんのコラムは、そんな誰でも考え付くことや誰でも知っている分析ではなく、様々な典拠を用いた上で(少なくとも日本では)他に類を見ない本質をえぐる分析をしているからこそ他にはない価値があるのだと思います。
 読者のみなさんの多くも、右も左もありきたりの分析ばかりでうんざりしているところに、太田さんの本質をえぐる独自の分析を目の当たりにして、そこに得がたい価値を見出しているのではないでしょうか。
 2007年1月中のコラム内におけるバグってハニーさんの発言(特にコラム#1633)を読んでみました。
 率直に言って、それまで太田コラムで語られてきた太田さんの「分析」はほとんど無視して、経済的に考えてとかパワーバランスでとかこういうリスクがあるからとかこういう利害関係があったからとか、「こうだからこうなるはずだ」という「ありきたりな計算」でもって一つ一つの命題を簡単に済ませることに、特に疑いも責任も感じていないように見受けられます。考えてみれば以前から、学術的な命題以外は、一事が万事こんな調子だったように思います。
 太田さんとバグってハニーさんで意見の相違があること自体は何の問題もありません。しかし、太田コラムの主な主張にはほとんど価値を見出さず、かといって本質的に反論するでもなく太田さんからの突っ込みも「無視」する(たぶん「太田さんに何を言っても聞かないから」と自分に言い聞かせて)となれば、バグってハニーさんがなぜ太田コラムの読者を続けているのか、という根本的な疑問に行き着いてしまいます。
 太田コラムは日本の変革を目指す手段としてのコラムであることは、読者であれば、みなさんご存知のことと思います。そのこともあって、太田さんはもちろんのこと、掲示板に書き込む人の多くも、程度の大小はあっても自分という枠を超えた何かのために真剣勝負で書いているという側面があると思います。バグってハニーさんにそのようなものは正直感じられません。「軽い」という印象のみです。様々な命題に自分の考えを適用している「だけ」なのではないかと。仮に、バグってハニーさんもそういうものを背負っているとしたら、それは何なのか。アメリカ?…いや、やはりそもそも「無い」でしょう。(ちなみに、自民党支持者とか反日とか、これは太田コラムを読んでいれば、今の自衛隊をほぼ無批判に肯定することだったり日本の自立を望んでいないことだったりを言っているのだと、ちょっと考えれば分かりそうなものです。精神疾患というのもコラム#2808(非公開)を読んでいれば忖度できそうなものです。なんで字面通りにしか受け取れないのか、そっちのほうが不思議なくらいです。これはつまり、太田コラムをろくに読んでいない(実際に読んでいたとしても自分の興味の埒外のことはまるで頭に入っていない)ことの証左でしょう。)
2.「ある種」の精神疾患
 時に現実社会でもネットでも見受けられる「ある種」の精神疾患にかかっている人々がいます。それらの人々の特徴である、どんな批判や忠告にも不感症の如く平然として余裕を持って受け答えをする様は、一見、超然として自信にあふれており、ある種の超越者の如きです。(世界に対しては興味を持ち知識もあったりしますが、それはあくまで個人的な知的好奇心としての興味であって、ホンネでは世界を諦観の境地の如く見下していて、世界のことを真剣に考えてはいません。)
 しかしこれはあくまでコインの裏返しなのです。どんなことを言われても平気なわけではありません。それこそ不自然なまでに超然としていられるのは、あくまで「特定」のことに触れられない限りにおいてのみなのです。これらの人々が持っている、(無意識の領域で全力で守っているところの)心の奥にある「歪み」の領域に抵触したとたん、それまでの不感症ともいえる理路整然とした態度は一変し、理論もへったくれもなく異常なまでの怒りが吹き出します。
 これはつまり、何を言われても超然としていられるのは、「歪み」さえ守ることができれば他はどうでもいい、ということの裏返しであり、極端な怒りは、「俺は他のことは何でも許しているのに、なのに何で俺の大事な部分に踏み込むんだ!」という無意識の思考に由来する怒りなのです。つまり、どちらも異常なことであり、コインの表裏なのです。
 これらの人々は大なり小なり過大な自信(本来の健全な自信ではない)を抱いていますが、ここに更に常識が無い(もしくは性格が悪い)となると最悪です。2ちゃんねるに書き込むが如く、見知らぬ人の掲示板やブログにも平気で無礼で尊大で常識の無い書き込みをします。虚構の自信に裏打ちされる無意識の思考により、この程度は自分には許されるのだとでも思っているのでしょう。それがいかに非常識なことなのか、少しでも健全な思考があれば分かるはずなのです。
 恐らくこれらの人々が健全な状態に回復するには、自分に向き合うしかないと思います。彼らにとって特別な領域に踏み込まれることは苦痛を伴うことですが、自分自身の問題に気づくきっかけになる可能性もあります。自分で自分の「異常」に気づき自分で変わる決意をしない限り、これらの人々が変わることは難しいと思います。
3 蛇足
 ところで、バグってハニーさんについて一つの仮説があります。
 それは、バグってハニーさんは最初から結論ありき、ではないかというものです。ようは盲目的(偏向した?)な米国に対する愛情がまずあって、それ以外のことはすべてどうでもいいことである、と。
 もし仮にそうだとしたら、父親が米国人で母親が日本人であり政治信条は親米・ネオコンでクリスチャンでもある(コラム#1573より)というところに、その源泉があるのかもしれません。
 ついでに言ってしまいますが、コラム#2833の太田さんの独白に対して、掲示板等での「インターネットはそういうものだ」という「誰でも考え付く」「常識的な」助言が多いのもちょっと残念です。そういうことじゃあないんですよね。仏教の教えに基づいて意見していた人もいますが、その人も含めて、いかに「馬謖」が多いかと思ってしまいます。知識を得ることは簡単ですが、それをいかに「正しい形」で使えるかは、本当に簡単なことではないですね。
<太田>
 これを読んだ読者の中には、これは太田の自作自演だと疑う人がいるかもしれませんね。
 断じて違います。
 かつて「ディスカッション」に登場したこともある一読者が、私にメールをくださったものを、ハンドルネーム(ご本人が命名されました)を変えて転載したものです。
 ただし、ご本人が公開を希望されなかった「蛇足」の部分も使わせていただいたことをお断りしておきます。
 その部分も含めて、私が全責任を負うことは言うまでもありません。(この後に続くやりとりの部分も同様です。)
 「ろくでなし」さん、すばらしい分析をありがとうございました。
 
 それにしても、コラム#2835での私のバグってハニーさん批判は、彼の最も痛いところを突いたのだな、と改めて感じています。
<ろくでなし>
 太田さんの言についてですが、そのとおりだと思います。
 バグってハニーさんの「痛いところ」は何なのか。それが分かれば、バグってハニーさんが自分を克服することの突破口になるのかもしれませんが、恐らく私達が「他人」である限り、それは不可能なのかもしれません。バグってハニーさんにそれを自覚させる手段が考える限り存在しないからです。
<MS>
 –一次会企画変更–
 オフ会参加予定の皆様、コラム#2843で太田さんがくださった提案を元に、一次会の企画を考えなおしました。
 変更になったのは2の箇所です。新しい企画ではここで、2名の参加者の方に、過去の特定の太田コラムに係るご感想、ご意見、ご質問などを中心に議論を展開していただき(時間は問いません)、それを踏まえて全員で議論するという形をとりたいと思います。
 議論の火付け役を希望される方は、議論の題材にあげたい太田コラムナンバー(複数でもかまいません)をお知らせください。私のほうにお知らせいただいたコラムナンバーは、その他の参加者の方にも告知します。また、必要であればコラム本文を参加人数分の資料にして当日お持ちすることも可能かと思います。
 その他、ご意見ご要望もお待ちしております。よろしくお願いいたします。
—プログラム(案 Ver. 2 )—
1. 13:00 – 14:00
 太田述正氏の講演(発表30分、質疑応答30分)
 題目:「私の二冊の本の出版秘話」
 (10分休憩)
2. 14:10 – 15:10
 過去の特定のコラム(2タイトルほど)に関して、全員で議論する。ただし、議論の火付け役を参加者(2名ほど)にお願いしたい。(各30分×2)
(10分休憩)
3. 15:20 – 16:50
 フリーの議論
4. 16:50 – 17:00
 片付け
<michisuzu>
≫なぜ、科学分野のノーベル賞で、韓国は日本に「13-0」の大敗を喫しているのだろうか≪(コラム#2843。朝鮮日報)
 韓国と比べるのはほとんど意味がないかと?
 (韓国人が選ばれないのはオリジナリティーが育たない風土にあるのでしょうね。)
 それよりも日本人がアメリカ人の10分の1であるということを調べてみました。
 結果、日本人最初のノーベル賞受賞者が実は北里氏であった可能性が分かりました。
 黄色人種であったことで別の人になったのではないかというのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8C%E6%9F%B4%E4%B8%89%E9%83%8E
 個人的に考えると日本人の受賞者は今の3倍は可能であったと思います。
<太田>
 大きな問題提起ですね。
 理系の研究者の読者のどなたか、コラムを書いていただけないかなあ。
<天気輪>
 昨日のエントリ(コラム#2844(未公開))ですが最高に面白い。
 米国の根本の指摘は的確だと感じました。
 米国はこれからチャイナで同じ過ちを繰り返しそうな気がします。
 日本にとって、ここまで外国に国防・外交を預けた状態でチャイナ(華夷秩序文明圏)と対峙するのは史上空前のことです。
 驚くべき、そして恐怖すべき時代に生きている、そう思います。
<太田>
 有料読者以外の方々のために、言及されたコラムの冒頭部分を掲げておきましょう。
(引用始め)
 米国は、もともとアングロサクソン文明に欧州文明が混淆したキメラ的文明の国であり、選民意識及びそれと裏腹の関係にある有色人種等への差別意識を抱き、むき出しの軍事力の行使とカネの追求を是とするけれど自国以外のことには極めて疎いという偏向のある、できそこないの(bastard)アングロサクソンであるわけですが、その米国がとりわけ逸脱行動に走ったのが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のいわゆる戦間期です。
 すなわち、米国は、当時既に世界一の経済大国となっていたところ、「同じ」アングロサクソンである英国(直接的にはカナダ)やアングロサクソン文明と世界で最も親和的であるところの日本文明の日本とを敵視し、大英帝国と日本帝国の瓦解を目論む一方で、本来アングロサクソン文明の仇敵たる欧州文明由来の民主主義独裁の極限形態である共産主義のソ連、ファシズムのナチスドイツに対しては宥和政策をとり、かつ自らの失政から世界大恐慌を引き起こすことによって、共産主義による長期間の、かつファシズムによる短期間の大虐殺と第二次世界大戦の惨禍という人類史上最大の悲劇の原因をつくったのです。
(引用終わり)
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太田述正コラム#2846(2008.10.12)
<ソ連における米国棄民(その2)>
→非公開