太田述正コラム#13936(2023.12.28)
<映画評論106:決算!忠臣蔵>(2024.3.24公開。文中の「問いかけ」は期限切れ。)

1 始めに

 「「忠臣蔵」を題材に、限られた予算の中で仇討を果たそうとする赤穂浪士たちの苦労を描いた時代劇コメディ。堤真一と岡村隆史がダブル主演し、監督・脚本を「殿、利息でござる!」の中村義洋が務めた。・・・清廉潔白な赤穂藩主・浅野内匠頭は、かねて賄賂まみれだった吉良上野介に江戸城内で斬りかかり、即日切腹を言い渡される。突如として藩主を亡くした赤穂藩士たちは路頭に迷うこととなり、筆頭家老の大石内蔵助は勘定方の矢頭長助の力を借りて財源の確保などに努めるが、そうした努力や幕府への働きかけも虚しく、お家再興の夢は絶たれてしまう。それでも一向に討ち入る様子のない内蔵助だったが、江戸の庶民たちは吉良への仇討を熱望。しかし討ち入りするにも予算が必要で、その上限の都合上、討ち入りのチャンスは1回きり。予算内で仇討を成功させるべく奮闘する浪士たちだったが……。・・・
 2019年製作」
https://eiga.com/movie/90445/
というのが、映画『決算!忠臣蔵』なのですが、私が昨夜これを鑑賞したのは、次回のオフ会「講演」原稿で赤穂事件に触れる予定であるところ、たまたま、Amazon Prime 映画の一覧の中でこの映画のタイトルを目にしたからです。
 そして、その主たる目的は、比較的新しい忠臣蔵邦画の中で山鹿素行の扱いがどうなっているかを確認するためでした。

2 本題

 ご存知のように、私は、赤穂事件の対立軸は何か、という問いかけを行っており、その最も単純な形での正解は、山鹿素行、だったのです・・有料読者の皆さんは、解答案を今後提示することをご遠慮願います・・が、案の定、この映画では、山鹿素行は刺身の褄的な扱いしか受けていませんでした。
 映画の中で3回も素行への言及がなされてはいたけれど、それらは、赤穂浪士達が、素行の言を引用しつつ行動指針としている場面においてであり、3回目においては、仇討に積極的な浪士を別の浪士が窘める場面で、どちらも素行の言を引用して自分の主張を展開していました。
 それに対し、私は、素行は刺身の褄などでは決してなく主菜である、なぜなら、素行は、自分が長く師範として仕官したことがある赤穂藩が大嫌いであった一方で吉良上野介は親友だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C
のであり、浅野内匠頭と上野介の仲が険悪で刃傷事件にまで至ったのはそれが原因である、と、見るに至っています。
 現在の私のような考え方をするむきがいないのは、思うに、一般の人々に関しては、例えば、赤穂事件のウィキペディアには、討ち入りに太鼓は使われず、そもそも、山鹿流陣太鼓なるものなどこの世に存在しない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
というのに、『忠臣蔵』に登場する
https://gishido.com/aboutChushingura.html
ところ、この山鹿流陣太鼓の話、と、「山鹿素行の子らが仕えた弘前藩と平戸藩は『山鹿語類』に「復仇の事、必ず時の奉行所に至りて、殺さるるゆゑんを演説して、而して其の命をうく。是れ古来の法也」とあるを論拠として「公儀の免許を得ず徒党を組み、火事と欺き寝込みを狙いて押入るのは、素行の思想からすれば許すべからざる暴挙である」等として、藩主や古学(聖学)者が元禄赤穂事件を激しく批判した史料が現存している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
というくだり、にしか素行への言及がないためなのでしょうが、歴史学者達に関しては不可思議であるとしか申し上げようがありません。
 ま、彼らは、先の大戦に日本が勝利した、だとか、戦後日本の米属国化は昭和天皇家と岸カルトが主導した、だとか、その結果日本は脳死してしまった、だとか、に気付かないのですから、当たり前かもしれませんが・・。
 ああ、書き忘れるところでしたが、この映画、出演者達が著名かつ芸達者な人達ばかりであり、着想も秀逸なので、鑑賞に値します。