太田述正コラム#3035(2009.1.15)
<皆さんとディスカッション(続x368)>
<ドイツゲーマー>
コラム#3032(未公開)でのウォルザー(日本語ではウォルツァーと表記されることが多いです)の「至上緊急事態」に関して、ドレスデン空襲と東京大空襲・原爆投下が比較されていましたが、ロールズは晩年の著書”The Law of Peoples”の中(pp. 98-101)で、前者は道徳的に正当化されうるが、後者は正当化されえないという議論を展開しています。
 まだウォルツァーの主張は確認していませんが(”Just and Unjust War”(pp. 255-265)にあるそうです)、少なくともロールズは、米国による日本文民への無差別攻撃を悔いている感じでした。
<太田>
 情報提供ありがとうございました。
 米国にはマクナマラ(コラム#122、123)やロールズのようにまともな人が少しはいるってことですね。
<コバ>
 「第二次大戦中に米国が日本に対して行ったのと同様、ハマスとの戦いを続けなければならない」と、わが家イスラエルという政党ののリーバーマン党首が語った
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20090114020727a
そうです。
 戦前の日本が、ハマスのような過激派テロリストの国家とみなされて、さらに現在の日本が今や米国に付き従う属国であるとみなされていることに怒りと悔しさを覚えるばかりです。
 天皇も、政治家も、高級官僚も、みんな米国の傀儡でそのいいなりで、もうどうしたらいいのか…。
<太田>
 そう、発言に対し、在イスラエル日本大使や大使館員が公式非公式に抗議をすべきところ、恐らく何もやってないんでしょうね。
 (そこまで求めるのは酷な)天皇を除き、私も同感です。
<michisuzu>
≫一体どうして日本政府は降伏を容易に決断できなかったのでしょうか。ハセガワは、それを当時の日本の国体観念に求めます。その国体について、ハセガワは、「天皇は政治、文化、そして宗教において絶対的な力を持っている。「国体」とは、このような天皇制の政治的、かつ精神的エッセンスの象徴的表現なのだ。しかし、天皇の政治的かつ文化的中心性にもかかわらず、彼は現実の政策決定にあたっては名目的存在・・・にとどまっていた。この体制が、日本の政治思想の最大の権威である丸山真男が言うところの「無責任体制」をもたらした。」・・・と述べています。国体論といい、丸山真男に対する評価といい、ここはハセガワはちょっとオーソドックス過ぎるのではないでしょうか。ハセガワによる、それに引き続く先の大戦の前史・・・の叙述ぶりも、極めてオーソドックスであり、私の欲求不満が募りました。≪(コラム#2659。太田)
 オーソドックスでしょうか?私もハセガワさんとほぼ同じ意見です。
 天皇が組織上は統治していながら実態は傀儡であったことは事実ではないでしょうか?
 見事な無責任体制を構築しており結局最終的には誰も責任を追及されないような組織になっていたのではないでしょうか?
 アメリカのような大統領制の無い日本では戦後も同じような無責任体制が続いているとも思えますが。
<太田>
 michisuzuちゃん、mixi経由で太田ブログにアクセスしてコラム#2659を読み、その上で投稿するまで、全部でわずか7分しかかけていないというのは、コメント投稿としては、(同コラムの内容からすればなおさら、)いかがなものでしょうか。
 (コメントするのであれば、私の戦前日本史論のすべてとまではいかなくても、少なくとも私の丸山真男論(コラム#1658、1660)や日本型経済体制論(コラム#2795等)を読み、それを踏まえて行う必要があります。)
 だから、これは質問投稿であると受け止めます。
 ごくごく簡単にお答えしましょう。
 戦間期から終戦にかけての日本も、英国や戦後の日本とほとんど同様の議院内閣制であったというのが私の見解ですが、そうだとすれば、責任が内閣にあることは明白です。
 丸山真男が極東裁判におけるA級「戦犯」の証言ぶりから戦時の日本を無責任体制と断じたことに至っては、彼らが昭和天皇を守るためにあえて韜晦した証言を行ったと考えられること一つとってもナンセンスです。
 以上のことと、戦時にかけて日本が構築し、戦後も維持したところの総動員体制たる日本型<政治>経済体制が、ボトムアップ型であり、政府も大企業もトップは御神輿に過ぎなかった、ということとは、オーバーラップしていますが、区別すべきです。
 なお、この日本型<政治>経済体制が、少なくとも経済体制としては、世界史上希な成功を収めたことは、私があえて説明する必要はないでしょう。
 最後に、本筋ではありませんが、満州事変時の関東軍司令官の本庄繁、
http://plaza.rakuten.co.jp/kawamurakent/diary/200808160000/
対米開戦時の参謀総長の杉山元、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
敗戦時の陸軍大臣の阿南惟幾
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponseizankai/27646794.html
の各氏らが、終戦前後に責任をとって自決したことを我々は忘れないようにしましょう。
<サヨク>
 昭和天皇が死んだ時、皇居で膝を折って慟哭する人々を浅田彰は「土人」と表現しました。(確か『文学界』紙上) それはぼくの感想でもあった。
 守るものは「国民、領土、主権」で十分。「天皇を守る」といった思考、感覚には嘔吐しそうです。
 せめて他者には強制しないでね!
<太田>
 自分の親族でも友人でもない著名人の死を悼む人物を「土人」と形容することは、自分が「類人猿」並の存在であると公言しているに等しいと私は思います。
 さしずめあなたは、君が代や、ほぼ君が代の歌詞と同趣旨の歌詞
God save our gracious Queen,
Long live our noble Queen,
God save the Queen:
Send her victorious,
Happy and glorious,
Long to reign over us;
God save the Queen.
・・・
http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/uk.htm
の英国国家を聞くと嘔吐しそうになるんでしょうね。
 古き「良き」伝統を尊重する方向に発想を切り替えた方が、精神衛生上よろしいんじゃないないかと思うけど、余計なお世話か。
<から>
≫軍隊が国民の生命財産を守るなんてのは、(日本以外の)いかなる国においてもありえない発想なんですよ。≪(コラム#3029。太田)
 そんなんだったら、納税者として税金を払いたくなくなります。
→繰り返しますが、カネやモノより大事なことが人間にはあるんですよ。(太田)
 国家権力も現行憲法下で国民の生命・財産を守る義務はないのでしょうか?
→自衛隊は「警察」予備隊のままであり、要するに軍隊ではなくて警察力の予備にほかなりません。ですから自衛隊は、その限りにおいて、国民の生命・財産も守ることになっています。安心しました?(太田)
 そもそも戦争の時に命をかけて戦う軍人は、国家の主権を守るために戦えるのでしょうか? やっぱり、「愛する家族を守るため。」とかじゃないと動機付けできないと思います。
→ご心配なく。隊舎での共同生活や、訓練演習等への共同参加を通じて醸成された仲間意識が、戦う動機付けになる、というのが世界の軍隊に共通する常識です。
The soldier could go on, could survive, as long as he felt himself to be a member of his primary group・・・
(John Preston Wilson, Zev Harel, Boaz Kahana, ’Psychology’PP397)(太田)
 このような分野は、軍事哲学とでも言うのでしょうか?
→常識の部類に属する話に過ぎません。戦後の日本人が非常識なだけのことです。(太田)
 非常に重要なことと思えるので、基本から勉強したいです。
 軍隊の意義や(国民)国家と軍隊の関係等についてよい書籍をご存知でしたらどなたか教えてください。お願いします。
→この種の常識を記した書籍なんて、世界のどこにもまずないでしょうな。(太田)
<ミュンヘン>
 1/14付け読売新聞夕刊、5ページの本よみうり堂に『実名告発防衛省』の書評が載っています。
(引用開始)
『実名告発防衛省』太田述正著
 2001年に自主退職した防衛庁の元キャリアが身をもって暴く天下りの政官業癒着構造。年間5兆円に上る予算が、蜜に集まるアリのようにどんな構造で自民党や防衛産業に還流したかーーー。仙台防衛施設局長時代の体験を書き留めた日記をもとに、関係した政治家の実名を挙げて告発する。(金曜日、1600円)
(引用終わり)
<太田>
 お知らせいただきありがとうございます。
 事実関係が間違っている・・「仙台防衛施設局長時代の体験『等』を書き留めた日記」とすべき・・ところを見ると、広告じゃなさそうですが、簡単すぎる書評でちょっと残念です。
 でも、少しでも売れ行きが伸びてくれればいいですが・・。
 さて、前回のディスカッションでの人間科学の最新議論の紹介に対して読者の反応がないのに拍子抜けしています。
 この関連で、本日も面白い記事が出ていました。
・・・If the parents had conceived naturally, the child would have a 50 percent chance of inheriting the gene. If she got the gene, her risk of breast cancer would be 50 percent to 85 percent. So the IVF and testing were done to avoid not certain death, but a 25 percent to 45 percent chance of getting a disease that, even if it arose, might be cured. And if it arose, when would that happen? “In her adult life,”・・・
という事情の下で、ロンドンのユニバーシティ・カレッジで、試験管内で11個の受精卵をつくり、そのうち6個の「乳癌<等>発生可能性を持つ遺伝子を含む」受精卵と、その他の不具合が発見された3個の受精卵を除いた2個の受精卵を子宮内に着床させた結果、1個の受精卵だけが胎児に成長し、出産に至ったというのです。
http://www.slate.com/id/2208633/
(1月15日アクセス)
 昨日の記事と総合すると、そう遠くない将来、我々人間は、次のような番い生活を送ることになりそうです。
 まず、男性も女性もインターネット等で番う相手捜しを広範かつ機械的に行う。
 男性側と女性側で条件等が合致したら、男性は、テストステロン等を服用することでこの女性と確実に恋に陥った上で女性と会い、その時点から妊娠、出産、育児を経て子供(複数)が手を離れるまでの間、オキストチンの男性版であるヴァソプレシン(vasopressin)を服用する一方で女性はオキストチンを服用し、二人の間で愛を育み、持続させる。
 この間、二人の間のセックスは全く妊娠を目的とせずに行われ、出産は、人工授精と受精卵のDNA検査を経て、クリアされた受精卵だけがこの女性の子宮、または人工子宮に着床させられ、胎児に成長した後にとり行われる運びとなる。
 なお、子供の手が離れた時点で、男女が長期的番を解消するかどうかは自由だが、解消させないこととした場合は、念のため、引き続き男性はヴァソプレシン、女性はオキストチンの服用を続けることになる。
 恐らく、こんな時代になれば、恋(セックス目的)に基づく短期的番以外の番、つまり長期的番は少なくなるでしょうね。
 それと平行して育児の社会化も進展しそうです。
 その暁には、人口過多とか人口減少の問題も解消しているはずです。
 つまり、長期的番から生まれた子供達で不足する子供の数を社会が計画的に補っていくようになっているはずです。
 めでたしめでたし、というべきか。
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太田述正コラム#3036(2009.1.15)
<イスラエルのガザ攻撃(続x12)>
→非公開