太田述正コラム#14772(2025.2.18)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その6)>(2025.5.16公開)

 「その後、毛沢東は、共産主義に興味をもって、共産主義者に接近します。
 中国共産党の設立大会にも名を連ねている。
 なぜ、マルクス主義に興味をもったのか。
 それは、共産主義の思想に共鳴したというよりも、一発逆転の大勝負に賭けたのだと思う。
 マルクス主義は暴力革命で、政権の奪取を目指します。
 知識人よりも共産党のほうが偉いのです。
 これは気持ちがいい。
 自分の先を進んでいい気になっている知識人連中を追い越し、見返してやる、というどす黒い野心のようなものが沸き上がった。」(33)

⇒よくもまあ、こんなヨタ話を語れたものです。
 例えば、中国共産党の「1921年に上海で開催された第一回全国代表大会<(設立会議)に、>・・・思想的リーダーの2人、陳独秀と李大釗は多忙により出席できないという奇妙な形で会議は開催されました。初代の総書記には陳独秀が欠席したまま選ばれています。・・・
 陳独秀<は、>・・・科挙に・・・合格し<ており、>・・・早稲田大学<(当時、東京専門学校)に>・・・留学し、・・・北京大学文科長<になっていましたし、>・・・李大釗<は、>・・・<同じく、>早稲田大学<に留学し、>・・・北京大学・・・図書館長<になっていました。>・・・<また、大会に>参加した13人<については、この大会に>・・・自宅を提供した李漢俊は、14歳の時に日本へ留学し東京帝国大学(現東京大学)で学んでいます。・・・李達は・・・公費で・・・東京第一高等師範学校に<留学しています。>・・・周佛海は日本から参加した唯一の人物として有名です。彼は1917年に日本に渡っており、・・・1921年当時はまだ鹿児島の第七高等学校造士館(現在の鹿児島大学)の学生でした<し、>・・・董必武は・・・科挙に・・・合格し<ており、>・・・法政大学に留学し<、>・・・陳潭秋(ちんたんしゅう)は<、>[武漢大学・・・出身
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%BD%AD%E7%A7%8B ]<ですし、>・・・
でしたし、張国燾(ちょうこくとう)<も>・・・劉仁静<も>北京大学の学生で<したし、>・・・陳公博は・・・[北京大学・・・出身
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%85%AC%E5%8D%9A ]
でしたし、包恵僧は、湖北省出身で、北京大学を卒業しています<し、>・・・王尽美はと鄧恩明<同様>、・・・高校を卒業したばかりの学生で<したが、>・・・<前者は>[北京大学マルクス学説研究会の外埠会員
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%B0%BD%E7%BE%8E ]
でしたので、早熟の知識人と言えるでしょう。
 鄧恩明は、包恵僧の友人だった(※)ので、包同様、早熟の知識人と言えるでしょうし、「貴州省茘波出身のスイ族(水族)<なので、>・・・この大会に参加した唯一の少数民族代表だった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%A7%E6%81%A9%E9%8A%98 ※も
上、唯一のプロレタリアートでもあった
https://baike.baidu.com/item/%E9%82%93%E6%81%A9%E9%93%AD/434109
点が考慮されたと考えられます。
 何叔衡(かしゅくこう)<は、>小作人出身で本人も子供の時から農作業に従事していたことや、毛沢東の友人であったこと
https://baike.baidu.com/item/%E4%BD%95%E5%8F%94%E8%A1%A1/115598
が考慮されたと考えられます。
 何を言いたいかというと、事実上の中国共産党創立メンバー15人中、学歴が毛沢東並みかそれ未満の者は毛を含めて4人しかなく、しかも、そのうちの一人は事実上の北京大の学生であって、毛を除く後の二人は、それぞれ、プロレタリアートと小作人の「代表」として「リクルート」されたものであるのに対し、富農の家に生まれた毛(毛のウィキペディアによる)は、陳独秀と李大釗のお気に入りとして指名されたと考えられるということです。
 つまり、プロレタリアートでも小作人でもない毛は、知識人として両名に指名されたと考えられる、ということなのです。
 また、こういう言い方もできると思うのですが、創立メンバーにれっきとした知識人が11人もいる組織において、いくら自分も創立メンバーとして名前を連ねたとはいえ、仮に知識人でなかったとするならば、そんな毛が、この11人を押しのけて自分がトップに躍り出ることが可能だと思い、この組織に入った、と考えるのは、毛がキチガイじみた誇大妄想狂だとみなすに等しいのであって、創造力が逞し過ぎやしませんか、と。(太田)

(続く)