太田述正コラム#14776(2025.2.20)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その8)>(2025.5.18公開)

 「・・・毛沢東が悪人なのは、家庭環境によるところもあるでしょうが、彼が政治闘争を描いた中国の古典に魅了され、そのノウハウを吸収し尽くしたことにもよる。
 中国の古典は、宮廷闘争の歴史であり、暗殺の歴史であり、叛乱の歴史であり、謀略の歴史です。
 それを読むとますます人が悪くなり、実際の出来事でも人びとがどうふるまうかが予測できるようになる。
 毛沢東はそのノウハウを、部下を操縦するのに用いることができた、天才的な陰謀家なのだと思う。・・・
 ただ、毛沢東よりも人間が悪かったのは、スパイマスターである周恩来のほうではないかと私はみています。」(44)

⇒支那の古典の史書類は政治闘争をもちろん描いていますし、小説類の中にも政治闘争を描いたものがあるけれど、毛沢東が「政治闘争を描いた中国の古典に魅了され」たことの典拠はあるのでしょうか。
 「毛沢東が演説で引用するほど愛した『水滸伝』に対して、最晩年には猛烈な“批判キャンペーン”を繰り出した」
https://www.excite.co.jp/news/article/shueishaonline_252860/
ことは良く知られているけれど、小説以外に毛沢東が好んだ古典としては、
詩経
https://www.ch-station.org/koten0003/
https://www.ch-station.org/koten0012/
や、蘇洵の著作(上掲)がネット上で出てきますが、詩経はもちろん「政治闘争を描いた」ものではありません
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B5%8C
し、蘇洵(1009~1066年)は、「経書を論ずるときも自己の常識から出発し、ことさらに聖人と覇者の区別をたてようとしなかった。<また、>周の武王が聖人ではなかったことを論じたように、儒家の因習を顧みなかった大胆さは、実用を重んじた欧陽脩や王安石も及ばなかったところである。・・・政治面では、北宋が契丹(遼)に歳幣を送って平和を購っていた習慣を姑息と判断し、内政を引き締め兵の規律を確立し、国家の安泰をはかるべきであると考えていた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%B4%B5
人物であり、その著作で、必ずしも「政治闘争を描いた」わけではなさそうです。
 その上でですが、日本での毛沢東悪人説の代表格は石平らしく、その著書、『中国を作った12人の悪党』の中で毛を天下一の悪党視し、毛が発動した大躍進政策と文化大革命の時のその言動をもっぱら問題視している
https://ddnavi.com/article/d557255/a/
ようですが、毛の死後の鄧小平以下の中共の歴代の最高権力者達が、亡き毛を必ずしもそう評価するしかなかったとは言い難いにもかかわらず、彼について、数々の失敗は犯したけれど功績が圧倒的に多い人物として高い評価を維持させてきた(典拠省略)ことによって、大躍進政策や文化大革命での毛の言動によるところの毛悪人論は、もはや存在根拠は失われていると言えるのであって、にもかかわらず、改めて毛悪人論を展開したいのであれば、別の根拠を持ち出してそれを行う必要があるところ、それを行った者がいることを私は寡聞にして知りません。(太田)

(続く)