太田述正コラム#14955(2025.5.21)
<皆さんとディスカッション(続x6261)/映画評論245:武則天(その39)>

<太田>

 安倍問題/防衛費増。↓

 <で、また、二世議員・・今度のは三世議員だが・・。↓>
 「江藤農相が辞表提出 首相、後任に小泉進次郎氏を起用へ・・・」
https://mainichi.jp/articles/20250521/k00/00m/010/034000c

ウクライナ問題/ガザ戦争。↓

 <偽善者どもめが。それにしても、英国も落ちぶれたもんだ。↓>
 「EU、イスラエルとの協定見直し着手 擁護から一転、ガザめぐり批判・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/eu-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%AE%9A%E8%A6%8B%E7%9B%B4%E3%81%97%E7%9D%80%E6%89%8B-%E6%93%81%E8%AD%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%80%E8%BB%A2-%E3%82%AC%E3%82%B6%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A%E6%89%B9%E5%88%A4/ar-AA1F9SBD?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=eaacdacb75c44a0095870dccf7f18d79&ei=56
 「英、イスラエルとの貿易交渉を停止 ガザ攻撃を非難・・・」
https://www.cnn.co.jp/world/35233224.html
 <インドでイスラム教徒の女性であることで苦難の人生を歩んできた人物がブッカー賞を受賞したんだね。彼女のような人物がイスラム教自体を捨て去らないことが残念でならない。↓>
 India’s Banu Mushtaq scripts history with International Booker win・・・
https://www.bbc.com/news/articles/c308qjpz9y2o

 妄想瘋癲老人米国。↓

 <おこぼれに日本もあずかっているようで、何より。↓>
 「「ここに留まる価値はない」アメリカで始まった頭脳流出… 研究者たちに聞いた本音・・・」
https://www.businessinsider.jp/article/2505-scientists-moving-abroad-trump-research-funding-cuts/

 それでは、その他の国内記事の紹介です。↓

 普通人小特集。↓

 「「万引き商社」ベトナム人を2人逮捕 “大量万引き”は組織的犯行か・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%95%86%E7%A4%BE-%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E4%BA%BA%E3%82%922%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95-%E5%A4%A7%E9%87%8F%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%8D-%E3%81%AF%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%9A%84%E7%8A%AF%E8%A1%8C%E3%81%8B-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E7%9B%97%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE

 ごリッパ。↓

 「・・・田沼意次・・・というと「賄賂政治」のイメージから傲岸不遜な人物との誤解があるかもしれませんが、彼が残した遺訓には「同族(一族)中には申すに及ばず、同席の衆、付合のある衆へは表裏なく、疎意(疎んじる気持ち)がないように心がけるべきである。 どんなに低い身分の者でも人情をかけるべきはかけて、差別なきようにすること」との言葉があるのです。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/35478bf12f979f059fd59cca6e6386c9b17d2c1c

 日・文カルト問題。↓

 <文カルト危うし?↓>
 「韓国大統領選の最有力候補、対日関係で「誤解されている」と主張・・・韓国・マネートゥデイ・・・韓国ネットは「またうそ」と冷ややか・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b953415-s39-c10-d0191.html

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <百花斉放。↓>
 「・・・江藤農水相の「コメ買ったことない」発言めぐり・・・中国のSNS・微博(ウェイボー)で300万超のフォロワーを持つインフルエンサーはこの発言を紹介した上で、「日本人は本当におとなしすぎる。おとなしすぎて驚くほどだ」と評し、日本国民はもっと怒るべきとの見方を示した。
 中国のネットユーザーからは「大臣がこんなこと言っていいのか?」「この人は能天気なのか、それともばかなのか」「令和の米騒動2.0」「なぜ肉がゆを食べないのか(民衆が飢饉で餓死していると聞いた西晋の皇帝が「なぜ肉がゆを食べないのか?」と問い返したという記録から、統治者が庶民の苦しみに無関心で現実離れした認識を持っていることを表す)」といった声が上がった。
 また、「日本人はなぜ怒らない」「日本人は本当にちょっとおとなしすぎるようだ」「日本人はまだ彼の食品庫を開けに行かないのか?」「日本人はその昔、一揆を起こしてたんじゃないの?」「これでも反抗しないとか、日本人のストレス耐性は並外れてる」「日本ではお辞儀をすればそれでチャラだからな」といった声も。
 このほか、「似たような話を聞いたことがあるような…」「東アジアはどこも同じ」「日本では少なくとも(こうした発言が)報道される」など、自国を暗に批判するコメントも寄せられている。」
https://www.recordchina.co.jp/b953398-s25-c10-d0052.html
 <健闘を称える。↓>
 「固体電池の特許争いでリードする日本を中国が猛追、競争はますます熾烈に・・・中国メディアの第一財経・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b953395-s25-c20-d0193.html
 <総体継受、継続中。↓>
 「中国のSNS・小紅書に・・・、「日本を旅行して最も感動した出来事」と題した投稿があり、・・・ネットユーザーからは「日本の地方にいる年配の方々は本当に親切。何度も助けてもらった経験がある」「同感。言葉の壁があっても交流したいという気持ちは止められない」「何度も日本を訪れているけど、特に印象に残っているのは、親切で温かい年配の方々との出会いだよ。やはり年配の方々の優しさには心を打たれる」といったコメントが寄せられている。」

https://www.recordchina.co.jp/b953410-s25-c30-d0201.html

<太田>

 –【太田コラム】Chat GPTスレをマクラにした私の新支那史観PR–

 【太田コラム】Chat GPTスレの更新がなされてないね。
 スレ主がChat GPTに対して太田コラムに関するどういう指示をしたのかを知りたいところ、それは企業秘密なんでオープンにできないのかもしれないが、例えば、赤穂事件解釈の妥当性、等々、Chat GPTに尋ねて欲しいことはいくらでもあるんだが・・。
 ところで、来月のオフ会「講演」で、今まで多分誰も言っていない、驚天動地の新支那史観・・より具体的に言えば、爾後の支那史を規定することとなったところの、春秋戦国時代史における秘密、という観点に立った驚天動地の新支那史観・・、を提示する予定で、その一端を有料コラムで近日中に明らかにするけれど、Chat GPTに対して、かかる全く新しい支那史観を、太田的アプローチでもって提示してみよ、なーんてことを命じることも可能なのかしらね。
 その新しい支那史観ってのは、下掲のように、宦官の重用などといった非本質的なことにとらわれたものじゃない。
 (そもそも、趙高は宦官じゃあなかったという説が有力だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E9%AB%98 )↓

 「・・・始皇帝の犯した失敗の一つが、生前に後継ぎを決めなかったことである。始皇帝が永遠の生を求めて、後継者指名を先送りにした結果、彼の死後に愚鈍な末子が二世皇帝となってしまったのだ。では、もう一つの失敗とは何だろうか。・・・宦官への対応<・・趙高の重用・・>に問題があった・・・。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4745566edcdad45a9f3d82d4ab3bc95f26d424d

 要するに、それは、下掲のような軍弱ぶりに、北宋や遼や、その後の南宋や金、が陥ってしまうことの根源的な原因は一体何だったのかを明らかにするものだ。↓「

「徽宗は第六代神宗(しんそう)の子で、第七代哲宗(てつそう)の弟にあたるが、神宗の政治改革(新法)施行以来の官僚の党派争いが続くなか、およそ政務に興味を示さず、宰相の蔡京(さいけい)と宦官の童貫(どうかん)に頼り切り、遼の天祚帝もよく似た状態で、その統治力は減衰するばかりであった。このような状勢のなか、遼の北部地域で勢力を蓄えて兵を挙げたのが完顔阿骨打(わんやんあくだ)で、1115年には遼の支配から脱して、皇帝に即位し(太祖)、女真民族の王朝「金」を創建した。これ以後も金の勢いはやむことなく、遼の劣勢を好機とみた宋は、これと連携することによって遼を滅亡に追い込む策略を講じた。いわゆる遼への挟撃作戦「夷(い)をもって夷を制す」で、宋の使者は遼の領域を避けて、山東半島から海路で北上して金に向かい盟約を結んだことから、これを「海上の盟(かいじょうのめい)」と呼ぶ。南北から攻撃を仕掛けて勝利したのちは、宋は燕雲十六州の領有を復活、遼に払っていた歳幣は金に引継がれることが約された。双方にとって、いや宋にとっては歳幣の支払いは続くとはいえ、なにより念願の燕雲十六州の奪回ができるのであって、極めて望ましい話といえる。ところがいざ戦闘が始まると、宋は割り当てられていた主要都市での戦闘で敗退を重ねて成果をあげられなかった。かたや金は連戦連勝で予定通りに攻略に成功し、途中で太祖が死亡して弟の完顔呉乞買(わんやんごきつばい)(完顔晟〈せい〉)が即位して跡を継ぎ(太宗)、1125年には遼を滅亡させ、勢いに乗って翌年には開封まで進軍して、これを包囲するに至った。盟約にあった析津府(せきしんふ)と大同府(だいどうふ)の攻略を宋が果たさなかったことに怒った金のしっぺ返しである。
 ただここまでの進撃は金にとっては予定外のことで、とても開封を攻略する余力がないことは分かっていた。そのため金は包囲を解いて撤退する条件として、開封城内のありったけの金銀財宝の供出と、宋の皇族を人質として金の軍営へ送致するよう要求した。この1年前に徽宗から皇位を譲られていた長子の欽宗(きんそう)はこれに応じて、城内の金銀をかき集め、さらに徽宗の第9子すなわち弟で康王(こうおう)の称号を持つ(親王〈しんのう〉)趙構を人質とすることを決定した。ただその裏で、退位していた徽宗は開封を脱出して南方に向かい、欽宗も南方への移動を望みながらも臣下の反対で果たせないままで、この決定に至ったことは知っておくべきであろう。危機に直面しながら、主導者が自分だけ逃げだそうとする、そのような組織に先は望めない。人質を誰にするかは皇族会議で議論されたが、簡単に決着のつくことではなかった。おそらく長い沈黙が続いたであろうが、そのなか敢然と自ら名乗りをあげたのが趙構であった。金が要求したのは皇族の一員で、なにも徽宗の皇子を要求したわけではないし、もっと低位の皇族でもよさそうなものである。ただ欽宗には誰かを指名する勇気がなく、さらに犠牲になってもいいという皇族がほかに現れなかっただけのことで、ここに当時の王朝中枢部の自己保身に汲々とする様子がみえる。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1a5e03b53c55e2642b11d29364e499474473bff

 更に言えば、それは、支那における皇帝独裁制が、軍弱と裏腹の関係にあって、皇帝による天下の私物化をもたらしがちであった、ということの根源的な原因を明らかにするものでもある。↓

 「・・・北宋末代の徽宗(きそう)皇帝は天才的な藝術家で、その方面で一時代を演出し、多くの書画を後世に残した。そのために民を苦しめ、国を失っている。それに対して、明の万暦帝が国を亡ぼしかけてまで後に残したのは、規模ははるかに厖大(ぼうだい)ながら、<その>墓だけだった。・・・
 <墓の>定陵が完成しても、以後の姿勢・行動様式はかわらず、一貫している。持ち前の浪費は来世のお墓にとどまらない。現世の俗事もひけをとらなかった。愛妃の生んだ福王(ふくおう)の婚礼費には、規定額の10倍にのぼる30万両、さらに後宮の調度品や衣装などに惜しげもなく金をつぎ込む。二の足を踏むことも、恥じることもなかった。「天性の浪費家」と評されるゆえんである。・・・
 トップダウン的な権力行使、あるいは誰にもとめられない専権は、張居正の場合とまったく軌を一にしていた。天子による天下の「私物化」という体制原理が存在、作用していたからである。担い手が強権をきわめた天子の先生に代わって、天子の忠実な下僕になったにすぎない。宰相に代わる宦官の施政であれば、明朝でそれまでに何度も起こっていた。以前のくりかえしなのである。
「鉱税の禍」は万暦帝の個性を通じて、それがいよいよ露呈した現象にほかならない。内容さえ問わなければ、万暦年間は即位当初から、ずっと変わらない枠組みのなかで政治が動いていたともいえる。
 明朝は1620年に万暦帝が崩じてから、およそ四半世紀で亡んだ。・・・」

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/02220605/?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back&all=1

          –映画評論245:武則天(その39)–

 74~75話では、武則天が、故人の劉夫人の子である皇太子李忠を廃立し、自分にとっての長男である李弘(652?~675年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BC%98_(%E5%94%90)
を立太子させたので、自分にとっての次男であるその弟の李賢(655~684年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%B3%A2_(%E5%94%90)
ががっかりする、という場面が出てくる。
 ところで、高宗を病気がちに描いているのは「史実」通りだが、その病について、「史実」は、丹薬
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E4%B8%B9%E8%A1%93
による中毒で眼病を患い、健康を損なったとしている、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%97_(%E5%94%90)
というのに、このドラマの筋書きではそうではなく、中風を患っていた、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%A2%A8
としているところ、そんな変更を加える必要がどうしてあったのか、よく分からない。

(続く)

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太田述正コラム#14956(2025.5.21)
<渡辺信一郎『中華の成立–唐代まで』を読む(その21)>

→非公開