太田述正コラム#14784(2025.2.24)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その12)>(2025.5.22公開)
「・・・中国は・・・1992年に天皇訪中を実現させ、日本との関係改善を進めることで、・・・天安門事件<後の>・・・西側の制裁を緩和させる糸口としたのです。・・・
<当時、>「天皇訪中に反対する自民党の政治家をいかに黙らせるか」ということに外務官僚<は>腐心してい<まし>た。
・・・皇后雅子様の実父である小和田恆事務次官が、天皇訪中にかなり前のめりになってい<たのです。>・・・
・・・この時、中国<が>、1992年公布の「中華人民共和国領海及び接続水域法」で、「尖閣諸島は中国の領土である」と一方的に決めてい<たにもかかわらず・・。>・・・
<それどころか、>当時の外務省幹部は「尖閣問題は取り上げないようにしよう」と内々で決めてい<まし>た。
小和田次官は当時の宮澤喜一首相に「尖閣問題という雑音はあるが、過大評価してはいけない。今後、中国が日本につらく当たってくるとみる向きもあるが、外務省としては必ずしもそうはみていない」とすら言っているんです。・・・
<これは、>売国行為というより、ただ愚かで不勉強なだけだと思えます。
それに加えて、日本国憲法をよくわかっていないな。
天皇の政治利用じゃないですか。」(141、144~145)
⇒本件についての私の見解は、コラム#14168を振り返って頂きたいですね。
一点だけ補足しておきますが、当時の宮澤喜一首相が、この、天皇(現上皇)/小和田の動きに異を唱えなかったのは、その翌年の「1993年4月の米ワシントンでの日米首脳会談で、<同>首相が、立ち遅れている中国が飛躍的な経済発展を遂げる可能性に言及した上で「軍事的野心を発揮していく余地は十分ある」と・・・クリントン大統領に伝えていた」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25BTS0V21C24A2000000/?msockid=00cb7a4f890f66e8130d6f15880a6721
ことに照らすと、岸カルト派閥、非岸カルト派閥のいかんを問わず、その領袖クラス以下に、昭和天皇/岸信介流の、将来宗主国を米国から中共へと乗り換える日々が必ず到来すると見るところの、支那(中共)観、が浸透していて、だからこそ、1992年の天皇訪中という、宗主国米国と衝突しかねない危い対外行動を、当時の日本政府は、逡巡もさしたる苦労もなく決行できた、ということなのでしょう。
(ちなみに、当時の外務大臣(副総理兼任)は、「田中角栄内閣の日中国交正常化や金権政治に反対する親台派の保守系若手議員によって結成された青嵐会に参加し」ていたことがあり、また、「「中華人民共和国は政治が悪いから、穴を掘って住んでいる人がいる」と述べた」こともある、渡辺美智雄、でしたが、健康を害していたためか、当時の動向は不詳です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%BE%8E%E6%99%BA%E9%9B%84 )
いずれにせよ、「ただ愚かで不勉強なだけ」は、著者達にこそあてはまりそうだ、と、申し上げておきます。(太田)
(続く)