太田述正コラム#14786(2025.2.25)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その13)>(2025.5.23公開)
「・・・市場経済は、共産党一党支配下でそもそも機能するのか。
これまでのどんな経済学の教科書、政治学の教科書、歴史の教科書にも、このことは書いてない。
だから、答えはわからない。
⇒先の大戦中、日本は大政翼賛会・・綱領なき「政党」でしたが・・の「支配下」、ドイツはナチの支配下、にあったけれど、また、例えば、英国は挙国一致内閣の支配下にあったけれど、統制品目は多かったとはいえ、市場経済がそれなりに機能していた、ことは衆目認める(典拠省略)ところですから、一党支配下でも市場経済が機能する、ということがいかなる教科書にも出てこないのは当たり前です。(太田)
江沢民と胡錦涛は、二人とも鄧小平によって選ばれたリーダーです。・・・
だから鄧小平が敷いた「2期10年」のルールに従い、その枠内で党中央を仕切っていた。
その後、習近平になると、・・・明らかに様相が違った。
脱・鄧小平ルールの、新しい権威主義的な中国共産党のリーダーに成り上がった。」(151、153~154)
⇒私は、かねてより、中共当局は日本文明の総体継受戦略を追求していること、その一環として天皇制的なものも追求している可能性が高いこと、を指摘してきている(コラム#省略)ところ、それが、天皇制と全く同じ、血統主義的なものになるのか、支那の「伝統」をも踏まえた禅譲主義的なものになるのか、までは不明であるものの、習近平がその初代になる可能性は否定できないと思っているところです。
というのも、彼の父親の習仲勲(しゅうちゅうくん。1913~2002年)は小作農の家に生まれ、1926年の13歳の時に中国社会主義青年団に加入し、1928年の15歳の時に中国共産党に入党し、爾後、革命運動に一身を捧げる人生を送った人物である上に、紅軍が長征することによって中国共産党が生き延びることができたのは、習仲勲が延安にいて、受け入れたからこそだった
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%A0%E4%BB%B2%E5%8B%8B
からであり、いわば、彼は、中国共産党存続を可能にした英雄であって、その子である習近平は、父親のオーラに包まれた存在だからです。
さしあたり、習近平の一人娘であるところの、米ハーヴァード大卒(心理学)の習明澤(1992年~)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E6%98%8E%E6%B2%A2
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=rDU5fw4E&id=2D762A8323C46C116B520B565FAB5E216FBF469C&thid=OIP.rDU5fw4EhrTkmmZG0WfXKQHaFj&mediaurl=https%3A%2F%2Ftextream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fe0%2F80%2F1998407-ffc7pjbf6q3t2a%2F72118%2Fbb772a174f09a1817c04e7740dcf2ccb.jpg&exph=360&expw=480&q=%E7%BF%92%E6%98%8E%E6%B2%A2&simid=607986856990634579&FORM=IRPRST&ck=3C0D1CCB931D3BC9594E00A37E890039&selectedIndex=57&itb=0&cw=861&ch=1526&ajaxhist=0&ajaxserp=0 ←最良写真
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=ggPjOaUM&id=B2971B172C959187167BDE70895891FF1BE6D2E4&thid=OIP.ggPjOaUMoFweedAETLHg5gAAAA&mediaurl=https%3A%2F%2Fwww.cyzo.com%2Fimages%2Fximingze-1.jpg&exph=300&expw=300&q=%E7%BF%92%E6%98%8E%E6%B2%A2&simid=608055765403392711&FORM=IRPRST&ck=F2F7BFDB8D567D43B840B9ECF6D7AF44&selectedIndex=64&itb=0&cw=861&ch=1526&ajaxhist=0&ajaxserp=0 ←最悪写真
の今後の動向が注目されるところです。(太田)
(続く)