太田述正コラム#14794(2025.3.1)
<橋爪大三郎・峯村健司『あぶない中国共産党』を読む(その17)>(2025.5.27公開)
[中共と法治]
「・・・まず,中国で「法治」,「法」が語られる際、それは普遍的に見られる「法治主義」における「法」とは異なっている。・・・2000年の立法法が制定され,法の定立についての規律がなされた。そこでは,法律(全人代と全人代表常務委員会),行政法規(国務院),地方的法規(地方人民代表大会と地方人民代表大会常務委員会),部門的規章(国務院の各部・委員会),地方的規章(地方人民政府)などのすべてが,「立法」とされている。
同じ「法治」という概念の下で,全く異なった観念が展開されているのである(cf「国会」を「唯一の立法機関」とする日本国憲法41条)。
そのような「法」観念の下、法律の委任が無くとも、行政法規,部門的規章,地方的規章によって国民の権利を制限し,義務を課し,罰則を設けることができる。また,法律事項は限定されており(立法法8条),しかも,これらの事項についても,全人代及び全人代常務委員会の授権により行政法規を制定することが可能なのである(立法法9条)。
そして,権力の抑制についても,・・・憲法で民主集中制(3条1項)の建前が採られるなど,権力分立が否定されている。そこでは,むしろ「議行合一」,すなわち,全人代と国務院の同質性・協力性が強調されている。人的観点からしても,行政機関,法院,検察院の長とそれらの構成員の多くが全人代代表であり,したがって,憲法でそれらの機関が全人代に責任を負うと定められても(92条,94条,128条、133条),全人代による監督は困難である。実際に,政治的地位も,例えば,国務院総理の方が全人代常務委員会委員長よりも高いのである。
また,裁判所による権力抑制,権利保護について,裁判の独立が十分でないことが,大きな困難として指摘される。人民法院の独立性は、憲法に規定されているが(126条),「各級の人民法院には審判委員会を設置し,民主集中制を実施する。審判委員会は,審判の経験をとりまとめ,重大または複雑な事件およびその他の審判活動にかかわる問題を討議することをその任務とする」(人民法院組織法10条1項),「合議廷は,開廷して審理を行い,評議した後,判決を下す。疑難・複雑または重大な事件について,合議廷が決定を下すことが困難であると判断した場合,合議廷が院長に対して裁判委員会に付託して討論し決定してもらうよう具申する。合議廷は裁判委員会の決定を執行しなければならない」(刑事訴訟法126条),とされているように,個々の裁判官には独立性が認められていないのである。さらに,県以上の共産党組織には,裁判,検察,捜査,法の執行などの協調・調整を目的として「政法委員会」が設置され,政治的干渉が行われている。
ところで,憲法的統制について,現在,一部で裁判所による違憲審査制導入の議論がなされている。しかし,今のところ現行憲法では,全人代と全人代常務委員会が,憲法の実施を監督し(62条2号,67条1号),全人代常務委員会が,行政法規や地方的法規で憲法,法律に抵触するものを取り消すこととなっている(67条7号,8号)。
このように,中華人民共和国においては,法治主義に向かっての発展を志向する上で,多くの大きな困難が存在するのである。・・・」(高田篤「法治主義発展史とそこにおける中国」より)
https://www.law.osaka-u.ac.jp/~c-forum/box5/takada.pdf
⇒日本では江戸時代に、既に法治主義は根付いていた。↓
「江戸時代の裁判<では、>・・・現代の裁判にも通じるような、厳格性や論理性を重視し法の原理原則を守ろうと努めていた様子がうかがえます。こうした裁判の一つの重要なよりどころが、今でいう刑法を中心に、民事法や手続法なども加え十八世紀半ばに編さんされた成文法典『公事方御定書』でした。とりわけ刑事裁判で量刑を決めるに当たっては、『公事方御定書』の条文と過去の裁判例をもとに、その妥当性や法的な整合性について徹底的に議論。老中から下役人まで、裁判に関わる関係者の合議によって結論が導かれていました。」(和仁(わに)かや「江戸時代における裁判制度の実際の姿とは」より)
https://www.kobegakuin.ac.jp/gakuho-net/infocus/2011/2011_06.html
(続く)