太田述正コラム#14985(2025.6.5)
<皆さんとディスカッション(続x6276)/映画評論342:室町無頼>
<nsvr1/Co>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
太田君は、無料で質の高い情報を提供してくれる。
スタンフォード大の国費留学費用は安いもんだな。
国費留学生はみんな太田君みたいになればいいよなぁ。
(天下りなんかしないで、選挙に打って出るとか凄い。)
⇒「天下り・・」的なことをよく言われるんだけど、「薄給」の公務員だって肩たたき近くまで務めりゃ、老後を自分一人なら普通の生活をして送ることが可能なだけの蓄えや年金が得られるというのに、天下りをして、好きな言動を行う自由を束縛されるのを選ぶって方が、あたしゃ不思議でしょうがないんだけどねえ。(太田)
<太田>
安倍問題/防衛費増。↓
なし。
ウクライナ問題/ガザ戦争。↓
<イワンの馬鹿は死んでも直らない。↓>
「・・・ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まった2022年2月からこれまでの間に、ロシア軍側では推計95万人が死傷し、うち最大25万人が死亡した。旧ソ連時代も含めて、第2次世界大戦以降ロシアが経験した戦争でこれほど死亡率が高い例はないという。 一方、ウクライナ軍では40万人近くが死傷し、うち死者数は6万〜10万人とみている。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/41cc74f8aecc83a374157c6b6a7fd6e5bbaae0a7
<ふんじゃあ、ウクライナはどう形容すんだよ。↓>
Gaza now worse than hell on earth, humanitarian chief tells BBC・・・
https://www.bbc.com/news/articles/cvgq0gy82wjo
妄想瘋癲老人米国。↓
<これ、行政府専権事項なんだろうから、イタイだろな。↓>
「ハーバード大留学生、入国停止 半年間、日本人学生に影響も・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E7%95%99%E5%AD%A6%E7%94%9F-%E5%85%A5%E5%9B%BD%E5%81%9C%E6%AD%A2-%E5%8D%8A%E5%B9%B4%E9%96%93-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AB%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E3%82%82/ar-AA1G6WXm?ocid=msedg
それでは、その他の国内記事の紹介です。↓
なるほどね。↓
「・・・科挙のない江戸時代の日本において、経済的利益や社会的地位といった具体的メリットがないにもかかわらず、 儒学に励む人々が大勢現れたのはなぜだろうか。・・・
日本思想史学者の前田勉氏によれば、逆説的ではあるが、強固な身分制社会であり学問による立身出世が不可能だったからこそ、儒学に没頭する者が現れたという。 儒学の中でも朱子学は性善説(人間が天から与えられた本性は善であるという考え)に立ち、誰もが研鑽を積むことで「聖人」(道徳的に完璧な人格者)になれると説いた。 不平等な身分制度の世界に不満を抱く人々にとって、人間は本質的に平等であり、凡人であっても努力することで聖人になれるという考えは魅力的だったに違いない。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d726beea70c30fac0ce258d006c13e41e18a2c9
あーら、そーだったの。↓
「勝は、確かに神戸において念願の私塾<たる>・・・海軍塾・・・を開設する許可を得た。しかし、幕府からの金銭的な援助がなかったため、盟友とも言える越前藩の松平春嶽に献金を依頼することにした。そこで勝は、越前藩の要人である村田氏寿を通じて、私塾開設の経費の援助を春嶽に依頼するため、弟子の中から坂本龍馬を選抜し、福井に派遣した。
また、勝は松平春嶽の最側近である中根雪江に海軍構想とともに、龍馬の派遣について説明した。春嶽の片腕で、勝の友人である中根にも何らかの助力を期待したのだろう。
5月20日頃、龍馬は福井に到着し、早速、春嶽の政治顧問として活躍していた肥後藩士の横井小楠と面談した。龍馬は勝塾の設置などの経費として、1000両の拝借を願い出た。横井は躊躇なく、快くその願いを快諾し、龍馬は勝の要望に見事応えることが叶ったのだ。
越前藩の援助もあり、勝の私塾は6月後半までには開所したと考えられる。塾頭は、龍馬と佐藤政養が務めたらしい。・・・
勝塾はスタートしたが、幕府による官営の海軍士官の養成学校の設置は遅れていた。元治元年(1864)5月14日、その開設を前提に、軍艦奉行並であった勝が軍艦奉行に<任命された。>・・・」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/85224?utm_source=yahoonews&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedlink
薩摩藩でも攘夷派は弾圧された。
日蓮主義勢力からすれば、煽り立てて活用した攘夷派が、もはや用済みになったってだけのことさ。↓
「・・・即時攘夷運動と言えば、長州藩の代名詞のような歴史用語と思われがちだが、長州藩が登場する以前に中央政局を動かしていたのは土佐藩であり、尊王志士・・・武市半平太・・・であった事実は軽視できないものである。しかし、武市は草莽によるものではなく、藩を挙げての即時攘夷運動に固執し、その実現を確信して模索し続けた。その志向はある程度まで実現したが、山内容堂によって木っ端微塵にされてしまった。土佐藩における容堂という絶対的権力は、土佐勤王党を壊滅させ武市を葬り去ったが、そのツケは明治維新後に払わされることになったのだ。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/31e2657da6461af303db3a454d6b7c96f86868b4
日・文カルト問題。↓
<文カルト健在。↓>
「ソウルのある大学に登場した旭日旗と「朝鮮人」の文字…徐坰徳教授「日本に名分を与えるだけ」批判・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/334623
「韓国慰安婦団体 新政権に韓日合意破棄と「財団肩代わり」中止を要求・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250604005500882?section=japan-relationship/index
<今後は新大統領次第だよ。↓>
「尹錫悦前大統領の外交政策に友好的だった日本、李在明次期大統領当選後の反応は・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/334573
「石破首相「李在明大統領の就任に祝意…韓日交流を活発化させたい」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/334566
<・・・。↓>
「李大統領 対日関係で「実用的な観点必要」=「政策の一貫性重要」・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250604004700882?section=japan-relationship/index
さーてね。↓
「・・・元では銀が基軸通貨とされましたが、当時の中国では銀の産出量が不足し、市場への供給が十分とは言えない状況にありました。 元の時代はモンゴル帝国のネットワークを介してユーラシア各地から銀を循環させて何とか間に合わせていたのです。明でも引き続き銀が基軸通貨とされましたが、モンゴルから独立したことでそのネットワークから外れ、銀の供給が不足することになります。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f00d898d2edbcd6c5309b6e799dfeb82c8b1159
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<人民網より。
報道価値なし。↓>
「李強総理が河野洋平氏率いる日本国際貿易促進協会代表団と会談・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2025/0604/c94474-20323205.html
「尹力氏が日本国際貿易促進協会の河野洋平会長と会談・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2025/0604/c94474-20323225.html
<ここからは、レコードチャイナより。
総体継受、継続中。↓>
「中国のSNS・小紅書(RED)・・・投稿者がアップした写真には、電柱にくくり付けられたプレートに「動物を捨てないで!動物をいじめないで!犬や猫を傷つけたり、動物を捨てたりすることは、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)違反です 新宿区」と中国語で書かれている様子が写っている。プレートには小さい文字で、違反した場合の罰金額なども記されている。
投稿者は「これは『君の名は。』の聖地、須賀神社の近くに貼ってあった。近くには韓国語や英語の注意書きはなく、中国語だけだった。だから、(この付近で)動物を傷つける行為は中国人だけ。本当に申し訳ない…」とつづっている。・・・
ネットユーザー・・・「本当に申し訳ない」「恥ずかしいけど事実」・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b954259-s25-c30-d0052.html
「中国のSNS・小紅書(RED)・・・投稿者の女性によると、日本で夫と子どもと共に遊園地に行き、夫らは遊園地へ、女性は1人で隣接するショッピングモールに行った。しかし、モールはまだ開店していなかったため、外にあるベンチに座り本を読んで待つことにしたという。
女性は、「ずっと下を向いて本を読んでいたので周囲の様子はあまり分からなかったが、ふと顔を上げてみると目の前には長い行列ができていた」とした上で、「驚いたことに、みんな私が座っているベンチの前だけをきれいに避けて並んでいた。誰一人として光を遮ったり、邪魔になるようなことをしたりする人はいなかった」と回想。「見知らぬ人たちの思いやりと優しさに心が温かくなった」とつづっている。・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b954149-s25-c30-d0052.html
<太田>
一 Bing Video Creator
デスクトップ版が出るのを待とう。↓
「Microsoft、テキストから動画を生成する「Bing Video Creator」を無料提供・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/techandscience/microsoft-%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%82%92%E7%94%9F%E6%88%90%E3%81%99%E3%82%8B-bing-video-creator-%E3%82%92%E7%84%A1%E6%96%99%E6%8F%90%E4%BE%9B/ar-AA1G2XPx?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=855ffdbada1a4ec79f738ca408f28537&ei=27
二 Photoshop
食指が動いたが・・。↓
「ついにAndroid版Photoshopのベータ版<(無料)>が登場、無料でAIによる画像生成やレイヤー編集を利用可能
https://www.msn.com/ja-jp/news/techandscience/%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%ABandroid%E7%89%88photoshop%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%89%88%E3%81%8C%E7%99%BB%E5%A0%B4-%E7%84%A1%E6%96%99%E3%81%A7ai%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%94%BB%E5%83%8F%E7%94%9F%E6%88%90%E3%82%84%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E7%B7%A8%E9%9B%86%E3%82%92%E5%88%A9%E7%94%A8%E5%8F%AF%E8%83%BD/ar-AA1G2qrd?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=91ff717fea2b46cdb139146442cbfc94&ei=20
<そもそも無料の下掲を発見。↓>
Adobe Express
https://www.adobe.com/jp/express/
–映画評論342:室町無頼–
今回は、「垣根涼介の時代小説を大泉洋主演で実写映画化した・・・2025年<の>・・・戦国アクション<映画で、>・・・入江悠が監督・脚本を手がけ、・・・大泉洋主演で・・・日本の歴史において初めて武士階級として一揆を起こした室町時代の人物・蓮田兵衛・・の知られざる戦いをドラマチックに描<いたもの>」
https://eiga.com/movie/101243/
だ。
蓮田兵衛(はすだひょうえ)は、「出自は不明で、『新撰長禄寛正記』は「牢人の地下人」としている。寛正3年(1462年)9月ごろより京都、続いて奈良で徳政一揆が断続的に蜂起しており、蓮田兵衛は9月11日に蜂起した京都の一揆の大将だった。この一揆は一度沈静化したものの、10月21日に再び蜂起し、諸口を封鎖して東寺を制圧。さらに糺の森に進出して相国寺東門を攻撃し、幕府(花の御所)にまで侵入するかの勢いを見せた。幕府は侍所所司代・多賀高忠、次いで赤松政則ら在京大名に鎮圧を命じた。兵衛は土豪百姓を糾合し一度は赤松勢の攻撃を退けたものの、再度の攻勢によってついに敗走した。一揆衆は離散し、11月2日に兵衛も淀で捕らえられて殺された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E7%94%B0%E5%85%B5%E8%A1%9B
とか、この「寛正の土一揆(かんしょうのつちいっき)<は、>・・・寛正の大飢饉による混乱の最中の寛正3年9月に京都において徳政令を求める土一揆が発生、浪人や在京大名の内者(被官)までが加わって、土倉などから財物を奪ったり、下京にて火を放つなどの行為に及んだ。10月になると今度は木津の馬借らが奈良で一揆を起こし、一旦は沈静化していた京都でも一揆が再発して京都七口を封鎖した<が、>・・・最終的には京都では諸大名の軍が、奈良では大和国の守護でもある興福寺の六方衆が一揆を鎮圧<した。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%AD%A3%E3%81%AE%E5%9C%9F%E4%B8%80%E6%8F%86
とか、この一揆を鎮圧した側の多賀高忠(1425~1486年)は、「従兄<の>・・・京極持清<が>・・・主君<で、>・・・2度にわたって室町幕府京都侍所所司代を務め、名所司代として知られ<、>・・・応仁の乱<でも活躍し、>・・・武家故実に明るく、小笠原持長に弓術を学び『高忠聞書』を著し<たところ、>『高忠聞書』は弓術における研究資料、及び当時の故実を知る史料として現在まで重要な役割を果たしている・・・他<、>・・・和歌・連歌にも通じるなど、当時の知識人の1人であ<り、>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E9%AB%98%E5%BF%A0
「京都<の>・・・曹洞宗の寺院<の>・・・宗仙寺(そうせんじ)は・・・多賀高忠が六条高倉に創建し、大平山宗仙寺と号したのが起源とも言われてい<る>」
https://kyototravel.info/sousenji
といったこと、を、を知るきっかけになっただけでも鑑賞した甲斐があった。
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太田述正コラム#14986(2025.6.5)
<渡辺信一郎『中華の成立–唐代まで』を読む(その36)>
→非公開