太田述正コラム#15048(2025.7.5)
<渡辺信一郎『中華の成立–唐代まで』を読む(その63)>(2025.9.30公開)

 「・・・大農法による富豪層の直営地経営は10頃前後であり、それをこえる所有地は小作に出された。・・・
 北朝隋唐期の華北農村は、圧倒的多数の貧農と少数の富豪層・官人によって構成された。・・・

⇒こんな体制では、耕戦の士、など到底確保しえませんよね。(太田)

 485年10月、孝文帝は、使者を派遣して州都を巡行させ、地方官と協議して「天下の田を均給させた」(『漢書』高祖紀上)。
 これが北魏の給田制(所謂「均田制」)である。
 北魏給田制を提起したのは、李安世(?~493)<(注77)>である。・・・

 (注77)「李安世の上疏の趣旨は、そのまま太和の均田の詔に盛りこまれて<おり、>・・・大土地所有の進行およびその一方の極に生まれる無産者の増大という現貫の朕況が、均田制の立ちむかうべき中心課題のひとつであったことは、疑いえないようにおもわれる。・・・
 堀敏一氏・・・は・・・豪族體制とひと口にいってもそれは大土地私有者たる豪族とその隷属民というふうに単純な領主制的関係でとらえることができない。豪族は地主としての一面をもつと同時に、他方では宗族・郷黨によって構成される共同體の指導者(宗主)としての一面をもつ。豪族體制とはこの矛盾する両面をそなえるものであるが、地主的側面は他の一面を壓倒して、かれが共同體指導者として關わりあってきた濁立小農民を没落せしめていく。この矛盾につけこんだ国家権力は、自らの手による小土地保有農民の育成(均田制〉とこれら小農民の共同體の再建(三長制)を計る。こうして豪族勢力は打撃を蒙るが、しかし没落してしまったわけではない。國家の直接的農民支配に對應する官僚機構のもとで、支配階級としての地位を保ちつづける。そして田令に規定された種々の官僚的特権を享受して、豪族地主制からいわゆる品級地主制へ移行していくというのである。」(谷川道雄「均田制の理念と大土地所有」(1965年の科研費による研究成果)より)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152738/1/jor025_4_439.pdf
 堀敏一(としかず。1924~2007年)。東大文(東洋史)卒、同大東洋文化研究所助手、東洋文庫研究員、明大文専任講師、教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%95%8F%E4%B8%80

 百姓給田制は、一組の夫婦と奴婢・成牛を給田対象とする。
 この給田を単純に積算すれば、夫婦2人(正た60畝)、奴婢2人(正田60畝)、丁牛2匹(一具牛、60畝)となる。
 すなわち、一具牛、労働者4人、180畝の耕地編成となり、・・・これが当時もっとも安定した中農の小農経営であったろう。
 もとより李安世の言及する農民は、貧家層と富豪層の二大階層であり、中農は想定外にある。・・・
 これは、李安世の提案にあるように、家内の労働力に応じた耕作地面積をあてがうもので、労働力の多少にあわせて給田面積に差等と所有限度をもうけたことを意味する。
 こうして貧家層にも生活の糧が得られ、富豪層には無駄な遊休地がないようにしたのである。
 また北魏給田制では、耕地の肥沃度を考慮して、正田に対応する倍田をあてがう規定があり、さらに正丁のいない老人世帯や身体障碍者の世帯には正丁の半分30畝を給田するなど、耕作地や労働者の状況に応じた給田をおこなっている。
 これが均給の意味である。
 北魏給田制は、一律均等の給田ではない。
 差等・階層をもうけて給田することが均給であり、その体系が「均田之制」である。
 北魏給田制には、漢代の「均田之制」のような、官人の爵制・品級による階層的な給田の制度は見えない。
 ただ、地方官については、・・・職位の階層制に応じた給田<がなされた。>」(178~182)

⇒均田制に係る堀敏一の唯物史観的評価と渡辺信一郎のイデオロギー・フリーの評価とは、半世紀の時間的間隔があるけれど、どちらも、それが、渡辺自身の言う「建前として皆が等しく租税、賦役、兵役をまかなうという社会(「耕戦の士」社会)」
https://myzyy.hatenablog.com/entry/2021/04/06/184037
を淵源としながらもその軍事的側面が完璧なまでに没却された代物へと堕してしまっていることに、堀が気付かないのはともかくとして、渡辺が気付かないか気付かないふりをしていることが、私には理解できません。
 とまれ、堀的にも、渡辺的にも、均田制が、支那社会の貧家層と富豪層への二極化を追認し固定化する制度であったことは間違いなさそうですね。
 そして、その皇帝を含む支配層にとってのメリットは、富豪層の遊休地をなくさせることで税収を増やすところにあった、とも。(太田)

(続く)