太田述正コラム#15062(2025.7.12)
<丸橋充拓『江南の発展–南宋まで』を読む(その1)>(2025.10.7公開)

1 始めに

 シリーズ 中国の歴史①にあたるシリーズに引き続き、シリーズ 中国の歴史②にあたる表記をシリーズでお届けします。
 最初に、本シリーズと直接関係があるわけではないけれど、関尾史郎新潟大名誉教授による、前シリーズ末尾の囲み記事中に登場したところの、静岡大教授在任中に無くなった重近啓樹氏、を悼む「私たち二人がそれぞれの大学に赴任した時分,東洋史の分野では,私大の出身者が国立大学に職を得るケースはさほど多くはなかった.いやほとんどなかったと言っても良いだろう.氏がこのことをどの程度意識されていたかは,ついぞ聞く機会を逸してしまったが,私はかなり意識していた.その分肩にたいそう力が入っており(今でもその名残があるのだが),同僚からたしなめられたこともあった.けれども,今までなんとか頑張って来られたのには,氏の存在がとても大きかったのだとあらためて思う.」
https://sekio516.exblog.jp/16971064
という一文、を、ご紹介しておきます。
 私は、故重近教授が、私学出身者だったからこそ、戦後の国立大出身の歴史学者達が正面から取り上げることが余りなかったと想像される軍制の研究も行い、結果としてその分野でも業績を残すことができたのだと思うのですが、2011年に亡くなられた同教授に、そういう意味で、遅ればせながら哀悼の意を表明させていただきます。
 そして、渡辺教授が、その後発見された史料があればそれらも踏まえたところの、この程度の、軍制についてのつっこんだ紹介、を怠ったこと、それならそれで、故重近教授のものに限りませんが、この論考程度のものへの言及すら省いたこと、は、残念である、と、申し上げておきましょう。
 さて、今回のシリーズで取り上げる本の著者の丸橋充拓(まるはしみつひろ。1969年~)にとっても、前シリーズの渡辺信一郎同様、京都大学出身であることが、渡辺教授に相通じる理由でハンデになっていないことを、祈るばかりです。
 なお、丸橋は、京大博士後期課程満期退学、同大博士、島根大助教授、准教授、教授、という人物です。
https://enpedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%A9%8B%E5%85%85%E6%8B%93

2 『江南の発展–南宋まで』を読む

 「・・・官僚の理想モデルとして、しばしば紹介されるのが、北宋の名臣、范仲淹<(注1)>(はんちゅうえん)(989~1052)<(注1)>である。」(xi)

 (注1)「苦学し、・・・1015年・・・に進士に及第し<、>・・・戸部侍郎<まで務めた。>・・・宋代士風の形成者の一人で、六経・易に通じ常に感激して天下を論じ一身を顧みなかったという。散文に優れ『岳陽楼記』(岳陽楼の記)中の「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ(先憂後楽、後楽園の由来)」は特に名高い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E4%BB%B2%E6%B7%B9
 「戸部<(こぶ)>・・・は・・・六部の一で、土地管理、戸籍、官人への俸給などの財務関連の行政を司掌した。祖型は三国時代の度支尚書であり、隋にて民部と改称され、更に唐より太宗の諱世民の民字を避諱して戸部と称されるようになった。長官は尚書(戸部尚書)で次官は侍郎(戸部侍郎)。」
https://www.weblio.jp/content/%E6%88%B8%E9%83%A8%E4%BE%8D%E9%83%8E

⇒漢人文明における「官僚の理想モデル」の中に、軍事のぐの字も出て来ないこと、更には、先取り的に申し上げておくけれど、経済のけの字も工学のこの字も出て来ないこと、に注目しましょう。(太田)

(続く)