太田述正コラム#15064(2025.7.13)
<丸橋充拓『江南の発展–南宋まで』を読む(その2)>(2025.10.8公開)

 「・・・「古典国制」<で>は、「一君万民」<(注2)という語にも表れているように、全ての人びとが皇帝とだけ君臣関係を結ぶよう求める。・・・

 (注2)「日本では律令制に由来し、吉田松陰や板垣退助が唱えた。・・・
 二・二六事件で反乱軍とされる勢力による『蹶起趣意書』は、一君万民論に基づき起草されたもので、皇国の「八紘一宇」完成への障害として「万民の生成化育」を抑圧させている特権階級を弾劾している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%90%9B%E4%B8%87%E6%B0%91%E8%AB%96

⇒「一君万民」という言葉は、日本発であり支那由来ではなさそうです。
 だとすれば、丸橋のこのような文章は誤解を生むというものです。(太田)

 <すなわち、>国家が垂直的・一元的な君臣関係を社会の末端まで貫き、横つながりを断ち切ろうとする。・・・
 では民衆はこれをどう受け止めるのか。
 表立った抵抗はもちろんしない。
 「国づくりの論理」を受け入れつつ、それとは別に、いざというとき頼りにできる仲間との間に横つながりの連携を暗黙裡に広げるのである。
 編戸であれば、地域の有力者を核に「郷党」<(注3)>と呼ばれるグループを組織する。

 (注3) ( 「郷」は一万二千五百家、「党」は五百家からなる古代<支那>の行政区画 ) 自分の出身地。郷里。むらざと。また、そこに住む人。同郷の人々。郷里を同じくする仲間。」
https://kotobank.jp/word/%E9%83%B7%E5%85%9A-478738

⇒「郷党」に、丸橋が言うような意味はなさそうですが、あるというのであれば、実用例と典拠を付けるべきでした。(太田)

 さまざまな目的ごとに、有志を募って任意団体をつくることも多い。
 アウトローたちであれば、仲間内のボスを中心に任侠集団を結成する。
 民だけではない。
 「国づくりの論理」のお手本となるべき官僚や士大夫たちも「朋党」<(注4)>と呼ばれる派閥をつくり、厳しい政争のなかで生き残りを図っていた。・・・

 (注4)「そもそも、朋党の形成について、儒教では批判的にみられており、『論語』では孔子の発言として「君子は矜にして争わず、群れて党せず」(衛霊公編)「君子は周して比せず、小人は比して周せず」(為政編)を記している。だが、実際には前近代の中国においては、たびたび朋党が形成され、反対派から攻撃されて政変の一因(例:党錮の禁)となった<。>・・・
 南宋の高宗は紹興2年(1132年)4月に朋党に対する厳罰を命じる詔を出し、明の洪武帝は『大明律』職制編に姦党条・交結近侍官員条・上言大臣特政条を設けて朋党を禁じ、清の雍正帝は『御製朋党論』を著し欧陽脩を批難し、一切の朋党を認めない姿勢を示している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8B%E5%85%9A

 本巻では、時代を超えた同質性を持つこうした「人つなぎの論理」全般を「幇<(注5)>(ほう)の関係」と仮称し、本論のなかで使っていくことにした。」(Xii~xiv)

 (注5)「幇・・・とは<支那>で、経済的活動を中心とする互助的な組織・結社・団体。省外や海外などの異郷にあって同業・同郷・同族によって組織される。また秘密結社を指す場合もある。宋代に始まり、厳格な規約のもとに強い団結力と排他的性格をもつ。
 各組織の経緯・構成員により性質が異なるが、同郷会・互助会・協同組合という穏やかなものから、下述のとおりマフィア・暴力団と同等の非合法勢力もあり、現代日本語では一律に定義できない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%87
 「厳格な規約をもち,強い団結力を示した。事務所を公所または会館という。清代以降は会党と呼ばれる反体制的な秘密結社に発展するものもあり,それには水運業者組合から発達した青幇 (チンパン) や天地会系の紅幇 (ホンパン) などがある。」
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%87-606017
 「・・・幇(パン)と情誼(チンイー)・・・」
https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/chuugoku-hou-chinii

⇒丸橋は、いわば幇を本来の意味よりも拡大して使う宣言を行っているところ、そうであるとすれば、幇の本来の意味を書いてくれないと困るわけですが、書いてくれていません。
 いずれにせよ、丸橋の言う幇≒私の言う一族郎党(コラム#省略)、です。(太田)

(続く)