太田述正コラム#15241(2025.10.10)
<皆さんとディスカッション(続x6402)/映画評論451:コマンドー>
</QrL2kBc>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
時間がなく太田コラムの全てを読んでいないからかもしれないけど、いまだに吉田茂が、なぜ条文改正(形式的改憲)は無理でも、解釈改憲(実質的改憲)をしなかったのか、また自らの後継者を育てることもできなかったのかが、今ひとつ腑に落ちない。↓
「・・・吉田自身が吉田路線の固定化を望んでいなかった以上、改憲・再軍備という本来の道筋に契機を付けるような取り組みを彼はしたのか。特に問題視したいのは、独立回復後、そして首相の座を降りた後の彼の政治姿勢である。吉田は経済中心の外交や軽軍備の路線はあくまで敗戦直後の国力喪失という異常事態における便法と考えていた。そして時が来れば再軍備するのは当然のことと理解していた。また戦後憲法も評価してはいなかった。それはマッカーサーが押し付けたものであり、独立回復後は自主的な憲法を制定することに異論を持っていたわけではない。平和憲法なるものは再軍備に抗い、その抗弁に使い得る好都合な代物に過ぎなかった。
そして独立の回復によって、正式な再軍備や改憲を為し得る時期が到来したが、吉田はそのような動きを見せず、それどころか改憲再軍備論者に激しく反発、抵抗した。確かに現職の首相として、自らが押し進めた路線や手法を自らが否定して回ることには無理もある。またレイムダック化した政権末期にそのような力は残されていなかったかもしれない。
だが引退後ともなれば、弟子や後継者、あるいは後継の内閣に対し、再軍備・改憲を促し、支援を為すことは可能だったはずだが、事実は全くの逆であった。吉田は改憲再軍備を説く鳩山の路線やより対等な形になすべく安保条約の改定をめざした岸の取り組みに反対した。自身の内心に近い路線を進めようとする後継者の足を引っ張り、便宜的な自身の政策の固定化に固執したのである。再軍備はまだ早いということだったのか。しかし、独立回復を果たしてなお再軍備が早計という発想は、大日本帝国当時の意識の持ち主としては不自然に過ぎる。
「講和条約後においてさえ、もし日本が憲法改正をしていたならば、日本は米国の再軍備要求を断るのにより大きな苦労をしたことであろう。そのため日本の経済発展の速度はかなり遅くなっていたかもしれない」(高坂正堯『宰相吉田茂』)と吉田の判断を是とする向きもある。だが、経済成長の速度が国家の基本をなす憲法の問題よりも重要だとは思えない。」
https://ippjapan.org/archives/9013?utm_source=chatgpt.com (※)
⇒旧憲法下での主権者として新憲法への非武装条項導入を命じたのも、また、この新憲法の成立後、憲法に違反して米軍の日本駐留を米国に直接要請して既成事実化したのも昭和天皇であり、吉田首相は、岳父の牧野伸顕・・事実上の最後の元老にして新憲法制定時の首相に吉田を就けた・・との関係からしても、昭和天皇、ひいては天皇制、を守るべく、これらの事実が明らかになりかねないような動きはとれなかった・・そんなことをすれば、昭和天皇自身が吉田を詰り、そのことが漏れる虞すらあった!・・からこそ、マッカーサーがまだ在任中に、駐留軍命令による憲法改正を画策したものの、マッカーサーの突然の解任によってその画策が無に帰した、という経緯があり、だからこそ、昭和天皇への抗議の意を込めて旧安保への署名を一人だけで行ったものの、1952年の日本の主権回復後、1954年に首相を下番するまでの間も、180度手のひらを返すようなことは、上記経緯にも照らし、できなかったということ。(コラム#省略)
>吉田は改憲再軍備を説く鳩山の路線やより対等な形になすべく安保条約の改定をめざした岸の取り組みに反対した。
これ↑については、※は、主権回復前ないしは吉田の首相在任中の話としており、彼の首相下番後の話ではないことに注意。
なお、吉田にも大きな過失はあったのであり、朝鮮戦争勃発時のマッカーサーによる再軍備命令に彼は従うべきだったのであって、この千載一遇のチャンスを彼が自ら逃してしまったことがそれだ。
もとより、最大の責任は、主義信条がそうしからしめた昭和天皇、と、この昭和天皇が作った体制を私利私欲のために恒久化した岸信介、の2人にあること(コラム#省略)を、我々は決して忘れてはならない。(太田)
<太田>
安倍問題/防衛費増。↓
<自民党が、この程度が「丸のみ」できないとは恐れ入る。↓>
「・・・公明は連立維持の条件として、公明と国民民主党が3月にまとめた、献金の受け手を政党本部と都道府県組織に限る案を「丸のみ」するよう自民側に要求しているという。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e533044fc2216aa6f96287fae8f2bc829f4b7655
ウクライナ問題/ガザ戦争。↓
<とにかく、「戦争終結」まで見届けよう。↓>
「イスラエル、ガザ人質交換を承認-戦争終結に向けた重要な第一歩・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB-%E3%82%AC%E3%82%B6%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E3%82%92%E6%89%BF%E8%AA%8D-%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%B5%82%E7%B5%90%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E9%87%8D%E8%A6%81%E3%81%AA%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AD%A9/ar-AA1OaTV9?ocid=msedgntp&cvid=9b70e95822104e528406ff3fcdb3129d&ei=26
妄想瘋癲老人米国。↓
なし。
それでは、その他の国内記事の紹介です。↓
筆者は、邪馬台国畿内説をとっているが、纏向遺跡はヤマト王国出現・・崇神天皇?・・の結果、と、私は見ているわけだ。
なお、筆者がタウポ火山に着目した点は面白い。↓
「・・・『後漢書』東夷伝では、2世紀後半の倭国の状況について、「こもごも相攻伐し、歴年主なし」とあり、「倭国大乱」の様子を伝えている。天岩戸隠れと考えられるタウポ火山の噴火は、東アジア全体に社会的混乱をもたらした。・・・
異常気象は2年間続き、中国では184年に黄巾の乱が発生し、後漢の衰退を招き、『三国志』の時代へと入る。『後漢書』には、181年2月、太陽が黄色い大気に覆われた(「黄気抱日」)とある。黄巾(こうきん)の乱を起こした太平道は、「蒼天すでに死す、黄天まさに立つ」をスローガンとしたが、コンピュータ解析による気候シミュレーションによって実際に中国上空が黄色く染まったことがわかっている。・・・
古代日本にとってとりわけ大きな問題は、朝鮮半島からもたらされる鉄の供給が不安定化したことだ。比較的、鉄を確保しやすい北部九州や日本海沿岸部に対して、瀬戸内海東部から畿内、東海にかけてでは、少ない鉄の確保を巡る争いが発生することになった。2世紀後半から3世紀後半までの鉄器の出土量を見ると、九州が突出して多く、次いで出雲、瀬戸内海西部となっている。さらに、これらの地域の鉄器のほとんどは工具や農具といった生活に用いるものだ。一方で、瀬戸内海東部や東海地方では鉄器の出土量は少なく、氷上回廊でつながるタニハや播磨では鉄器が多く出土しているが、圧倒的に武器が多い。・・・
瀬戸内海東部から畿内にかけての混乱に対して、北部九州連合は九州東部に高地性集落を造営し、ブロック経済を構築した。これによって、瀬戸内海東部から畿内における鉄供給量はますます減ったことだろう。やがて、北部九州の経済圏に対抗するために、「相攻伐」する状態だった瀬戸内海東部から畿内にかけての諸勢力は連合を組むことになったと考えられる。・・・
3世紀初頭に突如として出現した纏向遺跡は、面積約300万平方メートルに及ぶ巨大集落であり、遺跡全体に水路が巡らされた計画都市だった。さらに発見された建造物は南北約19.2メートル、東西約12.4メートルに及び、付随する建築物の軸線をそろえた最先端かつ最大級の建築物群である。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3577711607c1e125540ee50e24393bceb79bf9c1
日・文カルト問題。↓
なし。
ドンマイドンマイ。↓
「なぜ台湾は日本のようにノーベル賞が取れないのか・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b961784-s25-c30-d0193.html
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<賛否どちらも一理はあるね。↓>
「「日本はノーベル賞の数でリードも科学技術では中国に大きく後れ」=中国企業関係者の主張にネット賛否・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b961754-s25-c30-d0052.html
<日台ネット民の勝ち。↓>
「中国人がドンキのポテチに驚きの「言いがかり」、日台ネット民がツッコミ・・・」https://www.recordchina.co.jp/b961751-s25-c30-d0052.html
<ご愛顧に深謝。↓>
「上海で「ウルトラマン」テーマ展開催、作品を長く生かす鍵とは?・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b961755-s25-c30-d0201.html
<総体継受、進捗中。↓>
「日本の焼肉店が外国人だけにドリンク注文を強要?中国ネット「日本人の場合は…」・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b961768-s25-c30-d0052.html
<よっくお分かりで。↓>
「高市早苗氏、秋季例大祭の靖国参拝見送りへ=中国ネット「残念だ」と皮肉、「結局米国に追従」の声も・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b961745-s25-c10-d0193.html
–映画評論451:コマンドー–
今回の「『コマンドー』(Commando)は、1985年に<米>国で公開されたアクション映画<で、>監督はマーク・L・レスター、主演はアーノルド・シュワルツェネッガー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC
であり、前に観たことがあるが、楽しめた。
主人公の娘役のアリッサ・ミラノ(Alyssa Milano。1972年~)は、この映画以降、大人になっても活躍したところの、無学歴の米女優、デザイナー、慈善活動家、元歌手で、往時は美人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%8E
助演のレイ・ドーン・チョン(Rae Dawn Chong。1961年)は、「父親は中国・スコットランド・アイルランド・フランスの、母親は黒人とチェロキー族の血を引いている」・・・無学歴のカナダ女優で、やはり、往時は美人。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=9Fd%2bC4tT&id=7403B773B1BF2224C34260810968FD363C30ACEC&thid=OIP.9Fd-C4tTCzAUlX55bryNOgHaMi&mediaurl=https%3a%2f%2fcdn.amomama.com%2fc252e93640c813e2703ea4f82a0ccc26.jpeg%3fwidth%3d1210%26height%3d2048&exph=2048&expw=1210&q=rae+dawn+chong&FORM=IRPRST&ck=2C11114DBEBA3FCEECC2E11DB41895A6&selectedIndex=0&itb=0&idpp=overlayview&ajaxhist=0&ajaxserp=0 ←写真
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太田述正コラム#15242(2025.10.10)
<岡本隆司『中国」の形成』を読む(その13)>
→非公開