太田述正コラム#15128(2025.8.14)
<丸橋充拓『江南の発展–南宋まで』を読む(その34)>(2025.11.8公開)
「・・・中国と西欧の命運が分岐した理由はさまざまな説明が考えられるが、商人が国家権力から自立した独自の階級を形成しえなかったことは、大きなポイントの一つである。・・・
たとえば宋代の商人たちは「行<(注97)>(こう)」と呼ばれる同業組織を結成している。
(注97)「宋以後、都市の商人の同業組合。狭義に「牙行(がこう)」、すなわち仲買商をさすこともある。・・・
両税法の施行と前後して,商工活動を県城レベル以上の,都市の一郭に限定して統制する原則がくずれ,都市内や近郊での営業の場所・時間が自由になったばかりか,農村におびただしく発生した半都市(鎮)や村市でも商工活動は活発になった。新興の商工業者は相互の競争を調整し,価格や品質を規制し,対官折衝や相互扶助に便をはかるため,業種別に集居し,共同の祭神を祭りつつ行(商店)や作(手工業者)と呼ばれる商工組合をつくった。両税法の下で,実質的な都市税に当たる科配(臨時の徴発),雑買(官庁用度の買上げ),行役(行の徭役)が課されると,中級以上の行は政府に登録されて当行(とうこう)ないし行戸祗応(こうこしおう)と呼ばれる御用達の対象となり,その代りに営業独占の特権を認められた。こうして自治力をつけた行は,政府の無差別な徴発に対して改革を要求し,王安石は免行役銭をはじめて,小商人も行に加入させる代りに,資産に応じて免行銭を納めさせ,用度の調達は政府の手で行うことにした。
行の運営は行頭・会首と呼ばれる役員が寡占し,対官折衝,営業独占,価格・規格の統制,祭祀,相互扶助,下級の裁判,自衛,福祉を執行した。明・清時代に商業が最盛期を迎えると,行の構成にも階層の分化が生じ,大中都市ではその地方の商圏をおさえる粮店(り<ょ>うてん),貨店,当鋪(金融業),銭荘(銀行業)などの大行が,業種や出身地別の絆をこえて団結し,ギルドマーチャントをつくり,傘下に業種別,出身地別の行を収め,その下に平職人ギルド,種族別ギルド,さらに街路単位の友誼団体や宗教結社を包み込んだ。宋代にみられるような政府御用達の側面は,塩,銅,貿易において発展したが,一般の行はむしろ表面は宗教団体をよそおい,あるいは出身地別の農・商・官吏の友誼団体である会館・公所を拠点として実力を養い,自治色を一層強めた。」(斯波義信)
https://kotobank.jp/word/%E8%A1%8C-2769
斯波義信(1930年~)は、東大文(東洋史)卒、同大院修士、熊大助教授、東大博士(文学)、阪大助教授、教授、東大教授、国際基督教大教授、(財)東洋文庫理事長、文庫長。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AF%E6%B3%A2%E7%BE%A9%E4%BF%A1
「用度調達とは、物品やサービスを調達する業務のことを指します。 主に以下の3つのカテゴリーに分けられます:・購入: 必要な物品を購入すること。・賃借: 必要な物品を借りること。・受贈: 無償で物品を受け取ること。」
https://www.bing.com/search?q=%E7%94%A8%E5%BA%A6%E3%81%AE%E8%AA%BF%E9%81%94
これを欧州のギルドと重ね、そこに「資本主義の萌芽」を見出そうとする考え方もかつてはあった。
しかしその後の研究において、「行」は国家が必要とする物資の調達や、国家が徴収した財物の市場引き受けなどを担う下請け的な組織であったことが明らかにされた。
⇒「注97」で紹介した斯波説も、また、梅原郁(注98)によるコトバンク掲載の「行」についての説・・「宋代の行で特徴的なことは初期には行役(こうえき)と称して,官庁の必要物貨を各行が時に応じて納入し,政府もまたその徴収のために行の編成に介入していた点である。行役は1073年(熙寧6)に免行銭として銭納化された」
https://kotobank.jp/word/%E3%81%8E%E3%82%8B%E3%81%A9-3149516
・・も斯波説と概ね同じである以上、丸橋は、自説についての典拠を明らかにすべきでした。(太田)
(注98)うめはらかおる(1934~2020年)は、京大文(東洋史)卒、同大院博士課程単位取得退学、神戸学院大助教授、京大助教授、教授、同大博士(文学)、名誉教授、就実女子大教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E9%83%81
ギルドのように排他的な特権を持つ自律性・完結性の強い団体として、「行」を位置づけることは難しいのである。」(143~144)
⇒西欧における商工ギルドについても、「一般に封建制における産物とされ<、>・・・個人の自由な経済活動を阻害したともいえる。近世の絶対王政下において各都市の自主性が失われ王権に屈していく中で、ギルドは王権に接近して特権集団として自らの利権擁護を図った。しかし徐々に市民階級が成長すると、閉鎖的・特権的なギルドへの批判が強まり、市民革命の中でギルドは解体を余儀なくされた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89
という前近代的な代物であり、ギルドに比して行を貶める発想そのものがおかしいと思います。
「ギルド・・・が市参事会を通じ<て>市政運営を」行っていた(上掲)のに対し、行に関してはそういったことが見られなかった点については、ゲルマン人の弥生性に由来する民主主義的伝統が西欧にはあったからに過ぎません。(太田)
(続く)