太田述正コラム#3373(2009.7.3)
<バイロンの短く激しい生涯(その2)>(2009.11.4公開)
 「・・・オブライエンは、バイロンの手紙、とりわけ彼の他に比肩しうるものがないラブレター群、と彼の日記類・・その中には、最後の、そしてある意味では最も重要な愛人であったテレサ・グイッチオーリ(Teresa Guiccioli)についての記述がある・・を夥しく発掘した。
 このイタリアの伯爵夫人との間で、彼は、その傑作である『ドン・ジュアン(Don Juan=ドン・ファン)』を生み出すのと平行して、ついに<愛が>充足されるという経験をする。
 オブライエンが記すように、「そのふんぞり返った歩行と虚勢にもかかわらず、バイロンの真のテーマは愛だった」のだ。・・・
 彼は<父親には捨てられたようなものだったし、彼の躁鬱病であった>母親との関係は抑圧的になったり暴力的になったりを繰り返した。
 <また、>彼の乳母は彼を虐待した。
 その結果もたらされたものは、放蕩的かつ無差別的な、性的な、あるいは恐らくは、愛情への渇望(appetite)だった。・・・
 その間ずっと、彼は自分の母親違いの姉との近親相姦的関係を継続した。
 そして、彼の哀れな妻とこの姉の二人ともが妊娠した時、彼は自分の俳優たる情婦を、この二人と共に暮らしていた家に招き入れると脅した。
 彼の妻が出産した夜、彼は家の回廊を歩き回り、いつも身につけているピストルを振り回し、自分が「地獄にいる」と叫んだ。
 それから彼は、妻と赤ん坊を二人とも殺すと脅した。
 後に、彼がイタリアに亡命していた期間に、メアリー・シェリーのまま姉妹が彼の不義の娘を生んだ時、彼は何度も彼女を罵る一方で、子供のことは全く気にかけなかった。
 しかし、この男は同時に、英語でのいくつかの最も偉大なラブレターを書き上げた人物でもあるのだ。
 例えば、ラム(前出)に対する別れの手紙で、彼は、「ここにあるすべてのものと墓に持って行けないすべてのものを喜んであなたの手に委ねるであろうことをあなたは知っているだろう」と記している。
 また、彼のイタリアの伯爵夫人(上出)に対しては、彼は、「私の人生、私の名誉、私の愛、といったあらゆるものがあなた次第なのだ。あなたを愛することはルビコン河を渡ることであり、既に私は自らの運命を決定したのだ」と書き送った。・・・」
http://www.latimes.com/features/books/la-et-rutten17-2009jun17,0,4459039,print.story
(6月17日アクセス)
 「・・・<バイロンを>第二のカリギュラ(Caligula<。12~41年。ローマ皇帝>)<と呼ぶ者もいた。>
 <バイロンは、>躁鬱病であり、また、そのエディプス・コンプレックスにより、彼が一度も会ったことがない父親に取り憑かれることとなった。・・・
 内反足(club foot)の汚点・・・<そして>不格好な右の脚<がバイロンのコンプレックスとなった。>・・・
 27歳で、オブライエンが言うところの、「すべての詩人の中で最も公的な(public)結婚」をするまでに、彼は既に彼の母違いの姉のオーガスタ・レイ(Augusta Leigh)との間で子供をなしていた。・・・
 ・・・<彼の>結婚相手は、アナベラ・ミルバンク(Annabella Milbank)だった。・・・
 バイロンによると、これはカネ目当ての結婚だった。・・・
 彼の<男女を問わず>人を惹き付ける能力には魔術的なものがあったと、いうのが彼の友人・・・の意見だ。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/06/14/books/review/Harrison-t.html?_r=1&pagewanted=print
(7月2日アクセス)
 「・・・バイロン自身の推計によれば、関係を持った男女(toolings)は約200人にのぼる。・・・
 彼は早くして賞讃を浴びたが、その後、不道徳、工作下手、更には盗作について攻撃を受けることとなり、バイロンは欧州大陸で残りの生涯にわたって亡命生活を送る羽目に陥った。
 オブライエンが我々に教えてくれるように、「バイロンはぶっきらぼうに「私はイギリスに向いていない(unfit)しイギリスは私に向いていない」と述べた」・・・のだった。
 やがて、彼はヴェニスに居を定める。
 そこで彼は数限りない「関係を持った男女」をつくったようだ。
 「厚かましくも伯爵夫人から靴の修繕屋の妻に至る戦利品を列挙する一方で、母親達と父親達と彼等の娘達」<と関係を持つべく>交渉を行った、とブライエンは記す。
 しかし、1819年の春に至って、若きテレサ・グイッチオーリ伯爵夫人に出会うと、彼はその愛情と性的エネルギーの大部分の焦点をたった一つの不倫関係にしぼることになる。
 彼は、法王庁のイタリアに対するところの、妨害にあって挫折する戦いに身を投じるが、テレサに対する愛が少し冷めた頃、セファロニア(Cephalonia)に向けて海を渡り、恋愛関係に投じる熱意に匹敵する熱意で、オスマン帝国に対するギリシャの独立戦争に身を投じるのだ。・・・」
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/06/19/RVI51886GU.DTL
3 終わりに
 バイロンは心身ともにボロボロになって36歳で死を迎えるのですが、先日50歳でやはり心身ともにボロボロになって亡くなったマイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson。1958~2009年) のことが頭に浮かびますね。
 天才的芸術家にはこういう人が少なくないわけですが、こういう類の人々と、性的、非性的のいかんを問わず、関わった人々はたまったものではありません。
 しかし、バイロンやマイケル・ジャクソンは見事な芸術作品を残すことができた、という意味では幸せでした。
 躁鬱病者(コラム#2805)であっても、当然のことながら、芸術的天分のない人や、芸術的天分があってもそれを発揮する機会を逃した人が圧倒的に多いからです。
(後注)マイケル・ジャクソンが躁鬱病を含め、精神病を患っていたという説はない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Jackson