太田述正コラム#3622(2009.11.2)
<正義について(その1)>(2009.12.10公開)
1 始めに
 ハーバード大学の学部で、毎年、1,000人の学生が集まる超人気講義が本になり、米国(と部分的に英国)でかなりの話題になっています。
 同大学政治学教授のマイケル・サンデル(Michael Sandel)の ‘Justice: What’s the Right Thing to Do?’ です。
 超人気講義とは言っても、内容は高度ですが、いつものように、この本の書評を活用して、どういうことが書かれているのかに迫ってみましょう。
A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/27/AR2009102702841_pf.html
(10月29日アクセス。以下同じ)
B:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6866091.ece?print=yes&randnum=1256808771312
C:http://www.newstatesman.com/print/200910010033
D:http://www.economist.com/books/PrinterFriendly.cfm?story_id=14492347
E:http://chronicle.com/article/Michael-Sandel-Wants-to-Talk/48573/
2 正義について
 (1)序
  「・・・1884年に英国のモクセイソウ(Mignonette)号が南大西洋で浸水沈没した。
 船長を含む4人の乗組員は救命ボートで逃れたが、二個のカブの缶詰しか食べ物がなかった。
 生存者達の一人は、船室走り使いの17歳の孤児の少年で、海水を飲んだためにすぐ病気になった。
 海上に漂い始めてから19日目、完全にやけっぱちになった船長・・・は、くじ引きで殺される1人を決めて残りがその死体を食べて生き残りを図ることを提案した。
 しかし、1人の男が反対したため、この計画は頓挫した。
 しかし、その翌日、船長は、残りの人々に目をそらしているように言い、祈りを捧げた後、船室走り使いの喉を切り裂いた。
 4日後に「我々が朝食をとっている時に」乗組員達は船を発見した、と後に船長は記した。
 イギリスに戻ると、3人の生存者達のうちの2人が殺人で起訴された。・・・」(E)
 といった具体的な例をいくつも出して、さあ、あなたはどう思いますか、とサンデル先生は問いかけます。
 そして、宿題として、「アリストテレス、ジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、ジョン・ロック、ロバート・ノジック(Robert Nozick<。1938~2002年>)」(E)らの本を読むように促すのです。
 この5人に、後ほど登場するカントとロールズの2人を加えた7人中、古典ギリシャ人のアリストテレスとドイツ人のカントを除き、5人が英米人・・ベンサム、ミル、ロックがイギリス人でノジック(注1)とロールズが米国人・・であり、サンデルのようなアングロサクソンにとっては、参照すべき思想は、ほぼアングロサクソン世界の中で自己完結している、ということが分かります。
 (注1)ユダヤ系のハーバード大学の哲学者。財産権は絶対であるとし、成人が自由意思で他の成人の奴隷になる契約は有効である、と主張した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Nozick
 (2)総論
 「・・・サンデルは、私利、功利主義、あるいは費用便益分析のような市場を真似た諸理論、に立脚した道徳的意志決定を是とする諸学派に異を唱えてきた。
 サンデルに言わせれば、彼等は、全員、ふるまいを個人の見地から評価し、生得の私利と利己性に訴えているのだ。
 彼等は全員、失敗した。
 諸制度に対する信頼性が揺らいできた現在、我々は、何かもっと倫理的に健全でコミュニティーに立脚したものによって、その行いを律する必要がある、と彼は言う。・・・
 民主主義諸国において、過去50年間にわたって、宗教や精神性を政治的議論から排除し、市民の世界(civic sphere)における行動を律するのは理性だけであるとの信条を肯定する傾向があったことを彼は示唆する。
 我々は、そうではなく、主要な社会的諸問題について、異った信条体系間の討論を公開で行い、我々の意思決定を・・双方のうちのどちらかの党派的信条に屈するようなことなく・・かかる討論の知的結果に基づいて律するようにすべきである、と彼は主張する。
 「我々が、道徳的な異論をぶつけあうことで、より健全な形で公に関与すれば、我々の間で、相互的敬意を、より弱い基礎の上にではなく、より強い基礎の上に築くことができる。道徳的かつ宗教的諸確信を同輩たる市民達が公の生活に持ち込むことを回避するのではなく、我々は、<道徳的かつ宗教的諸確信をひっさげて、>公の生活により直接的に関わるべきなのだ」と。・・・」(B)
 「・・・サンデル<の考え方>は、古典ギリシャまで遡る伝統に属する。
 すなわち、彼は、道徳哲学は市民的討論の延長かつ洗練化であると見る。
 アリストテレスのように、彼は体系的に教育された人々の常識を追い求めるのであって、かかる常識を専門家の知識や抽象的諸原理によって代替するようなことはしないのだ。・・・」(C)
 「・・・ジェレミー・ベンサムやJ・S・ミルのような功利主義者達にとっては、正しい行動は、粗っぽく言えば、人間の福祉(well-being)を最も増進するものだ。
 カント主義者達は、個人的諸権利を強調するとともに、他者をあなたの目的のための手段として利用してはならないと強調する。
 サンデル氏は、その上で、これらの<思想家達の>学問的な諸解答のそれぞれについて、異論と、その異論に対する反論とを提示する。
 彼は、<この2派>に目配りをしつつも、この2派に対して厳しくあたることによって、読者達をアリストテレス的なアプローチへと小突いて動かして行く。・・・」(D)
(続く)