太田述正コラム#2577(2008.5.29)
<竹山道雄抄>(2008.11.30公開)
1 始めに
 コラム#1019で、
 「ナチスのホロコーストは、ポグロムのカトリック・プロテスタント版であると言えますし、共産主義自体がカトリシズムの鬼子と言えるのであって、各国において共産主義が行った天文学的な数の「階級の敵」殺しはカトリシズムの伝統を踏まえた異端殺しである、と言ってよいでしょう。(このヒントを得たのは、独文学者にして評論家であった竹山道雄(1903~84年。「ビルマの竪琴」の著者として有名)の「昭和の精神史」(新潮社。1956年)を通じてだったと思う。)」
と記したところです。
 要するに、「ファシズムと共産主義はキリスト教から生まれた。このヒントを得たのは、竹山道雄の「昭和の精神史」を通じてだったと思う。」と言っているわけですが、本日調べてみたら、「昭和の精神史」ではなく、『見て 感じて 考える』(創文社。1953年)に収録されている「進歩思想について」(1952年5月)と「精神史について」(1951年11月)でした。
 竹山がどんなことを言っているか、ご紹介しましょう。(『見て 感じて 考える』は、その後、新潮文庫に収められています。下に出てくる頁は新潮文庫のものです。)
2 竹山道雄の指摘
 (1)「進歩思想について」より
 「近代になって、人間精神が現世化されるにしたがって、キリスト教の彼岸的超絶的な性格からはなれた。しかし文明は人が上衣を脱ぐように、簡単にその過去を脱ぎ捨てることはできない。これから、さまざまのキリスト教の思想が、形をかえて鋳出されることとなった。その超自然の色彩がぬりかえられて、現世の姿をとって生れかわった。
 いままで神の御旨とされていたものは、人間の理性におきかえられた。神の命ずる道徳律は、人間の社会的な博愛行為となり、いつか来るとつげられた神の國は、むしろ人間の理性によって現世に実現されるべきものと考えられるようになった。キリスト教は来世を信仰したがいまや人間の現世における道徳的完成と文明を無限に進歩させるという信念が、人間努力の最終の目標となった。」(223~224頁)
 「このようなよりよき完成への進歩という考え方を、はじめてはっきりと公式化したのは、ルソーに影響をあたえたフランスの司祭サン・ピエール(1743年死)だった。この人が僧職の人だったということが、進歩という考えがもともとキリスト教から出たものである、という系譜を示しているといえよう。
 理性による進歩ということを、もっとも典型的に説いた人は、コンドルセである。彼はフランス革命の恐怖政治のさ中に、死刑を宣告されて潜行生活をつづけながら、高貴な情熱をもって、一冊の参考書もなしに、『人間精神進歩史』を書きあげた。」(224頁)
 「歴史に内在する必然的な向上をはばむ社会機構を改革し、過去の残滓的思想を一掃し、これによって社会の欠陥を正す。人間の本性も生活も、理性の力によってきわめつくされることができるし、計画的に規正されることができる。しかもこれが一挙に、次の段階に成就されるはずである。–このような進歩主義の古典的公式は、はやここにうちたてられた。」(225頁)
 「進歩発展という観念はふかく根をはって、これから後は、もはや疑われることはなかった。はなはだ保守的なドイツ観念論にとってすら、これは自明のことであり、世界歴史を理性の実現の発展過程として説明したヘーゲルから、マルクシズムが生れることとなった。」(226頁)
 「<しかし、>歴史の直線的な進歩という観念は、・・・思想史上にはもはや完全に過去のものとなったものである、」(231頁)
 「進歩と観念の後退ということは、近代ヨーロッパ文明の自信の喪失ということと結びついているのであろう。」(232頁)
 (2)「精神史について」より
 「元来ドイツ人は観念・理念・精神が大好きであり、すべて現象をそのあらわれとして見ようとする傾向はむかしからつよかった。これがずいぶんグロテスクな形をとることもあり、ときには痴人夢を説くような始末にもなった。日本でもドイツから観念主義を学んで以来、この未熟な領域に彷徨して、いまだ足が地についていない感じである。」(221~222頁)
 「イギリスの啓蒙思想は冷静な学問研究であたが、フランスのそれは大なり小なり激情的扇動的な抗争であったというが、われわれの周囲ではいまなおそれが行われているのである。しかし、この啓蒙思潮的思考はもうとくに反省されるべき段階にきている、と思うのである。」
3 コメント
 今、読み返してみると、竹山は、必ずしもファシズム(ナチズム)もまた、「キリスト教の思想が、形をかえて鋳出され」たとは言っていません。
 にもかかわらず、私は、マルクシズム(共産主義)だけでなく、ファシズムもまた、キリスト教の変形したものだと竹山が指摘した、と大学時代に『見て 感じて 考える』を読んだ時に受け止めたようです。
 竹山のように、キリスト教の世俗的変形=進歩主義、ととらえてしまうと、ファシズムが果たして進歩主義か、と首をかしげることにもなってしまいます。
 しかし、ナチスの実質最初の党名は「ドイツ労働者党」であり、その綱領は反資本主義・社会主義色が濃く、後の正式名称の「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国民社会主義ドイツ労働者党」を見ても、ナチスの共産党との類似性は明かでしょう。
 (ちなみに、支那語では「民族社會主義德意志工人黨」ないし「國家社會主義德意志勞工黨」と表記し、朝鮮語では「民族社會主義獨逸勞動者黨」されています。日本語でも「民族」と表記する方が正解かもしれませんね。)
 (以上、事実関係は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A
(5月29日アクセス)による。)
 もう一点興味深いのは、竹山には、イギリスと仏独等欧州諸国を峻別する兆しが見られることです。
 このことに私が無意識的に影響をされたことが、後にマクファーレンの『イギリスにおける個人主義の起源』(コラム#1397)を読んだことを契機として、私が牢固としたイギリス文明・欧州文明峻別論を抱くに至る布石となった、と言えるのかもしれません。
 ところで、以前から私が不思議に思っているのは、どちらも全体主義について深く考えた文学者であるところの、イギリスのオーウェルと日本の竹山が、濃厚なビルマ(ミャンマー)滞在経験を共有している(オーウェルについては、コラム#2099参照)ことです。
 いやいや、英国の植民地であった当時のビルマ、しかも仏教国のビルマでの滞在経験が、全体主義についての考察を促したはずがない、と思い直しつつも、何か関連があるのではないか、とあれこれ考えをめぐらしているものの、まだ考えがまとまりません。