太田述正コラム#3698(2009.12.10)
<国際連合の生誕(その1)>(2010.4.13公開)
1 始めに
 太田コラムで既に何度か登場したマゾワー(Mark Mazower<。1958年~>)が、今度は ‘No Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations’ を上梓しました。
 国際連合(国連)そのものを余り評価していない私が、国連の生誕を扱った本をとりあげるのには理由があります。
 国連ができたのは、先の大戦の最中であり、国連の生誕について知ることは、先の大戦そのものの理解に資するであろうことが第一点、そして、何と言っても、この本の著者がマゾワーであることが第二点です。
 マゾワー自身についても改めてご紹介しておきましょう。
 彼は、現在、コロンビア大学の歴史学の教授をしており、オックスフォード大学で古典と哲学を専攻し、ジョンズ・ホプキンス大学のボローニャ・センターで国際問題を勉強してからオックスフォードに戻って近代史の博士号ををとりました。
 ロンドン大学のバークベック校(Birkbeck)とサセックス大学で勤務した後、米国に渡り、プリンストン大学で教鞭を執った後、現職に就きました。(B:後出)
2 マゾワーの先の大戦観
 ちなみに、マゾワーの先の大戦観は、以下のようなものです。
 「・・・英国のナチズムとの戦争は、道徳的十字軍というよりは、全球的な現状(status quo)を守るためのものであったように見える。
 自由と自己決定権のための戦争と言っても、それは植民地には適用されなかった。・・・
 ・・・この戦争が英国の植民地支配の終焉をもたらすという見方は、<チャンドラ・ボースの>かつてのすべての国民会議派の仲間達が共有しているところだった。・・・
 インドや日本から見れば、この戦争は互いに競争相手であった帝国主義諸国の間のものであって、欧州諸国が世界をどうぶんどり合うかを巡っての1世紀以上にわたる闘いが最高潮に達したものだった。・・・
 <そして、この戦争の結果、>ドイツは欧州におけるその帝国を失ったが、英国は、欧州外におけるその帝国を失ったのだ。・・・」
http://www.dawn.com/wps/wcm/connect/dawn-content-library/dawn/the-newspaper/international/time-for-new-perspective-on-world-war-ii-599?pagedesign=Dawn_PrintlyFriendlyPage
 それでは、書評等を通じて、この本でマゾワーがどんなことを言っているかをご紹介しましょう。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/864a873e-d568-11de-81ee-00144feabdc0.html
(11月21日アクセス)
B:http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?storycode=409186
(12月9日アクセス。以下同じ)
C:http://www.boston.com/ae/books/articles/2009/11/01/imperialism_and_the_birth_of_the_un?mode=PF
(著者のインタビュー)
D:http://www.theaustralian.com.au/news/arts/united-nations-of-untied-notions/story-e6frg8nf-1225806169442
E:http://ilreports.blogspot.com/2009_11_08_archive.html
3 国連の生誕
 「・・・これは、国連を古の帝国的かつ人種的秩序を守る手段と見た南アフリカの政治家ヤン・スマッツ(Jan Smuts<。1870~1950年。アフリカーナ(オランダ系)。元帥・政治家・哲学者。南ア連邦首相:1919 ~24年、1939~48年
http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Smuts (太田)
>)、いかに国連がジェノサイドやその他の残虐行為と戦うべきかについて角突き合わせたユダヤ人知識人たるラファエル・レムキン(Raphael Lemkin<。1900~59年。ユダヤ系ポーランド人。トルコのアルメニア人迫害問題の研究を通じてジェノサイドという言葉を創った人物
http://en.wikipedia.org/wiki/Raphael_Lemkin (太田)
>)とジョゼフ・シェクトマン(Joseph Schechtman<。1891~1970年。ユダヤ系ウクライナ人で米国に移住。シオニスト運動家
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Schechtman (太田)
>)、そしてインドの最初の首相であり、国連を帝国の道具からそれを終わらせるためのフォーラムへと変貌させるのを助けたジャワハルラル・ネール(Jawaharlal Nehru)といった人々の間の衝突を通して語られた物語だ。・・・」(E)
 「・・・マゾワーは、国連を、ナチによる戦争を避けることに失敗したことで汚名を被った国際連盟の再構成であると定義する。
 国連の主要なイデオローグの一人はヤン・スマッツだった。
 彼は、かつての<ボーア戦争の際に英軍と戦った>ボーア軍の司令官であったところ、その後<英>帝国主義者に転じ、国際連盟と国連のどちらの創建にも関わった。
 スマッツは、自分の国における諸人種の「分離された(separate)発展」を好み、英国の白人諸領域からなる英連邦を国連の文明化任務のモデルかつ基礎と見なした。
 彼のこの世界観は、オックスフォードの古典学者のアルフレッド・ジンマーン(Alfred <Eckhard >Zimmern<。1879~1957年。父親がユダヤ人の英国人。英連邦や福祉国家という言葉を創った人物。ユネスコの創設にも貢献。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Eckhard_Zimmern (太田)
>)らの知識人によって共有されていた。
 ジンマーンは、国連を英帝国の自覚的道徳的リーダーシップを残りの世界にも及ぼすための枠組みと見ていた。・・・
 ・・・<ところがその>国連は、帝国の道具から反植民地フォーラムへと変化したのだ。
 <また、国連の>焦点は、少数派の集団的権利を守ることから個人の人権を守ることへと切り替えられたところ、その国連は、国際連盟がそうであったよりも、はるかにしゃかりきになって国家の主権を守ることになった。・・・」(A)
 「・・・国連は、相対的にはより平等主義的であった国際連盟からの意図的後退を示している、とマゾワーは主張する。
 国連総会は、おおむね国際連盟の総会よりも少ない力しか持たされなかったし、(英国、支那、フランス、米国、ソ連という)安全保障理事会の5つの常任メンバー諸国はもっと力を持たされた。
 この新しい機関<たる国連>は、連盟がそうであった以上に、大国によって運営されることとなったし、国際法への信頼の寄せ方ははるかに少なかった。
 二つの世界大戦の間の期間における国際主義の指導的理論家であったスマッツやアルフレッド・ジンマーンのような「帝国主義的国際主義者達」は、国連を、「英国を保護(cushion)し、その米国との紐帯を固め、ソ連が世界的大国となったという不幸だが我慢できることとの折り合いをつけるための」道具と見た。・・・
 国連憲章のインクが乾くか乾かないかのうちに、スマッツは、南アフリカの支配を、ドイツの植民地であった南西アフリカの領土を完全に併合することで、そこに及ぼそうとした。
 結果は、スマットは国連総会で恥をかき、その撤回に追い込まれた。
 時代が変化しつつあった中における、スマッツによる<南西アフリカの>併合は、ひどいヘマ(out of kilter with)だった、とマゾワーは記す。
 「国連は、古の諸帝国の維持に見て見ぬふりをするかもしれないけれど、諸帝国が更に拡大することは認めるわけにはいかなかったのだ」と。・・・」(D)
(続く)