太田述正コラム#4858(2011.7.9)
<支那における自由民主主義的伝統の発掘(その4)>(2011.9.29公開)
 最後に、更に遡って、LIUが最初に持ち出した老子についてです。
 「我々は、最初にそれを、紀元前6世紀の道教(Taoism)の創設者たる哲学者の老子(Laozi)<(注6)>に見出す。
 (注6)「彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様<な説が>ある」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90 (典拠と参考文献が充実している。)
 老子は、無為(wuwei)<(注7)>として知られることとなる政治哲学を明確に明らかにした。
 (注7)英語ウィキペディアには「無為」の項目がある
http://en.wikipedia.org/wiki/Wu_wei
が、「無為」概念を理想化し過ぎている。
 「小さい魚を揚げるように大きな国を統治せよ」と彼は言った。
 すなわち、過度にこねくり回す(stir)なということだ。
 禁令(prohibitions)が多くなればなるほど、人々は貧しくなる」と彼は、その主著、『道徳経(Daodejing=Tao Te Ching)』<(注8)>に記した。」
 
 (注8)「『老子道徳経<(Daodejing)>』原本は戦国前期の紀元前403年 – 紀元前343年には成立していた可能性が高<い。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90 前掲
http://en.wikipedia.org/wiki/Tao_Te_Ching
 さて、老子についての私の考えは以下のとおりです。
 「道は常に無為にして、而も為さざるは無し。侯王若もし能(よ)くこれを守らば、万物は将(まさ)に自ずから化せんとする。(老子・37章)・・・
 賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗みを為さざしむ。欲すべきを見(しめ)さざれば、民の心をして乱れざらしむ。
 是を以って聖人は、其の心を虚しくし、其の実を満たし、其の志(のぞみ)を弱くして、その骨を強くす。常に民を無知無欲ならしめ、夫(そ)の知者をして敢えて為さざらしむ。
 無為を為せば、即ち治まらず無し。(老子・3章)」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_12.html
 これは、支配者自身も無智無欲のふりをして、人民を無智無欲の状態に置け、という、愚民論的政治否定論にほかならないのではないでしょうか。
 結局、以下のような結論にならざるをえません。
 「老子は「小国寡民」を理想とし(『老子道徳経』80章)、君主に求める政策は「無為の治」(同66章)を唱えた。このような考えは大国を志向した儒家や墨家とは大きく異なり、春秋戦国時代の争乱社会からすればどこか現実逃避の隠士思考とも読める。・・・
 楚に代表される古代中国の南方<に>は、特に春秋の末期には中原諸国との激しい戦争が繰り広げられ、それを嫌い隠遁する知識層が存在した。老子の思想は、このような逃避的・反社会情勢(ママ)的な思想に源流を求めることができる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90 前掲
 自由民主主義は政治理論であり、老子の思想は、このように、そもそも政治理論とは言えない以上、老子が支那における自由民主主義の祖の一人かどうかを論じること自体がナンセンスである、と言うべきでしょう。(注8)
 (注8)「マレイ・ロスバード(Murray Rothbard<。1926~95年。ユダヤ系米国人たる著述家・経済学者>)は、老子の政府にについての考えをF.A.ハイエク(Hayek)の自発的秩序(spontaneous order)に準えて、老子は最初のリバタリアンであると示唆した。
 ジェームス・A・ドーン(James A. Dorn。米国人たる経済学者。カトー研究所(Cato Institute。リバタリアン研究所)副所長)もこれに同意し、老子が、18世紀の自由主義者の多くのように、「政府の役割を最小にし、個々人を自発的に発展せることにこそ社会的かつ経済的調和を最も良く実現する」と記した。
 同様、デーヴィッド・ボーズ(David Boaz。1953年~。米国人たるリバタリアン運動の中心的推進者の一人。カトー研究所専務副所長)は、その1997年の本『リバタリアン読者(The Libertarian Reader)』の中で道徳経からの抜粋を引用している。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Laozi
(ただし、<>内は、
http://en.wikipedia.org/wiki/Murray_Rothbard
http://www.cato.org/people/james-dorn
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Boaz
のはご愛嬌だ。
3 終わりに
 LIUは、David Gosset(コラム#1560) が引用したところの、胡適の言う、支那における自由民主主義の知的基盤たる孟子(Mencius)の性善説及び放伐論、そして臣には君を諌言する義務があるとする観念(つまりは、黄宗羲が集約した考え方)と、Gosset自身が付け加えたところの、「支那の道教」における「無為(wu wei)の観念」(つまりは老子の考え方)の三つをそのまま繰り返しているだけであって新味はないのですが、改めて、このような発想に対して批判を加えた次第です。
 ところで、Gossetが、支那にも民本主義的統治を行った、清の康熙帝のような名皇帝がいたとも記していた(コラム#1560)のに対し、私は、当時、「遊牧民系である<鮮卑系たる>唐<の2代目の太宗>と<女真たる>清の2代目(康煕帝は、中華帝国としての清の皇帝としては2代目・・・)が稀代の名君であった<とされてきた>ことは偶然とは思われません。遊牧文化には、自由・民主主義との親和性がある、ということの例証かもしれませんね。」(コラム#1562)とコメントしたところです。
 民本主義(民本論)は、必ずしも自由民主主義と親和性があるわけではない(コラム#4856)ことはさておき、真に民本主義的な統治を行った皇帝がかくも少なかったこと、しかも、その少ない代表例が2人とも遊牧民系の王朝の初期の皇帝であったことは、Jiang Rong が主張し(コラム#997)、私も同感である(コラム#626、633~537、643、658、659、668、671)ところの、遊牧民的伝統にこそ、支那はその自由民主主義の淵源を見出さなければならない、との考え方の妥当性を示唆している、と改めて思います。
(完)