太田述正コラム#5014(2011.9.25)
<3度目の「たかじんのそこまで言って委員会」出演記(その3)>(2011.12.16公開)
4 ミニ・オフ会
 タクシーで新大阪駅に戻り、のぞみの最終便を予約してから、ミニ・オフ会1次会会場の喫茶店(スターバックス)へ。
 まだ、1600になっていなかったが、オフ会出席者はまだ誰も来ていませんでした。
 ほぼ全席にコンセントがついているこの店で、多くの人々がパソコンをやっていて、かなり混雑していました。
 私もパソコンで、今度はE-Mobileでインターネット接続をして作業を開始。
 1630近くに一人目のShihouenさんが現れたが、別席で待っててもらってそのまましばらく作業を続けてから合流。
 次いでFKさん、更にMMさんが現れ、もともと幹事の鯨馬さんは遅れるということだったので、1730近くになっていたこともあり、2次会場(月の雫)へ移動。
 間もなく、2次会場に鯨馬さんが現れ、本格的ミニ・オフ会が始まりました。
 やりとりについては、疲れがピークに達していたため、あまり記憶がありません。
太田:本日の収録の終わりの方で、田村さんが外交・安保一本で政治の劣化を説明しようとするのは単純すぎるといった批判を私に投げかけてきたが、そりゃないよと言いたい。
 世の中、複雑怪奇であるからこそ、単純明快なストーリーを描くことができるかどうかが学者や評論家の腕の見せ所だと思うからだ。
 とりわけ、日本の戦前・戦後を通じた一貫したストーリーを描くことができるかどうかが大事だ。
鯨馬:田村じゃなく村田だ。同志社大の先生だ。
 確かに、太田さんの米国は日本の戦前の対ソ抑止戦略を引き継いだ、というストーリーは説得力がある。
 ところで、太田さんが、ずっと前のオフ会で(会ったことはないけれど、と前置きしつつ)民主党内で首相候補として野田をあげ、あんな目立たない人をどうしてだと思っていたのだが、本当に首相になっちゃった。
太田:オバマが大統領になると私が予想したのも随分早かったでしょ。
FK :鯨馬さんが太田さんを知ったきっかけは?
鯨馬:インターネットでたまたま「アーロン収容所」シリーズを読んだことだ。ネットであれだけの水準のものに遭遇したのは初めてだった。
 なお、自分のことだが、勤務先が東京から関西に変わった。
 だから、太田さんが、今後、何度も、「たかじん・・・」に出演する機会があるであろうことを期待している。その都度オフ会を関西でやれるからだ。
太田:私の私小説の一番目と二番目のネタについて、種明かしをしておきたい。このうち、一番目のは鯨馬さんは良くご存じだが・・。
 Shihouenさんは、4年前に新大阪で行われたオフ会に出席しておられるが、あの時、私が失語症的になってしまっていたのは、一番目の私小説のネタと関わっている。
 (この後の本件の話の中身は事柄の性格上省略します。)
 
5 復路
 新大阪駅のプラットホームで新幹線を待っていたら、金美齢さんから「太田さーん」と声をかけられました。
 どんな年齢の方でも、女性から声をかけられるとうれしいもんです。
 東京の日テレの「太田総理」で一緒したのを覚えているかとおっしゃるのでもちろんです、と答え、あの番組つぶれちゃいましたね、と答えました。
 何でも、名古屋で降りて一泊し、翌日、知多半島の方(だったか?)で講演をするのだとか。
 オフ会で金さんが日本国籍をとったという話を聞いたと話したけどあんまり乗ってきませんでしたね。
 何がお忙しいですかと聞かれたので、一日2篇コラムを書くのでインターネット三昧の生活を送っています、と答えておきました。
 新幹線が到着したので、レディーファーストと先を譲り、コロコロと肩掛けバッグとハンドバッグを持っていたので、一つお持ちしましょうかと申し出たけど、遠慮されてしまいました。
 新幹線内では、往路同様、ホットスポット接続してパソコン作業を開始。
 ところが、名古屋駅に着く少し前に車内放送があり、蒲郡(だったか)で人身接触事故が起こり、現場検証が行われた上で安全確認しなければならず、ダイヤは大幅に遅れる見込み、とのこと。
 名古屋駅に着くと、金さんは、私の席の横を通って乗降口に行く時、私に向かって、この事故のことにちょっと言及してましたね。あいさつを返しておきました。
 この名古屋駅で、完全に立ち往生状態になったので、再びE-Mobileに切り替えて作業続行。
 ようやく動き出した時には、品川や東京に着くのは終電のない時間だが、何かJRの方で考えてくれるのだろうと思っていたら、新横浜、品川、東京で乗り継ぎをする方は、始発の出る時間まで別の新幹線車両を用意するのでそちらで休憩して欲しいと放送がありました。
 本来の品川で降りて、駅からタクシーで帰ることにするか、少しは考えたのですが、経費節約をしようと東京駅まで乗ることに決めました。
 読売テレビで私に出されていて、手をつけずに持ち帰った緑茶パックとカツサンドを飲食した後、仮眠をとることにしました。
 1400東京駅着。社内の直前アナウンスでは、「15番線と19番線で休憩用新幹線をご用意しております、お手持ちの乗車券でそのまま乗れます」と2度も言っていたけれど、15番線にあがる階段の所で駅員に尋ねたら、19番線だけだと言うので、19番線に行き、グリーン車に入ったけれど、グリーン車に本来非グリーン車の人達が既に随分座っていて、窓際の席は全部ふさがっていたので、仕方なく、通路側の席にすわりましたが、それはたまたまコンパートメントの一番前の席であり、通路の反対側の席にでっかいいびきをかく人がいたり、通路を行き来する人や開閉するドアの音がやかましかったりして、目はつぶっていても、仮眠とまではいきませんでしたね。
 早めに降りて、山手線と京浜東北線のプラットホームを目指すことにしたところ、新幹線改札口で乗車券にスタンプを押してくれ、それを1か月以内にみどりの窓口に持参すれば特急料金を払い戻すというのです。ちょっぴりトクをしたような気持になりました。
 さて、山手線より京浜東北線の始発の方がちょっと早かったので、(どちらに乗っても自宅には帰れるのですが、)0444東京駅発の京浜東北線の方を選びました。
 到着した電車を見ると、こんな時間なのに、結構乗車客がいるんですねえ。
 そして、蒲田から池上線(の始発?)に乗り換えて自宅にたどり着きました。
 長い一日がこうして終わりました。
(完)