太田正正コラム#0113(2003.4.1)
<和辻哲郎とジョン・マクマレー(その1)>

 (世界中の目が対イラク戦に注がれ、数人??数十人のオーダーでイラクの市民の犠牲者が出るたびに大きく報道がなされました。しかし、対イラク戦の悲惨さは誰も否定できないとしても、(まだ戦闘は終了したわけではありませんが、)イラク「軍」の死者や連合軍側の死者等も合わせた犠牲者を全部合わせてもせいぜい何万人にしかならないでしょう。
 他方、戦乱の直接的間接的影響でこの四年半に330万??470万人もの人命が失われたというのに、コンゴ(旧ベルギー領)の「国際的」内戦のことは余り話題にされていません
http://www.guardian.co.uk/congo/story/0,12292,932034,00.html(4月8日アクセス)、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-congo9apr09001436,1,4038016.story?coll=la%2Dheadlines%2Dworld(4月9日アクセス))し、アフリカ全体で4000万人もの人々が飢餓に直面している問題も殆ど知られていません(http://www.guardian.co.uk/famine/story/0,12128,932778,00.html。4月9日アクセス)。
 対イラク戦に反対している人々、とりわけ人間の盾としてイラクに赴いた人々一人一人に、このコンゴ問題を始めとする、アフリカひいては世界が抱える深刻な諸問題、に対する存念を聞いてみたいものです。
 そんなことを言うが、お前のコラムの時事問題のテーマだって偏っているではないかというお叱りを受けるかもしれません。これに対しては、自分に土地勘のあるテーマを取り上げているといった弁明は可能です。しかし仮に土地勘がなくても、しかも余り話題になっていなくても、「重要」な時事問題については、折に触れてとりあげていきたいと思っています。)

1 始めに

 本稿は、同時代人であった、日本の和辻哲郎と英国のジョン・マクマレーという二人の哲学者の主張が驚くべきほど類似していること、現在の英国のブレア首相の内外政策の根底にジョン・マクマレーの哲学があること、これらのことが日本の今後の国家戦略を考えるにあたっての重要な手がかりになること、を指摘するものです。

2 和辻哲郎

 私は、帰国子女のはしりの一人ですが、小学校5年生の時(1959年)にエジプトから日本に帰国した時に感じたカルチャーショックは大きく、中学から大学時代にかけて日本文化論のジャンルの本を読みあさったものです。その中で、最も印象に残っているのが梅棹忠夫の「文明の生態史観」(『中央公論』掲載1957年)と和辻哲郎の「風土―人間的考察」(1935年)です。(私の欧州文明とアングロサクソン文明の対置論は、お二人の説に違和感を覚えた点・・イギリス文明と欧州文明を区別していない・・を掘り下げていった「成果」です。)
 和辻の有名な著作としては、ほかに「古寺巡礼」(1919年)や「鎖国」(1950年)などがありますが、現時点で振り返ってみると、「人間の学としての倫理学」(1934年。「人間」を「じんかん」と読ませる)の重要性が際だっています。(エージェンシー関係の重層構造に着目する、私の日本型経済体制論(コラム#40、42、43参照)は、この本に触発されたところが大きい、と今になって思います。)
 ご存じない方のために、和辻の人間(じんかん)論を簡単に紹介しておきましょう。
 「人間」とは、輪廻転生の五道(六道)の一つを表す仏教用語(漢語)であって、本来は「人(human、man)の世界」を意味し、「人」の意味はありません。(「人間萬事塞翁馬」という用例を想起せよ。)しかし、日本ではそれが「人(ひと)」と同じ意味の言葉として転用されるようになりました(和辻「人間の学としての倫理学」岩波全書1934年、16~17頁)。それは、「ひとの物を取る」、「ひと聞きが悪い」、「ひとをばかにするな」のように、もともと大和言葉の「ひと」には、「他人」、「世間」、「自分」の三つの意味があった(14頁)からです。
 このほかにも日本語には、「人(ひと)」=「人間」、に関連する言葉で同じように複合的な意味を持つ「兵隊」、「友達」、「なかま」、「郎等」、「若衆」、「女中」、「連中」などがあります(20頁)。
 これらのことから日本人は、「人が人間関係に於てのみ初めて人であ<る>」(12頁)と考えているとし、この考え方には普遍性があると和辻は主張したのです。
 これは、欧米の個人主義と全体主義(私に言わせれば、英米の個人主義と欧州の全体主義)のいずれをも批判する含意を持つ主張でした。
 すなわち和辻は、「アリストテレス<は>考察の便宜上個人的存在を抽象し」(52頁)ただけだったのに、「近代・・ブルジョワ社会<は>、・・恰も現実に於て<個人が存在する>かの如くに見」て「個人主義的な思想を生み出す」に至ってしまった(53頁)と個人主義を批判するとともに、「マルクス・・は、人間存在に於て特に『社会』の契機をのみ捕」えた(183頁)とし、全体主義も批判したのでした。
 (漢字は新字体に改めた。和辻の「人間論」について簡便にはhttp://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-jinsei10.htmhttp://member.nifty.ne.jp/bunmao/0226.htm(4月3日アクセス)を参照。)

3 ジョン・マクマレー
 
 この和辻哲郎(1889-1960(明治20-昭和35年))と同時代人に、スコットランド生まれの哲学者ジョン・マクマレー(John Macmurray。1891-1976。拙著「防衛庁再生宣言」第九章でとりあげた米国人のジョン・マクマレー(英語綴り同じ。しかも1881-1960なのでほぼ同時代人)とは別人)がいます。
 この二人は互いに相手を認識することなくそれぞれの生涯を終えたと思われますが、その主張は驚くほどよく似ています。
(続く)