太田述正コラム#6090(2013.3.17)
<映画評論38:レイジング・ブル(その1)>(2013.7.2公開)
1 始めに
 映画の『ゼロ・ダーク・サーティ』シリーズの途中ですが、昨夜鑑賞した映画である『レイジング・ブル』の印象が余りにも強烈であったため、急遽その映画評を割り込ませることにしました。
 (あれこれ考え込んでしまったため、なかなか寝付かれなかった上に、夢の中でも考えていたようで、一時間半も標準睡眠時間に不足した形で朝目が覚めてしまいました。)
 といっても、映画に感動した、というのとはちょっと違います。
 これは、プロボクサーの半生を描いた映画であり、試合や、このボクサーの二人の妻、そして弟とのからみがリアルでど迫力があり、息を継ぐ暇もなく見入ってしまうのだけれど、一体何を言いたいのかよく分からなかった上に、映画を見終わってから、関連ウィキペディアを読んだところ、様々な疑問が噴出してきた、というわけなのです。
 さて、映画評論子達がそれぞれどんなところに魅力を感じたのかは詳らかにしません・・というか、今回、そのあたりを殆んど追求はしなかったのです・・が、この1980年の映画は、「1980年代の終わりには、現代の古典としての評判を固めるに至<り、>様々な評論家の投票で、1980年代における<米国>最高の映画とされたし、スコセッシ<監督>の最高の映画であり、かつそれまでに制作された米国の映画のうちで最高のものの一つと指摘され」
A:http://en.wikipedia.org/wiki/Raging_Bull
るに至りましたし、また、「第6回ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞獲得作品<となるともに>、1990年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録<され>た作品の中の1本<にもなりました>。
 そして、「主演のデ・ニーロは、・・・第53回アカデミー主演男優賞を初め<米>国内の映画賞を多数獲得した<ところです>。」
B:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB
 ここで、次に掲げる3人の略歴を読み比べてみてください。
 ジェーク・ラモッタ(Jake LaMotta。1922年~)は、「ニューヨーク市のブロンクスで生まれたイタリア系米国人だ。
 彼は、自分の父親によって、近所の大人達を楽しませるために他の子供たちと殴り合い(fighting)をするように強いられた。
 この大人達は、リングに向かって小銭を投げるわけだ。
 ラモッタの父親はこのカネを集め、それを家賃の支払いにあてたのだ。・・・
 ラモッタは、2013年1月4日に、長らく婚約者であった、デニーズ・ベーカー(Denise Baker)を7番目の妻とした。
 彼は4人の娘がいて、うち1人は<この映画に登場する>2番目の妻であるヴィッキー(Vikki)との間のクリスティ(Christi)であり、もう1人は彼の4番目の妻であるディミトリア(Dimitria)との間のステファニー(Stephanie)だ。・・・
 1998年2月に、ラモッタの長男であるジェーク・ラモッタ・ジュニアが肝臓癌でなくなり、1998年9月には、カナダのノヴァスコティア沖でのスイス航空機の墜落によって下の息子であるジョゼフ・ラモッタが亡くなった。
 ラモッタの甥であるジョン・ラモッタは<重量級のボクサーでいいところまで行った人物であり、>もう一人の甥であるウィリアム・ラスティグ(William Lustig)はホラー映画の有名な監督兼制作者・・・だ。」
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Jake_LaMotta
 ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.。1943年~)は、「父親のロバート・デ・ニーロ=シニアは画家。父はイタリア系及びアイルランド系であり、母はイングランド、ドイツ、フランス、オランダの血を引いていた。2歳の頃に両親が離婚し、母親の元で育てられたが、父親も近くに暮らしていたため行き来して育つ。・・・
 1976年に女優のダイアン・アボットと結婚し、アボットの娘を養子にとり、実子も一人もうけるも1988年離婚。1995年には当時交際していたモデルのToukie Smithとの間に体外受精で双子をもうける。1997年に女優のグレイス・ハイタワーと再婚、1998年には息子エリオットが生まれた。1999年8月にはデ・ニーロが離婚の申し立てを行ったが、離婚はせず2011年には娘グレイスが生まれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AD
 マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese。1942年~)は、「シチリア系イタリア移民の家に生まれ、マフィアの支配するイタリア移民社会で育ったため、その人格形成と作品の双方にはその出自が深く影響し、腐敗した矛盾に満ちた現実のなかでいかに人間としての倫理と善良さを実践できるか、それがしばしば不可能であることの苦悩を追求する映画が多い。また、そのなかでは人間の人間に対する無理解と不寛容の直接的表現として、リアルな暴力描写が重要な位置を占める。・・・
 ・・・女優のイザベラ・ロッセリーニやプロデューサーのバーバラ・デ・フィーナを含め、5度の結婚歴がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7
 ラモッタは、この映画の原作である自伝を書いた、ミドル級世界チャンピオンにまでなった元プロボクサーであり、デ・ニーロはこの自伝を読んで映画にすることを企画し、この映画で主人公のラモッタ役を主演した人物であり、スコセッシは、デ・ニーロから話を持ち掛けられ、この映画を監督した人物です。
 ラモッタとデ・ニーロないしスコセッシは、1世代弱年が離れているけれど、3人ともイタリア系米国人であり、陰のある少年時代を送り、それぞれ名声を博し、女性遍歴がハンパじゃない、という共通点があります。
 しかし、だからこそ、この3者の間に絶妙のケミストリーが生まれ、鬼気迫るデ・ニーロの演技が生まれ、視聴覚的に素晴らしい映画作品にスコセッシが仕立て上げることができたのでしょう。
 なお、上掲のスコセッシに係る日本語ウィキペディアにおけるスコセッシ映画の特徴の紹介は、そのままこの映画の紹介に流用できそうです。
2 まず感じたこと
 (1)序
 まず感じたのは、米国社会の野蛮性です。
 具体的には、映画を鑑賞した際には、ラモッタが巻き込まれざるをえなかったところの、マフィアが取り仕切る八百長の存在を、また、ラモッタが冤罪とおぼしきことで捕まり賄賂が払えなかったために臭い飯を食わされたことを、そして、その後関連ウィキペディアを読んだ際には、米国の映画が各種ギルドに縛られているという事実を、野蛮だなあと感じました。
(続く)