太田述正コラム#6092(2013.3.18)
<映画評論38:レイジング・ブル(その2)>(2013.7.3公開)
 (2)八百長
 「<マフィアのボスは、>ジェーク<・ラモッタ>に、自分が取り仕切っているところの、<ミドル級>世界選手権をやりたいのなら、一回<八百長で>負け<て自分達に儲けさせ>なければならないと伝えた。
 <そこで、>ジェークは、ビリー・フォックス(Billy Fox)との試合で、ちょっとの間相手をさんざんぶっ叩いた後、戦意を喪失したかのように立ち振る舞った。
 その少し後で、これは試合放棄の疑いがあるというので、ジェークは資格停止になった。
 ジェークは、馬鹿なことをしたことに気付いたけれどもう遅すぎた。
 だが、やがて彼は資格を回復し、1949年に<ミドル級世界選手権に出場し、勝利した。>」(A)
 これは、映画の中での話ですが、この映画は、(前にも触れたように、)ジェークの回想録である、『レイジング・ブル–私の物語(Raging Bull: My Story)』に基づいており、この八百長の話は事実であったと思われます。
 そのことは、以下の事実からも裏付けられます。
 「1960年に、ラモッタは、ボクシングにおける地下勢力の影響を調査した米上院小委員会に召喚された。
 彼は、マフィア(mob)が世界選手権戦をやらせてチャンピオンにさせてやるからと言うので、ビリー・フォックスとの試合はわざと負けた、と証言した。」(C)
 以下、映画の中の話はおおむね事実である、という認識でもって続けます。
 (3)冤罪・賄賂
 「<ボクシングを引退してから、>彼は(21歳であると自称した)少女達<(2人)>を自分の<経営する>クラブでそこにいた男性達に引き合わせたというので、1957年に刑務所に入れられた。
 これは、要求された賄賂の額を調達できなかったためだ。」(A)
 「ボクシングを引退してから、ラモッタはバーを何件か所有し経営するとともに、舞台俳優かつ漫談家(stand-up comedian)になった。
 1958年に彼は、マイアミで所有していたクラブで一人の未成年の少女を男性達に引き合わせたとして、逮捕され、告発された。
 彼は有罪とされ、獄につながれたが、彼は無罪を主張し続けた。」(C)
 ここでも、年が1957年か58年か、少女の数が2人か1人か、といったマイナーな齟齬はあるけれど、映画がほぼ事実に即したものであることが分かります。
 賄賂云々については、事実としての紹介はなされていませんが、名誉棄損等で訴えられる惧れがあったことを考えると、少なくとも事実ではあった可能性は高いと思いますし、「無罪を主張し続けた」ところを見ると、事件そのものがウソがでっちあげられたものであった可能性も濃厚です。
 その頃、二番目の妻が以前から計画していたところのラモッタとの離婚を切り出していた(A)、という背景を考えるとなおさらそうです。
 (なお、この二番目の妻もまだ存命であり、事実と大幅に異なった原作を出版したり映画を作れたりしたはずがありません。)
 (4)ギルド(guild)
 以上は、米国が、戦後に至っても、なお、プロスポーツ界や司法界が腐敗していたことを示すものです。
 根深い有色人種差別、という深刻な腐敗のあった国では、当然、あらゆる分野において腐敗が横行していた、ということなのでしょう。
 有色人種差別も「解消」した現在においては、他の分野における腐敗も「解消」している、と信じたいところです。
 しかし、下掲のギルドは、現在でも健在であるようです。
 「最初の二人の脚本家・・・は映画にクレジットを入れられるけれど、デ・ニーロとスコセッシ<も脚本に手を入れたにもかかわらず、この二人>の分は脚本作家ギルドへの支払いがないため、この二人については<脚本家として>この映画にクレジットを入れることはできなかった。<(注1)>・・・
 (注1)全米脚本家協会(WGA)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034568485
 <ラモッタの二番目の妻を演じた女優>がその役にふさわしいかどうかをスクリーン・アクターズ・ギルドに証明するため、<この映画の制作者>は、<この女優と>本当の<妻たる>ヴィッキー・ラモッタを比較対照した写真10組を示して、彼女が似ていることを証明しなければならなかった。<(注2)>」(A)
 (注2)スクリーン・アクターズ・ギルド(Screen Actors Guild) 。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211812387
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1073279755
 これじゃ、まさに欧州の中世のギルドと同じじゃないか、と言いたくなります。
 米国は移民の国であり、移民が簡単に自分達のテリトリーを侵すことのないよう、この種のギルドが発達したのでしょうか。
 こんな前近代的な状況下で、よくもまあ、米国映画が世界を席巻してこれたものだ、と思います。
3 疑問
 さて、私の抱いた疑問についてです。
 映画の中で描かれた下掲もまた、事実に即したものであると考えてよいはずです。
 「<プロボクサー時代のラモッタの>サド・マゾ的な憤怒(rage)、性的嫉妬、そして動物的食欲が、彼の<第一の妻と第二の>妻、及び彼の家族との関係を破壊した。」(A)
 にもかかわらず、どうして彼は、ボクシング引退後、下掲のような、比較的成功した人生を歩むことができたのか、というのが私の疑問だったのです。
 (前述したようにその後5回も結婚できたということは、それなりに豊かな生活を送れたからこそでしょう。)
 「ラモッタは、・・・<「バーを何件か所有し経営するとともに、舞台俳優かつ漫談家(stand-up comedian)にな」ったと前述したところ、これに加えて、>ポール・ニューマン<主演の>・・・『ハスラー』を含む、15本を超える映画に登場した。彼はまた、<TV映画にも何度も登場した。更に、プロボクシングの興行主も何度か務めたし、草野球チームを持ったこともある。>」(C)
 いまだにすっきりとはしていないのですが、とりあえず以下のように考えています。
 ラモッタは、ミラーニューロンの極めて発達した利己主義者にして精神傷害者であって、ハレの場において、何時間かは、その場において要求される「演技」を、自分をコントロールしつつ見事に演じきることができた。
 だからこそ、戦う相手の心身両面にわたる状況を的確に読み取らなければ勝つことができない、プロボクシングにおいて、彼は頂点を極めることができたのだし、客の求めるものを的確に読み取ることで、(映画の場面にも出てくるように、)自分の経営するクラブ等において漫談を行って客を楽しませたり、また、漫談家として、彼はそれなりに活躍したりすることができたのだ。
 舞台や映画で俳優としてそれなりに活躍できたのも、同様に、監督や演出家が求めているものを的確に読み取れたからだ。
 しかし、彼は、あくまでも利己主義者にして精神傷害者であって人間主義者ではなかったので、長期的かつ日常的な関係を他人と維持して行くことは容易ではなかった。
 カネはあったので女には不自由しなかったが、どんな女とも長続きしなかったのと家庭生活において恵まれなかったのはそのためだ。
4 終わりに
 私見では、この映画は、(そして恐らくその原作も、)ラモッタが絶頂期を迎えた後、急速に破綻するところまでを描いているところ、その後のラモッタの人生が分かっているからこそ、この映画では、この破綻を徹底して描くことができなかった、例えばラモッタの発狂や貧困に伴う死や自殺で完結させるわけにはいかなかった、ことから、何が言いたいのか分からなくなってしまった、ということでしょう。
 もっとも、これは、人生というものに完結がない、という当たり前の話であって、完結させなければならないところの、映画で、そもそも一人の人物の人生を、真の意味で描くことなど不可能に近い、ということを意味している、ということかもしれません。
 いずれにせよ、(少なくともつい最近まで)腐敗していた環境下で、(しかもいまだに前近代的な様相を帯びた環境下で、)利己主義者にして精神傷害者が各界において頂点を極め、金持ちになる、というラモッタの生き様は、米国そのもののを表象している、と言ってもよさそうですね。
 
(完)