太田述正コラム#7518(2015.3.2)
<映画評論45:ベイマックス(その5)>(2015.6.17公開)
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<参考:これがベイマックスについての映画であることのもう一つの裏付け>
 米国の目利きの映画評論家達も、これがベイマックスについての映画である、と受け止めている。↓
 「ワシントンポストの<映画評論子>は・・・「’Big Hero 6’の真の魅力はそのアクションには存しない。
 それは、中心的登場者(central character)<・・主役(protagonistないしleading part )と言っていないのだから、ヒロではなくベイマックスのことであると思われる。(太田)・・>のハートなのだ。」と記した。
 <また、>Fort Worth Star-Telegramの<映画評論子>は、この映画は、「全ての人に何かを提供する。それは、アクションだったり、友情(camaraderie)だったり、超英雄達と悪漢達だったりする。しかし、一番はベイマックスであり、それは、苦しんでいる人々に情け深い(compassionate)癒しの声、そして、映写幕を通して感じとられるところのハグ、を提供する、と述べた。
 <更に、>Rolling Stoneの<映画評論子>は、「このシーズンのブレークスルーを行ったスターがここにいる。
 彼の名前はベイマックスであり、彼は<人間を>愛せずにはいられない。
 3Dアニメである’Big Hero 6’は、この、ずんぐりむっくりのロボットたるカリスマの堪えられない小塊が登場しなかったとすれば、丸っきり面白くなかったことだろう。」(β)
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 しかし、ベイマックスが日本型のロボットだとしても、この映画のロボット観が日本的であるかというと、決してそんなことはないのです。
 というのは、欧米型のロボットも登場するからです。
 ネタバレを恐れているのか、この映画の日本語ウィキペディア(α)も英語ウィキペディア(β)も、このロボットのことにちょっとしか触れていません。
 
 「ヒロの発明した「マイクロボット(microbot)」は指先ほどのサイズしかないが、互いに引き寄せあって集合体を形成する特性を持ち、操作者の頭部に装着した神経トランスミッターでコントロールすることで、その集合体を瞬時に思うままの物体に変化させることができるという画期的な発明品だった。・・・二人はそこで仮面を被った謎の男に遭遇し、男の操る大量のマイクロボット<達>に襲われながらも命からがら逃げ帰る。」(α)
 「<ヒロとベイマックス>は、誰かがヒロのマイクロボット達を大量生産してきたことを発見し、それらを操るところの、ヨウカイ(Yokai=妖怪)として知られる、仮面を被った男によって攻撃される。・・・
 このチームは、・・・マイクロボット達を破壊する。」(β)
 しかし、このわずかな記述からも明らかなように、この映画には、欧米型の、人間に敵対的なロボットも登場するわけです。
 いや、登場するどころではありません。
 この映画は、この欧米型のロボットと(ベイマックスを含む)6人の「大英雄」達とが戦い、ベイマックスが決定的な役割を果たすことによって、後者が前者に勝利を収める、というストーリーなのです。
 (但し、だからといって、この映画が、単純な勧善懲悪物語ではないことは後述。)
 より重要なのは、ベイマックスであれ、マイクロボット達であれ、人間の僕(しもべ)でしかないことです。
 ベイマックスは、この映画の比較的早いうちに死亡してしまう、(ヒロのお兄さんの)タダシがプログラムした通りの言動を行う存在に過ぎませんし、マイクロボット達の方も、それが誰であれ、操縦ユニットを身に着けた人間の指示に忠実に従って動く存在に過ぎないのです。
 ベイマックスが、「ヒロがベイマックスの本来のプログラムを消去して、<正体がばれたヨウカイ>を殺せと命じ・・・ベイマックスはそれを実行する寸前までいくが、<ヒロ以外の、人間たる大英雄の一人が、>それを妨げるため、医療プログラムを再インストールする」(β)こととし、結局、ヒロもそれを受け入れたのは、彼らがベイマックスに敬意を表したということではなく、ベイマックスを設計し作成しオリジナルのプログラムを書いてインストールしたタダシに敬意を表し、彼のデフォルトの意図に反するような改変を加えるべきではないと考えた、ということでしょう。
 つまり、この映画は、日本型ロボット観の核心であるところの、人格を持ったロボットという発想を峻拒し、ロボットというものは、人間の意図通りの言動を行う機械でしかなく、また、かかる機械であるべきだ、という欧米型ロボット観に基づいて制作されている、と考えられるのです。
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<参考:日本人がロボットに人格を付与していることの証左>
 「・・・ソニーが販売したロボット犬AIBO(アイボ)の「飼い主」たちが、動かなくなったAIBOを寺で供養してもらう様子を英デイリー・メール紙は伝え、魂があると信じる飼い主たちもいる、と報じている。・・・
 ある飼い主は、・・・犬と同じように「寿命があるなんて考えてもみなかった」(AFP)と話す。72歳の女性は、アイちゃんと名付けたAIBOがいなければ、寂しくてたまらないだろうと話している。(ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ))
 ビンテージ機器の修理を請け負う「A・FAN」の船橋浩さんは、AIBOの修理について、飼い主たちは彼のことを技術者というより獣医のように思っていることなどから、「修理という言葉はふさわしくない」とAFPに語った。「AIBOを所有する人たちは、それを家電のようには考えていない。家族の一員だと見ているに間違いない」(AFP)という。・・・
 数十体のAIBOが入院中で、180体以上が順番待ちの状態だそうだ。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/9836462/
(2月28日アクセス)
 0g9y4BYkクン(コラム#7517)教示の、上記報道に対する外国人の反応
http://www.reddit.com/r/Futurology/comments/2x4on0/funerals_are_being_held_for_robotic
、及び、その邦訳と更にそれに対する日本人の反応
http://xxxkikimimixxx.blog.fc2.com/blog-entry-1767.html
にも、関心ある方は目を通されたい。
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(続く)