太田述正コラム#0356(2004.5.21)
<アングロサクソンバッシング(その8)>

4 アイルランド人の敵意

 (2)敵意の原因
 アイルランドは、12世紀後半から20世紀半ばでの完全独立に至るまでの800年弱にわたってイギリスの支配下にありましたが、その間、イギリス人がアイルランド人を徹底的に侮蔑と嘲笑の対象としてきたことが、アイルランド人のアングロサクソンに対する激しい敵意の原因だと私は考えています。
 具体例をいくつか挙げましょう。
12世紀末に、イギリス(正確にはアングロサクソンならぬノルマン人)によるウェールズやアイルランド征服についての記述を残したジェラルド・オブ・ウェールズ(Gerald of Wales 。1146-1223。ノルマン貴族とウェールズ貴族の末裔で米大統領ジョン・F・ケネディの先祖筋にあたる。http://www.fordham.edu/halsall/source/geraldwales1.html(5月20日アクセス))は、早くもアイルランド人について、「生まれ落ちてから、両親によって食い物をあてがわれるだけで放置され・・野蛮人そのものであって、およそ文化とは縁がない・・獣のみ食らい、獣のように生活する・・裏切りは日常茶飯事であり・・信仰心も薄い」(私の自衛隊機関紙「朝雲」1992.3.5掲載エッセー。典拠失念)とご託宣をたれています。
 アイルランド人作家のウィリアム・カールトン(William Carleton。1794??1869年。http://www.fact-index.com/w/wi/william_carleton.html(5月20日アクセス))は、シェークスピアの時代以来、「イギリス人観客相手の演劇やお笑い寸劇では、登場するアイルランド人は、下品で醜いドジ(broad grotesque blunderer)と相場は決まっている」と嘆いています(R.F. Foster ed., The Oxford Illustrated History of Ireland, Oxford University Press, 1991 P308)。
 上記History of Ireland は、1880年には、「もし人類が猿(ape)から進化したというのが本当であれば、アイルランド人は、黒人同様、よりご先祖様(animality)に近いこと請け合いだ」と公言するイギリス人まで現れた(同上P312)とした上で、ビクトリア時代のイギリス人はおしなべて、「イギリス人(John Bull)は働き者で信頼が置けるがアイルランド人(Paddy)は怠け者で裏切り者(contrary)、そしてイギリス人(Englishman)は大人で男性的だがアイルランド人(Irishman)は子供っぽくて女性的」である、と考えており、「女性的で子供っぽいのだから、アイルランド人は自治などできない」と結論づけていた、と指摘しています(P313)。
 20世紀になってからの例も挙げておきましょう。
 イギリス人作家のラディヤード・キップリング(Rudyard Kipling。1865??1936年。イギリス人初のノーベル文学賞受賞者。http://www.online-literature.com/kipling/(5月20日アクセス))らが執筆した1991年の歴史教科書には、「アイルランド人は、学校にも行かず、(親に)甘やかされ(て育っ)た子供のようだ・・自分を律することができず、他人の支配に我慢できない」という記述が出てきます(「朝雲」前掲。やはり典拠失念)。

 気が遠くなるほど長い年月にわたってイギリスに支配され、もともとの自分たちの言葉であるゲール語まで失いつつも、アイルランド人は、自分たちを侮蔑し嘲笑し続けてきたイギリス人への敵意のおかげでイギリスへの同化を免れ、19世紀のアイルランド大飢饉をイギリス政府が放置した(注12)ことでイギリスからの独立を決意し、最終的にアイルランド共和国として独立を勝ち取るのです。

(注12)1845年の夏、アイルランドは長雨と冷害に祟られた上、立ち枯れ病が大流行してジャガイモ生産が壊滅的打撃を受け、この病害は三年間にも及んだ。しかも、途中保守党政権がレッセフェール政策のホイッグ党政権に代わり、アイルランドの飢饉対策も中止されることになる。この間餓死者が続出し、たまらず海外に一斉に逃亡を始めたアイルランド人の海外移民はその後も続き、人口は激減する。(波多野裕造「物語アイルランドの歴史」(中公新書1994年167~170頁)
     この大飢饉の後遺症には恐るべきものがあり、大飢饉の直前には800万人だったアイルランドの人口は、1961年には260万人(ただし、北アイルランドを除く。含めれば400万人弱)まで落ち込んでしまう。ちなみに、1990年代からアイルランド共和国は高度成長時代を迎え、移民のUターン現象と発展途上諸国からの移民の流入によって人口が急速に回復し、400万人(北アイルランドを含めれば600万人弱)に達している。(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3359733.stm。1月2日アクセス)

 このところのアイルランドの経済高度成長ぶりを目の当たりにする(注13)と、どうやらイギリス人のこれまでのアイルランド人への侮蔑と嘲笑は、偏見以外のなにものでもなかったようです。

 (注13)アイルランドの一人あたりGDPは、EU加盟諸国中、デンマーク、英国に次いで三番目の高さでほぼ英国と肩を並べるに至っている(The Military Balance 2003/2004)。

 しかし、イギリス人のこの偏見は極めて高いものにつき、アイルランド人に、英国のみならず、米国を含めたアングロサクソン諸国全体に対する拭いがたい敵意を植え付けてしまったのです。

(続く・・かな?)