太田述正コラム#0405(2004.7.9) 
<韓流・韓国・在日(続x4)>

  イ 軍事政権・・日本による統治・マーク??
 韓国の軍事政権とはいかなるものであったかを復習しておきましょう。

 まず、軍事政権の韓国観についてです。
 朴正熙(1917??1979年。http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/boku.html(7月10日アクセス))は、その著書「国家と革命と私」(1963年)の中で次のように言っています。

 わが・・歴史は、一言でいって、退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。・・・
第一に、われわれの歴史は・・常に他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である(「事大主義」及び「文尊武卑」のこと(太田))。
第二に、・・李朝は・・党争・・に明け暮れているうち、亡国の悲運を味わうことになった・・
第三に、われわれは自主、主体意識が不足していた。われわれの・・哲学・・文化・・といえるものがあるか・・ハングル<と>高麗磁器<しかない。しかも高麗磁器は、>貴族達の趣味にとどまっているだけであった<し、>途中から命脈が切れ<てしまった。>
第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかった・・

 (以上、鄭大均「韓国のナショナリズム」岩波現代文庫2003年133??136頁より孫引き。上記サイトにも掲載されている。)

 これだけでは言い足らぬとばかり、この本の中で朴は、韓国人や韓国社会の特徴として、利己主義・傍観主義・虚勢・党派意識・特権意識・自主精神の欠如・民族愛の欠如・開拓精神の欠如・企業心の不足・アイデアの不足・退廃した国民道徳・怠惰と不労所得観念・奴隷的な屈従の固まり・法よりも腕力の強い者が勝つ世の中・弱く金もコネもない者は生きていけない不平等社会・「姑息」「怠惰」「安逸」「日和見主義」に示される小児病的な封建社会・「情実人事」「猟官運動」「貪官汚吏」「不正蓄財」が当然と考えられる価値が転倒した社会・等々、罵倒に近い言葉を書き連ねています(鄭大均前掲書137頁)。
朴は、かつて日本人であった一韓国人として、「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」に強い嫌悪感を抱いていたのです。

 このような隣国をそのまま放置しておくことは、日本の安全保障にかかわる、として日本は韓国を保護国とし、更には併合したのですが、朴はこの顰みに倣い、このような状態に韓国を放置しておくことは、韓国自身の安全保障にかかわる、として1961年に韓国でクーデターを敢行し、自ら権力を掌握したわけです。

 権力を掌握した朴が提唱したのは、韓国の革命・改造・再建・更正・手術・反省(鄭大均前掲書137頁)による「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」の克服でしたが、その手段は、彼自身が満州国(1942年満州新京軍官学校首席卒業。上記サイト)と日本本土(1944年陸軍士官学校3位卒業。上記サイト)で戦前目の当たりにした、総動員体制類似の体制の韓国における構築でした。総動員体制とは、ナショナリズムを鼓吹し、ヒト・モノ・カネの総動員体制を構築し、経済の高度成長と軍事力の強化を図る、というものですが、朴は、日本のナショナリズムを韓国のナショナリズムに置き換えた以外は、基本的にかつての日本の総動員体制を忠実に模倣し、韓国で再現したのです。
 そして朴は、ただちに1962年を初年度とする第一次経済開発五カ年計画を策定(http://fps01.plala.or.jp/~searevie/new_page_25.htm。7月10日アクセス)。更に1965年の日韓国交正常化(http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ni/nikkanjoyaku.html。7月10日アクセス)を契機に日本からの経済援助を得、日本との経済交流が活発化し、韓国に、漢江の奇跡と言われる高度成長時代を招来するのです。

 ところが、韓国の人々が高度成長の結果、自信を回復するにつれて、一旦克服したかに見えた「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」が再び、しかもかつてに比べてより先鋭化した形で復活してきます。
 それは、根源的な問題点を解消しなかったからだ、と私は考えています。
そろそろ、戦前の日本(日本による統治マーク??)と韓国の軍事政権(日本による統治マーク??)が、いずれもその解消に失敗したところの、韓国(朝鮮半島)の根源的な問題点とは何か、を精査する時が来たようです。

(続く)