太田述正コラム#8569(2016.8.25)
<チーム・スターリン(その1)>(2016.12.9公開)
1 始めに
 今度は、シェイラ・フィッツパトリック(Sheila Fitzpatrick)の『スターリンのチームについて(On Stalin’s Team)』のさわりを書評類をもとにご紹介し、私のコメントを付します。
A:http://www.theguardian.com/books/2016/apr/27/on-stalins-team-sheila-fitzpatrick-review-living-dangerously-soviet-union
(4月28日アクセス。書評(以下同じ))
B:https://www.timeshighereducation.com/books/review-on-stalins-team-sheila-fitzpatrick-princeton-university-press
(5月1日アクセス(以下同じ))
C:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/on-stalins-team-by-sheila-fitzpatrick-book-review-uncle-joes-henchmen-a6704466.html
D:http://dannyreviews.com/h/Stalins_Team.html
E:http://www.nybooks.com/articles/2015/12/03/stalin-he-couldnt-have-done-it-without-them/ 
F:http://www.theaustralian.com.au/arts/review/sheila-fitzpatrick-sheds-light-on-party-men-in-on-stalins-team/news-story/f4be69c9e3cebb9bed3cf6a1353780cc
G:http://www.ceu.edu/article/2015-10-27/stalin-was-wrong-about-his-team-fitzpatrick-says 
(著者講演)
H:http://www.wsj.com/articles/all-the-dictators-men-1450645690
(8月25日アクセス。書評)
 フィッツパトリック(1941年~)は、「メルボルン生まれ。メルボルン大学卒業後、オックスフォード大学・・・で博士号取得。ロンドン大学スラヴ東欧学研究院フェローを経て・・・シカゴ大学歴史学・・・教授、[そして、現在は、シドニー大教授をしており、]専門は、ロシア・ソ連史。[50年間・・うち30年間は英、20年間は米・・を豪外で過ごした後帰豪。趣味はヴァイオリン演奏。]」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
https://en.wikipedia.org/wiki/Sheila_Fitzpatrick ([]内)
という人物です。
 ちなみに、彼女の父親は、豪州の左翼歴史学者にしてジャーナリストのブライアン・フィッツパトリック(Brian Charles Fitzpatrick。1905~65年)です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Brian_Fitzpatrick_(Australian_author) 及び、D
2 チーム・スターリン
 (1)フィッツパトリック批判的序
 「ロシアにおけるスターリンの復権の背後には2つの神話群が横たわっている。
 1つ目は、多くの歴史学者達が、スターリンの無活動と無駄な営み(enterprise)の間の揺れ動きにもかかわらず、米国の大盤振る舞いの諸供給に助けられて、<スターリンならぬ、>ロシアの人々が<ナチスドイツに>勝利した、と結論付けているというのに、彼が第二次世界大戦(ないしは「大祖国戦争」)に勝利した、とする神話だ。
 2つ目は、スターリンが偉大なる人事管理者であったという神話だ。
⇒戦間期において、スターリン統治下のソ連の経済成長率が、(将来の成長率を先食いした略奪的経済政策によって達成されたと見るべきかもしれず、現に、戦後は経済成長率において、日本や西独に大きく水をあけられることになった、ことはさておき、)二番目に高かった日本、そして、三番目に高かったドイツ、よりも高い、世界一の高さであったこと
http://indexfund.nomura-am.co.jp/monex/application/unometakanome/detail_137.html(の図1参照)
は神話ではなく史実であり、かかる経済力、そして、この経済力によって支えられた軍事力、があったからこそ、ロシアの人々の対独戦意が高揚し続けたのだし、(スターリンが米国を誑かしたからこそ得られたところの、)米国の大量援助も生きた、と考えられるのであって、こういった面を見る限りにおいては、スターリンの人事等を含む管理能力は高かったし、独ソ戦での勝利の功績もスターリンに帰せられざるべからず、と言えるのではないでしょうか。(太田)
 フィッツパトリックは、スターリンの取り巻き達(men)は、しばしば、自分達の司司(つかさつかさ。remits)に「エネルギッシュ」かつ「効率的」にアプローチした、と記すけれど、彼女は、これらの司司が恐るべき役立たなさであったことを、恐らくは十分描いてはいない。
 1930年代初において、射殺、餓死、凍死、或いは、過労死で1000万人の農民を殺し、1937年から8年にかけての大粛清(Great Terror)では、約70万人を処刑し、200万人を強制労働収容所(gulag)へ死ぬべく送り込んだが、彼らの中にはソ連の最も練達の(accomplished)市民達である、技術者達、科学者達、芸術家達が含まれていた。
 次いで、軍の上級将校達の大部分を射殺することで、軍の上澄みを消滅させた。
 そして、1944年には、まだ戦争が続いていたというのに、百万人を超える「裏切り者」たる諸民族(nationalities)の人々を中央アジアの諸砂漠へと放逐した。
 スターリンの「チーム」のメンバー達は、もっぱら夜だったが、確かに長時間働き、自分達がさぼっているとボスに思われないかと恐怖に戦いたけれど、これ以上に一つの国を統治する非生産的な方法があるとは到底想像できないのではなかろうか。」(A)
⇒スターリン統治下のソ連が、戦間期から先の大戦期にかけて、これだけ、国内の人的資源をほぼ無意味に蕩尽しながら、なお、独ソ戦に勝利できたほど、潤沢な人的資源のストックを確保できていたことに、我々はむしろ瞠目すべきではないでしょうか。
 20世紀直前の米西戦争から、21世紀の現在まで、自国以外の、主として、地理的意味での欧州以外の人々を、合計すると数千万人のオーダーで、ほぼ無意味に大量殺害し続けてきた米国と、スターリン期のロシアとを比較すれば、想像を絶するほど罪深いのは、明らかに米国の方です。(太田)
(続く)