太田述正コラム#0432(2004.8.5)
<悪夢から覚めつつあるドイツ(その8)>

 ナチスドイツ(第三帝国)はドイツ帝国(神聖ローマ帝国を第一帝国として、第二帝国)の名実ともの忠実な承継者だ。
 MittelEuropaの統合(すなわち生存圏(lebensraum)の確保。ちなみに、この生存圏という概念も既にドイツ帝国時代に存在していた)のための戦争、という前述の発想もそうだし、英国をこの戦争の圏外に置きたいという発想(コラム#427)もそうだ。
 そうである以上、第一次世界大戦が始まった1914年から先の大戦が終わった1945年までは、ドイツが惹き起こした長い世界大戦だった、ととらえるべきだろう。

 そうだとすると、ドイツ人は、先の大戦に係る「悪夢」だけでなく、第一次大戦大戦を惹き起こしたという「悪夢」にもうなされた上で、これから「覚め」なければならないことになります。

 (2)Short 20th Century理論
 このフィッシャーの第一次世界大戦ドイツ開戦責任論を更に発展させたのが、英国のマルクス主義歴史学者のホブスボーム(Eric Hobsbawm。1917年??。アレキサンドリア生まれでウィーンとベルリンで少年時代を過ごしたユダヤ人。http://education.guardian.co.uk/higher/artsandhumanities/story/0,12241,791760,00.html(8月2日アクセス))です。
 彼は、1994年の著書The Age of Extremes: The Short Twentieth Century 1914-1991において、1914年の第一次世界大戦勃発から始まり、1917年のロシア革命、1929年の世界大恐慌、ファシズムやナチズムの出現、1939年から1945年の先の大戦、両大戦による帝国の崩壊、東西冷戦、を経て1991年のソ連邦崩壊までが、ドイツが惹き起こした一つながりの歴史・・The Short Twentieth Century・・である、と主張しました。
 このようなホブズボームの歴史観は、スケールが大きいため、「ドイツが惹き起こした」点が水で薄まる印象があるのでしょうか、最近リバイバル的にドイツで引っ張りだこになっています。
 この欧州史における逸脱期間が終わり、欧州はEUの成立・拡大によって、1914年以前の、リスボンからサンクト・ペテルブルグまでパスポートなしに旅ができた時代にほぼ回帰した、というわけです。
(以上、特に断っていない限り、クリスチャンサイエンスモニター前掲及びhttp://dannyreviews.com/h/Age_Extremes.html(8月2日アクセス)による。)

 (3)ドイツ国民性理論
英国の歴史学者のエリアス(Norbert Elias。1897??1990年。ドイツ生まれのユダヤ人)は、その没後に彼の論文を集めて出版されたThe Germans: Power Struggles and the Development of Habitus in the Nineteenth and Twentieth Centuries,Columbia University Pressにおいて、ドイツの国民性(エリアスは手垢のついたnational characterという言葉の代わりにnational habitusという言葉を用いる)を論じています。
エリアスによれば、西のロマンス系の言葉を話す人々と東のスラブ系の言葉を話す人々に囲まれた居心地の悪さ、自然国境の欠如、国民国家の成立が1871年という遅きにわたったこと、英国のロンドン・フランスのパリに相当する政経文化の中心的都市を持たなかったこと、軍事中心で古典的ヒューマニスト的価値抜きの未成熟な強権的統治構造を後々まで持ち越した(注12)こと、17世紀という、シェークスピア・レンブラント・モリエールらが輩出し、欧州で文化が咲き誇った時代がドイツでは30年戦争で国土と人心が荒廃しきるという惨めな時代であったこと、そもそも中世後期の神聖ローマ帝国の栄光の時代以来、ドイツの歴史は、1918年以降も含め、基本的に苦難の連続で下降線をたどるばかりだったことが、ドイツ人の国民性を形成した、というのです。
(以上、http://www.csmonitor.com/cgi-bin/wit_article.pl?script/96/04/25/042596.feat.books.13(8月2日アクセス)による。)

(注12)エリートの間で、騎士的名誉の観念に基づき、欧州諸国の中で最も遅く20世紀初頭まで決闘が行われたのがドイツだった。

 この国民性がドイツ人をして先の大戦を惹き起こし、ナチスの蛮行を生んだ、ということになりそうですね。
 そうだとすれば、ドイツ人はドイツ人であることをやめない限り、「悪夢」からは逃れられないことになります。

 (4)太田述正理論
 私は、何度も繰り返しこのコラムの中で述べてきたように、第一次世界大戦にせよ、先の大戦にせよ、それらは欧州文明のアングロサクソン文明への挑戦の最後を飾る試みであった、と考えています。
 先の大戦におけるドイツの敗北によって、欧州文明は力によるアングロサクソン文明への挑戦を最終的に断念するに至った、ということです(注13)。

 (注13)ただし、欧州以外の共産主義国やファシスト国等のアングロサクソンへの挑戦については、共産主義やファシズム等を欧州が生み出した反アングロサクソン政治思想ととらえれば、欧州文明のアングロサクソン文明への挑戦はまだ続いていることになる。

 しからば、ドイツ人の「悪夢」は欧州全体によって共有されるべき筋合いのものだ、というのが私の結論です。

(完)