太田述正コラム#9009(2017.4.2)
<下川耿史『エロティック日本史』を読む(その13)>(2017.7.17公開)
 「聖武天皇や・・・桓武天皇は・・・漢音での読経を広めることに熱心<だった。>・・・
 十二律<(注44)>という中国の音楽・・・は宇宙そのものを表しているが、漢音を習得することはこの音楽の核心をマスターすることであり、多くの僧が宇宙の原理を表す漢恩で読経すれば、天皇の王権はいっそう強固になるとされたのである。・・・
(注44)「<支那>や日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法に基づく、1オクターヴ内の12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%BE%8B
 「ピタゴラス音律と同じものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%88%86%E6%90%8D%E7%9B%8A%E6%B3%95
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9%E9%9F%B3%E5%BE%8B
 「平均律・・・は、1オクターヴなどの音程を均等な周波数比で分割した音律。一般には12平均律を指すことが多い」。12平均律の考え方は、古典ギリシャにも支那にも、インド亜大陸にも、そして江戸時代の日本にも生まれているが、12平均律を用いた作曲・演奏が行われ始めたのは、(有力説によれば)17世紀初頭の欧州であり、これは欧州文明の数少ない世界史的業績の一つ、というのが私見。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B (及び、コラム#454、2753)
 ところが平安時代後期の1117(永久5)年、「読経」をさらに官能的な音楽にした僧侶が現れた。それが良忍<(注45)>(りょうにん)である。
 (注45)1073~1132年。「天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。・・・1117年・・・阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し<た。>・・・<また、>分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させた。・・・1773年(安永2年)聖応大師の謚号を賜った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BF%8D
 「融通念仏の最大の特徴は、観想念仏から称名念仏の重要視に変えた事であ<る。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%8D%E9%80%9A%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E5%AE%97
 良忍は1072(延久4)年、尾張国・・・に生まれ、比叡山の僧侶となった。・・・
 彼の念仏は法会に参加した門徒たちが「南無阿弥陀仏」という文句に美しい抑揚・高低の曲譜をつけて繰り返し繰り返し詠唱するというもので、その声の響きや感動の中で、自分の念仏は他人の念仏となり、他人の念仏は自分の念仏となって行くという考えである。・・・
 ちなみにお経に節をつけて歌うことを声明<(注46)>といい、良忍によって創始されて以来、日本独自の節回しとして江戸時代の浄瑠璃<(注47)>から明治時代の浪曲、そして現代の歌謡曲へと受け継がれてきた。
 (注46)「754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに声明を用いた記録があり、奈良時代には声明が盛んにおこなわれていたと考えられる。平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ声明を伝えて、天台声明・真言声明の基となった。・・・
 天台声明は最澄が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。最澄以後は、円仁・安然が興隆させた。後に融通念仏の祖となる良忍が中興の祖として知られる。・・・浄土宗、浄土真宗の声明は、天台声明の系統である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E6%98%8E
 (注47)「三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲・劇場音楽である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83
⇒「声明<が>・・・良忍によって創始され」は、完全な間違い、と言ってよさそうです。また、浄瑠璃の起源が声明である旨の記述はウィキペディア上掲にはありません。(太田)
 これに対して和讃<(注48)>は仏や菩薩など仏教界の偉人をほめ称える歌で、インドには「梵讃」、中国には「漢讃」があるところから、良忍は日本における仏教の先達を称賛する歌<である「和讃」も>作った・・・。
 (注48)「仏・菩薩、祖師・先人の徳、経典・教義などに対して和語を用いてほめたたえる讃歌である。声明の曲種の一。サンスクリット語を用いてほめたたえる「梵讃」、漢語を用いてほめたえる「漢讃」に対する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%AE%83
 声明、和讃、そして念仏という三位一体の「合唱」の世界は、・・・歌うことによって宗教的なエクスタシーを追い求める営みとなった。」(160、162~)
⇒声明と和讃を同列に置いていますが、これも正しくなさそうですね。(太田)
(続く)