太田述正コラム#0461(2004.9.3)
<アーサー王の謎(その1)>

  (コラム#458の米国経済についての叙述の誤りを訂正しておきました。)

1 始めに

 イギリス人は実はアングロサクソンではなくブリトン人だったという最新の研究成果(コラム#379)に接した時、天地がひっくり返るような衝撃を受けると同時に、積年の疑問の一つが氷解しました。
 アーサー王(King Arthur)伝説が、アーサーがケルト人(ブリトン人)であり侵攻してきたサクソン人と戦った、とされているにもかかわらず、なにゆえこの伝説がイギリス人の間で今日に至るまでかくも人気を博してきたかが腑に落ちなかったのですが、イギリス人がアングロサクソン化しつつも潜在的にブリトン人意識を抱き続けてきたのだとすれば、「自分たち」の英雄アーサーが人気があるのは当然だ、ということになります。
 先日、たまたま映画の券を入手し、息子と一緒に米国映画「キング・アーサー」を見てきました。この映画は派手な戦闘画面が続くばかりの失敗作だと言っていいと思いますが、アーサー伝説に関する最新の学説にのっとり、厳密な考証が施された映画であり、改めて色々考えさせられました。
 そこでこの際、これまで展開してきたアングロサクソン論を、イギリス人ブリトン人説を踏まえて補正しておきましょう。

2 ペラギウスについて

 この映画では、アーサーをペラギウス派(Pelagianism)の信徒としています。
 ペラギウス(Pelagius。354???418?年)とは、ブリテンまたはアイルランド出身の、ローマ人的教養を身につけたキリスト教徒たるケルト人で、400年以前にローマにやってきます。
 彼は人間の自由意志を信じ、性善説を唱え(つまり原罪を否定し)、ローマ教会が教徒の救済権を独占する考え方に反対しました。また、ローマ教会の権勢・富・階統制は、禁欲的な生活と信徒間の平等を旨としたペラギウス派とは相容れないものがありました。
 結局ペラギウス派は異端とされます。しかし、ブリテン諸島とガリアでペラギウス派は引き続き強い影響力を保ち続けたため、ローマ教会は二人の司教(一人はゲルマヌス(Germanus of Augserre)であり、映画に登場する)をブリテンに派遣してこの異端の撲滅を図ります。にもかかわらず、ウェールズとアイルランドでペラギウス派はしぶとく生き残り、根絶されるのは6世紀前半になってからです。
 ところが、ペラギウス派の考え方はその後もブリトン人の間で密かに受け継がれていくのです。
 スイス/ドイツの神学者のカール・バルト(Karl Barth。1886??1968年)は、英国におけるキリスト教は度し難いまでにペラギウス的(incurably Pelagian)だと指摘しています。
 すなわち、「ケルト人僧の骨太の(rugged)個人主義、そして彼の、一人一人の人間が善悪を自由に選択できるとの信念。かつまた彼の、信仰は精神的であると同時に実際的でなければならないという主張は英国におけるキリスト教徒の顕著な特質であり続けている。英国人の想像力は自然に根ざすものであり、そのことは英国人が秀でているところの田園詩と風景画に接すればよくわかる。まこと、英国人の造園へのこだわりの起源はケルト性にあるのだ。ブリテン諸島への訪問者は、定期的に日曜日に教会に行く人の少なさに衝撃を受ける。しかし英国人にとっては、信仰の最大のあかしは、教会に行くとか行かないとかいった宗教的勤行(religious observance)にではなく、隣人達、そしてペット、家畜や植物に対する日常的なふるまいにこそあるのだ。」
(以上、http://www.themystica.com/mystica/articles/p/Pelagius.html及びhttp://www.newadvent.org/cathen/11604a.htm(どちらも9月1日アクセス)による。)
 私はキリスト教の宗教改革のもとはイギリスにあり、それは12??13世紀のグロセテストにさかのぼることができる、と以前に書いたことがあります(コラム#46)。どうやら、このグロセテストもブリトン人の時代からイギリス人一般が受け継いできた宗教観を書き記しただけだった、ということになりそうですね。

(続く)