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統合幕僚監部

864 名無し@安全保障 2021/07/19(月) 21:02:53 ID:KQDN5IDO
・・・小山田のいじめ発言が商業誌に載ってしまったのは、「90年代」という時代が非常に大きい。

60年代後半あたりから2000年代くらいまで、カウンターカルチャー、サブカルチャーとして「一般常識では明らかに悪いこととされていること」が本当に悪なのか? がずっと問い直され続けることとなった。

その「悪いこと」の中に、現状の閉塞感をひっくり返す何かがあるのではないか、という考えだ。・・・それらのほとんどは反体制的、反権力的なものであった。

それが80年代から90年代に入ったあたりから、「弱者への暴力」もサブカルチャーにおいて肯定する風潮になって来た。

理由はよくわからないが、普通に考えて、「強者への暴力」が反体制的な意味を帯びており、それがどうやら簡単には通用しないとわかって、おめおめと宗旨替えしたのであろう。・・・

90年代はサブカルチャー界隈では「人権」が問い直されていた。しかし「人権」が問い直されていたからと言って、社会的弱者を「人権がない人」として抑圧していいわけがない。この辺のことは、90年代は本当にひどかった。

・・・内ゲバの歴史を観てみてもわかる。内ゲバでどうなったんだ。内ゲバで革命が起こせるのか。いや別の言い方をすると「内ゲバ」とは、革命のための後退的な所業である。内ゲバは内部のトラブルを解消することだけに意味がある(と思われていた)からだ。

内ゲバが流行れば、そりゃ、そんな雰囲気を知っていれば「いじめ」も流行るだろう。小山田は学生運動していた世代ではないが、時代の雰囲気はそんな感じだったのだろうな。

しかし、小山田の外堀を埋めた連中(とくに担当ライター)は、いくら時代の影響を受けたとはいえ、頭が狂っていたとしか思えない。・・・
https://nittag.hatenablog.com/entry/2021/07/15/082244


小山田事件に於けるサブカルチャーの時代的背景とは、上掲のような事らしいです。

そういった時代的影響に加えて、特殊な学校という環境要因が、事件をより凄惨なものにしてしまった原因の様です。↓


・・・和光学園は昔から障碍者を受け入れ、健常者と同じ学級に編入し、分け隔てなく接する。・・・インクルーシブ教育、共同教育、「共に生きる」というスローガン・・・ところが、実態はどうだったのだろう。

僕の学年にも数人の障碍者がいた。その中には殴る蹴るの暴行を含むいじめの標的になった者もいる。また授業についていけなくなったり、介助が特定の生徒に任せっきりになっていた者もいる。

・・・あの小山田圭吾の、いじめを自白した記事にある通りなのだ。目に見えない障がいや、ちょっと変わり者とされる子供は図書室しか居場所がない。僕自身もそうだった。そして加害者は図書室にきて「狩り」を楽しむ。そういう光景は僕も見たのだ。・・・教師による指導は、僕が知る限り皆無だったと思う。

僕はその実態を見て、失望した。和光学園は共同教育だけでなく、平和や民主主義ということも強調する。一般的に「左翼的」な学校ともいわれている。実際に日本共産党の党学校に近い、という印象すら受ける。当時の園長の丸木正臣氏はしんぶん赤旗の常連で、日本共産党の候補者の応援コメントも常連であるし、高校には民青高校班がある。卒業生には日本共産党の専従や、しんぶん赤旗の編集になる人も多い。・・・

・・・また学級崩壊状態で、私服であり私物持ち込み制限もないことも相まって、授業は動物園状態であった。これが平和な状態であり、民主主義が行き渡っているといえるのだろうかと、少年期の僕は疑問に思った。・・・

僕は少年ながら、実は彼らの言う平和と民主主義の中に、いじめのターゲットになる者は含まれていないのだと悟った。みんなの人気者の、腕力が強くて声のでかいいわゆる「陽キャ」が好き勝手するのが民主主義なのだ。それは和光学園だけでない。共産党だけでもない。戦後日本の、全世界の「平和」「民主主義」という、正しいものとされている言葉や制度の正体なのではないかと疑いを抱くようになった。この疑問は今も生き続けている。・・・
https://note.com/dmadoy/n/nba5b1452dfbb

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