太田述正コラム#679(2005.4.3)
<パキスタン(その2)> 
 以上が、パキスタンを引き裂く三つの遠心力の第一、「混迷する国のかたち」です。
 遠心力の第二は、「宗教をめぐる争い」です。

3 宗教をめぐる争い

 (1)イスラム教原理主義対穏健派
 パキスタンでは、パスポートに宗教欄があり、そこにパスポート携行者の宗教がイスラム教・キリスト教・ユダヤ教等と記載されます。パキスタンの人々にとっての宗教的、更には言えば宗派的アイデンティティーがいかに重要であるかが分かります。
 そして、この宗教的・宗派的アイデンティティーは、宗教をめぐる争いを引き起こし、パキスタンの人々を引き裂く遠心力の一つとなっているのです。
 この関連で最初にとりあげるべきは、イスラム原理主義過激派(以下、本稿中では「過激派」という)とパキスタン人の大半を占めるイスラム穏健派(注4)との対立です。

  • (注4)パキスタンを含め、インド亜大陸のイスラム教徒の大半がいかにおおらかなイスラム教徒であるか、以前(コラム#288で)触れたことがある。
    私の見るところ、インド亜大陸、就中パキスタンのイスラム教は、19世紀末にインド亜大陸のパンジャブ地方で生まれた、イスラム教に由来する(という意味ではドルーズ派(ドルーズ教。コラム#660、662)やバハイ教と同じ)カディアニ(Qadiani。Ahmadiとも呼ばれる)派(教)の強い影響を受けている。カディアニ教は、アラーはイギリス人であるとし、親アングロサクソンであり、創始者をムハンマド以降の預言者と考え、ジハードを基本的に否定し、アルコール飲料に対する禁忌を持たない。ジンナーは外相にカディアニ教徒を任命したし、パキスタン人で唯一ノーベル賞を受賞した学者はカディアニ教徒だが、Muslim World Leagueが1974年にカディアニ教を異端と宣言したため、本部を置いていたパキスタンでもカディアニ教徒への迫害が始まり、本部がロンドンに避難して現在に至っている。(http://www.islamicsupremecouncil.com/unity.htmhttp://www.sindh.gov.pk/Articles/quaid_vision.htmhttp://www.irshad.org/exposed/fatwas/islamonline.php(いずれも4月2日アクセス)による。)

 ソ連がアフガニスタンに侵攻していた頃、パキスタン軍部は米国の暗黙の了解(endorsement)の下、アフガニスタン内の派過激派を支援し、ソ連軍に対するゲリラ戦を行わせました。この政策は、パキスタン自身に跳ね返り、国内で派過激派を育む結果になりました。ソ連がアフガニスタンから引き揚げてから、過激派(タリバン/アルカーイダ)政権がアフガニスタンに樹立され、やがてその政権が2001年に米国によって打倒されると、この政権の残党がパキスタンに逃げ込み、この残党の掃討とパキスタン内の過激派の根絶がパキスタン政府の大きな課題になりました。
 しかし、現在でもパキスタン内の過激派要員は5万人を数えると目されています。
 (以上、http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/GD02Df03.html(4月2日アクセス)による。)
 しかも、過激派やそのシンパは、貧困層の子弟を対象とするところの、サウディ等の慈善団体が設立・運営するマドラッサ(madrassah。イスラム学校)から次々に生み出されているというのに、パキスタンのムシャラフ政権は、反発を恐れ、マドラッサの廃止はもとより、そのカリキュラムの抜本的是正にさえ及び腰です(http://www.csmonitor.com/2004/0407/p09s01-cojh.html。2004年4月7日アクセス)。
 2003年12月にはパキスタンのムシャラフ大統領暗殺未遂事件が二件起こりましたが、これらは、穏健派にして「米国の手先」であるムシャラフを敵視しているところの過激派の所行であると考えられています(http://www.cbc.ca/story/world/national/2003/12/25/musharraf031225.html。4月2日アクセス)。

 (2)スンニ派対シーア派
 宗教をめぐる争いとして次にとりあげるべきは、イスラム教のスンニ派とシーア派の間の抗争です。
 スンニ派とシーア派は、それぞれパキスタンの総人口の70%、20%を占めています。
 パキスタンにおけるスンニ派とシーア派の暴力的抗争が始まったのは、1979年にイラン革命が起こり、イランにシーア派による宗政国家が生誕したことにパキスタン内のシーア派が刺激を受け、これにスンニ派が脅威を感じたことがきっかけであり、1980年代初頭ですが、それ以来、それぞれ宗派の宗教指導者の暗殺やモスクの爆破等で約4,000人が死亡しています。
 (以上、http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/3724082.stm(3月28日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/4368727.stm(4月2日アクセス)による。)
 この抗争のスンニ派側の「前衛」は過激派の諸グループ(http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/3170970.stm。3月28日アクセス)であり、スンニ派対シーア派の抗争は、上記イスラム原理主義と穏健派の対立と重なり合っています。また、イスラム原理主義を信奉する人々は、本シリーズの第一回目に論じた「国のかたち」をめぐる争いにおいて、当然パキスタンをイスラム法(シャリア)が適用されるイスラム国にしたいと願っているわけです。

(続く)