太田述正コラム#10315(2019.1.15)
<映画評論53:ラ・ラ・ランド(その2)>(2019.4.6公開)

3 本編

α:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89 (上掲)
β:https://en.wikipedia.org/wiki/La_La_Land_(film)
γ:https://en.wikipedia.org/wiki/Damien_Chazelle
Δ:https://en.wikipedia.org/wiki/Justin_Hurwitz
A:https://www.usatoday.com/story/life/movies/2017/01/11/la-la-land-golden-globes-backlash/96360032/
(1月9日アクセス(以下同じ))
B:https://www.wired.co.uk/article/la-la-land-trailer-review
C:https://www.thecut.com/2016/12/la-la-land-two-hours-of-ryan-gosling-explaining-jazz.html
D:http://www.mtv.com/news/2965622/la-la-lands-white-jazz-narrative/
E:https://observer.com/2016/12/good-intentioned-but-overrated-la-la-land-reeks-of-mothballs/
F:https://www.scmp.com/culture/film-tv/article/2065679/your-guide-la-la-land-backlash-eight-things-people-hate

 (1)マーケティング志向性
  ア 黙示的

 ミュージカル映画であるところの、本映画の脚本・監督のデミアン・チャゼル(Damien Chazelle。1985年~)(フランス系)も音楽担当のジャスティン・ハーウィッツ(Justin Hurwitz。1985年~)(ユダヤ系)も、ハーヴァード大卒であること(γ、Δ)・・ちなみに、両者は大学寮の同じ部屋仲間でした・・、と、それぞれ、セブ(Seb)とミア(Mia)という主人公達を演じたところの、ライアン・ゴズリング(Ryan Gosling。1980年~)とエマ・ストーン(Emma Stone。1988年~)、が、どちらも子役出身で高校中退であること
https://en.wikipedia.org/wiki/Ryan_Gosling
https://en.wikipedia.org/wiki/Emma_Stone
は、黙示的なマーケティング(Subliminal Marketing)的狙いがあった、と私は見ています。
 ハーヴァード卒のエリート・コンビがこの映画の制作に共同で携わった、ということ自体がウリになるし、エリートがノブレス・オブリージュ的にプロジェクトを率い、そのプロジェクトで能力ある非エリートを引き立て、かつ、使いこなす、ということもまたウリになる、と。(注1)

 (注1)もっとも、当初は、「マイルズ・テラーとエマ・ワトソンを主演に迎える方向で調整がなされ<たが、>・・・ワトソンは2017年の映画『美女と野獣』出演のため降板し、テラーは長期間に亘る交渉の結果降板した」(α)ところ、テラーはニューヨーク大卒(美術)だし、ワトソンはブラウン大(英文学)卒であり、高学歴だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/Emma_Watson

 (なお、チャゼルは視覚環境学科(Visual and Environmental Studies department)卒であり、ハーウィッツの方は学科が音楽学科(Department of Music)
https://www.andvision.net/genre/rockpops/660-harvard-university-department-of-music.html
であった可能性が大ですが、前にも記したことがあるように、こういった芸術系の学科群が存在することは、米国の総合大学の強みの一つですし、日本の大方の総合大学の弱点の一つです。)
 もう一つは、ミアの恋人/パートナーが、一、スペイン語と思しき言語を第一言語とするラテンアメリカ系(?)白人(恋人)、二、黒人由来の米国文化であるジャズのピアニストたる生粋の白人(セブ)(パートナー)、三、実業家と思しき生粋の白人(夫)、と成りあがっていくことです。
 これは、典型的女性差別社会であるところの米国においては、女性、とりわけ白人女性は、より米国の主流かつエリートの男性をゲットすることを目指して、恋人/パートナーを、ドライに利用しつつ、その利用価値がなくなったら取り換える、ということを繰り返していくのが珍しくないと思われるところ、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞選考に関与するところの米映画産業の女性関係者達、や、潜在的視聴者たる米国の女性達のホンネの心情に訴えることを黙示的に狙ったものである、と私は見ています。
 更に言えば、「ラ・ラ・ランド」(注2)というこの映画のタイトルが、ロサンゼルスのハリウッド関係者達の好意や、市当局の協力・・「冒頭のシーン<は>・・・、実際にロサンゼルス南部の・・・ICの一部を借り切って撮影された。2日間かけ、100名のダンサーが出演して撮影が行われた。」(α)・・を得易くするための黙示的な武器になっている、と言えるでしょう。

 (注2)「卒業後の2010年、<チャゼルとハーウィッツの>2人はロサンゼルスに転居して脚本を執筆し続けたが、舞台をボストンからロサンゼルスに移すなど若干の修正が加えられた。」(α)
 最初からタイトルとして「ラ・ラ・ランド(la-la land)」を想定していたのかどうかは定かではないが、la-la landの意味は、’a euphoric dreamlike mental state detached from the harsher realities of life’である
https://www.merriam-webster.com/dictionary/la-la%20land
ところ、これと、ロサンゼルスの略称LAをひっかけた形にしている。

 もとより、以上のようなことは、米国等で映画評論に携わっている人々にとってはミエミエの筈ですが、ポリティカル・コレクトネスの観点からでしょうが、押しなべて言及を避けています。
 そういう意味でも、以上私が縷々指摘したことは黙示的であるわけです。

(続く)