太田述正コラム#9652005.11.24

<私の移民受入論(その1)>

1 初めに

 移民問題を扱ったコラムに対し、熱心なご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。

 このあたりで、私がどうして日本への移民の受け入れを是としているか、ご説明しておきたいと思います。

 昔話等もまじえ、少し長くなりますが、ご容赦願います。

2 多様性の世界との出会い

 以前(コラム#388で)、

「私は1956年2月(小学一年)から195910月(小学5年)までの3年8ヶ月間をエジプトのカイロで過ごした。首都カイロにせよ、第二の都市のアレキサンドリアにせよ、それぞれの中心部は、当時の東京などの日本の大都市に比べてはるかに先進的かつ欧米化した世界だった。日本の商社のカイロ支店長であった父と母と三人で暮らしたカイロの外国人居住区はとりわけそうであり、我々は高層マンションに住み、車に乗り、スーパーマーケットで買い物をし、スポーツクラブで泳ぎ、時々海外旅行に行くという、当時の日本では考えられない暮らしぶりをしていた。(こういった点では、その後日本も追いついた。)周りには、エジプト原住民は少なかったが、かつてエジプトを支配したギリシャ人、トルコ人、イギリス人らのほか、迫害を逃れてエジプトに定着したユダヤ人やアルメニア人ら、色んな宗教の種々の民族が仲良く豊かな生活を送っていた。(この点では、まだ日本は「追いついて」いない。)」

と記したところです。

 このうち私が特に親しかった一人は、英国系の同じ小学校に通っていたギリシャ人の男の子でした。彼は、たまたま私のホームページ(の英語頁)を見つけたと言って、先日46年ぶりに思いがけなくも声を(メールで)かけてくれました。現在ロンドン大学付属病院で医師をしているとのこと。

 こんな話をしたのは、ほかでもありません。

 私が拙著やこの4年間続けてきたコラムで言っていることに、独特の個性をお感じになるとすれば、それはこの時代に、彼を初めとする様々なエスニシティを背負った子供達や大人達と出会った賜なのだ、と言いたいからです。

 なまじ、そんな世界を経験したため、小学校5年生で日本に帰ってきてから、大学2年くらいまで、私は、日本における多様性の欠如、就中ものの考え方の画一性・・そしてそれと裏腹の関係にあるところの自律的な個人群の不在・・になじめず、ずっと軽いノイローゼ状態が続いたような気がします。

 このようにカイロ時代に、(エジプトが英国の元保護国であり、かつ小学校が英国系であったことから、)私は初めてアングロサクソン的世界における多様性に出会ったわけですが、その後、二度にわたって、今度は米国と英国という歴としたアングロサクソン世界における多様性に出会い、日本における多様性の欠如は、現代日本が抱える最大の病理ではないか、という思いを深くして現在に至っているのです。

3 レジメ:リーダー不在の日本

 さて、このコラムの読者の一人である島田さんが、私のためにブログのスペースを提供されているだけでなく、私のコラムの索引までつくられていることはご存じだと思いますが、実はその索引(http://www.geocities.jp/ohtan2005/column/index/ootacolumnmenu.htm)の中に、私のホームページの時事コラム欄の一番最初の頁(http://www.ohtan.net/column/200111/20011115.html#1)は出てきません。

 この頁には、私が2001年の11月に、ある勉強会の講師として行った話のレジメが掲載されています。

 ここに、そのレジメの前半を再掲しました。

 レジメなので、読みにくいと思いますが、ざっと斜め読みをしていただけると幸いです。

 お急ぎの方は、1の(1)と(2)を読まれた後、結論(中間総括)部分である2の(5)まで飛ばされても結構です。

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1 リーダー不在の日本

(1)リーダー輩出の条件(アングロサクソン社会を手がかりに)

  ア リーダーは、多様な、自立した個人の中から生まれる。換言すれば、リーダーは、多様な、自立した個人をfollowersにして、初めてリーダーたりうる。
 (アングロサクソン以外に個人主義社会なし。しかし、個人主義は個人の自立の必要条件ではない。)

  イ リーダーは、教育、選別システムを通して育てられる。(英国のパブリックスクール。米国の大学・・学力だけで選別しない(多様性を確保。教養主義))

  ウ リーダーは、国事(なかんずく、安全保障。stakeshigh)に携わることで鍛え上げられる。

(2)現在の日本

  ア 自立的な個人たるfollowersがいない。(小泉・田中ブームを見よ)
  (ア)多元的価値が並存していない(=pluralismなし)
    権威、権力、富の同時獲得を目指す「立身出世主義」のみ

  (イ)regionalな多様性がない。

  (ウ)ethnicな多様性がない。(同じような国は韓国くらい)

  イ リーダーの教育、選別システムが機能していない。(東大法学部を見よ)

  ウ 国が自立していない。(=植民地人シンドロームの蔓延・・政治家外務省・厚生労働省・農水省の役人被規制・被保護産業の経営者を見よ)

2 日本がリーダー不在に至ったプロセス

(1)幕末・維新期にはリーダーが輩出した(その典型が福沢諭吉)のはなぜか

  ア 自立的な個人群が江戸時代に準備されていた。維新の結果、彼らが一挙に束縛を取り払われ、「解放」された。

  (ア)多元的価値の並存
 「・・「中古武家の代に至り・・至尊必ずしも至強ならず、至強必ずしも至尊ならず」・・その結果、「民心に感ずる所にて、至尊の考と至強の考とは自から別にして恰も胸中に二物を容れて其運動を許したるが如し。既に二物を容れて其運動を許すときは其間に又一片の道理を雑へざる可らず。故に、神政尊崇の考と武力圧制の考と、之に雑るに道理の考とを以てして、三   者各強弱ありと雖ども、一として其権力を専にするを得ず。之を専にするを得ざれば、其際に自から自由の気風を生ぜざる可らず」(「文明論の概略」(明八年)岩波文庫版PP38

  権威は公家に、権力は武士に、富は町人に帰属。(丸山真男)

  (イ)藩regionalismが存在

  (ウ)なし(但し、琉球とアイヌの存在あり)

  イ 幕藩体制下のエリートは武士(軍人)だった
   武士は藩校教育(中国古典と軍学)。ちなみに、町人は寺子屋教育(個人別教育)
     
  ウ 疑似国際環境下の藩生存競争の中で武士はもまれた
   藩の経営に失敗すれば、とりつぶしの恐れがあった

(2)明治維新の「負」の側面

  ア 価値の一元化・・総括
 「西洋諸国の人も官途に熱心するの情は日本に異ならずと雖ども、其官途なる者は社会中の一部分にして、官途外自から利福栄誉の大なるものありて、自ら人心を和すべし。・・王政維新三百の藩を廃してより、栄誉利福共に中央の一政府に帰し、政府外に志士の逍遙す可き地位を遺さずして其心緒多端なるを得ず、唯一方に官途の立身に煩悶して政治上の煩を為すのみなら   ず、政府の威福は商売工業の区域にまでも波及して、遂には天下の商工をして政府に近づくの念を生ぜしむるに至り、其煩益堪べからず」(時勢問答、全集八)」(丸山眞男「福沢諭吉の哲学」(岩波文庫20016月。原著は1942-1991年)PP100より孫引き)

  イ 政府

「・・政府の事は都て消極の妨害を専一として積極の興利に在らず」(安寧策、明二二、全集十二)」(丸山 前掲書PP121-122より孫引き)、「「政権を強大にして確乎不抜の基を立るは政府たるものの一大主義にして・・」(時事小言、全集五)」(前掲書PP123より)、「「日本政府は・・自家の権力は甚だ堅固ならずして却て人民に向て其私権を犯すもの少なからざるが如し」(安寧策、全集十二)」(丸山前掲書PP129より)

  ウ 政党

 「「政敵と人敵との区別甚だ分明ならず」(藩閥寡人政府論、全集八)・・当時の政党・・主義と主義との争い<なし>・・「政治家の政党にして国民の政党に非ざる・・」(政治家の愛嬌、明二四、全集十二)」(丸山前掲書PP131-132より)

  エ 実業界

 「「実業社会は、今日尚ほ未だ日本の外に国あるを知らずと云ふも過言に非ず」・・日本の実業は、「今尚ほ鎖国の中に在り」(実業論)」(丸山前掲書PP267より)

  オ 学界

 「西洋諸国の学問は学者の事業にて、其行はるるや官私の別なく唯学者の世界に在り我国の学問は所謂治者の学問にして恰も政府の一部分たるに過ぎず。」(福沢 前掲書PP228

(3)にもかかわらず、なお「戦間期」にリーダーが出たのはなぜか。(北一輝、高橋是清、石原莞爾、岸信介、宮崎正義)

ア 自立的な個人群がまだ存在
   (ア)価値の並存(軍と民)
   (イ)植民地・保護国在留邦人のregionalism
   (ウ)植民地・保護国の存在によるethnic pluralism

イ リーダー教育がそれなりに機能:旧制高校、陸士・海兵教育

ウ 危機的な内外環境

(参考)「米国のジャーナリストのアーチボルド・マクリーシュは、一九三六年の『フォーチュン』誌の日本特集号に次のような記事を書いている。

「日本の産業制度は、・・資本主義・・国家主義・・共産主義・・(といった)同時代のどんな国の制度とも似ていない」「日本はどの国家よりも統一された産業計画をもって(いる)」「日本の産業の頂点にあるのは、・・産業統制である」「日本(の)・・金融システム・・は、われわれのものとは(違い)・・産業資本と銀行は対等・・ではない」「日本(は、)・・国際競争力の優位(に向けて、)国が一丸となって努力する・・それは、どの国もまねができない」と。

そして、日本は、欧米諸国が大恐慌以降の経済停滞に悩む中で、最も早く高度成長軌道に乗っていた。」(太田述正「防衛庁再生宣言」日本評論社2001年 PP234-235

(4)にもかかわらず、日本のリーダーの大部分が、国際政治・軍事環境を読み間違ったのはなぜか
   ・民主主義の陥穽・・民主制アテネ、大革命期フランス、ドイツ帝国末期
   ・劣悪すぎた内外環境

(5) 戦後リーダーが払底したのはなぜか

ア 自立的な個人群の消滅(cf. ドイツ)
  (ア)価値の完全一元化・・軍の抹殺
  (イ)植民地・保護国からの引揚げと連邦制の不採用:吉田茂の責任?@
  (ウ)植民地・保護国の放棄とethnic鎖国主義の採用

  イ リーダー教育の放棄:旧制高校、陸士・海兵の廃止。中途半端な大学振興。

(大学院振興回避。学校群制度導入。):吉田茂の責任?A

ウ 国の自立性の放棄(吉田ドクトリン):吉田茂の責任?B

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4 移民受入の必要性

仮にこのレジメのような総括の仕方が正しいとすれば、ここから論理的に導き出されるのは、「幕末・明治期の日本から戦間期の日本に至るまでは見られた自律的な個人群、そしてリーダーを日本が再び持とうと思ったら、日本が多様性を回復することが不可欠であり、そのためには、吉田ドクトリンの克服と連邦制の採用のほか、移民の受け入れが強く望まれる」ということです。

 これを移民に焦点をあてて換言すれば、「移民の受け入れはコストを伴うけれど、かかるコストを伴うからこそ、そのコストを上回るベネフィット・・自律的な個人群の形成とリーダーの析出・・がもたらされる」ということです。

 

(続く)