太田述正コラム#1438(2006.10.8)
<韓国から新国連事務総長>

1 始めに

 韓国の潘基文(BAN KI-MOON。パン・ギムン)外交通商相の次期国連事務総長就任が確実視されています。
 彼の来し方をご紹介した上で、彼の事務総長としての行く末を占ってみましょう。

2 来し方

 潘は、1944年に生まれ、子どもの頃から常に成績が1番でした。
 彼は、並外れた英語力で、高校2年の時に赤十字主催の「外国人学生の米国訪問プログラム(VISTA)」で韓国からの学生4人のうちの1人に選ばれます。
 潘は、ワシントンで外国の学生たちと共にケネディ大統領に会い、将来外交官になろうと決意します
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5401856.stm。10月5日アクセス)。
 父が事業で失敗したため、苦学生としてソウル大学外交学科を卒業した潘は、1970年に国家公務員採用??種試験に2番で合格します。彼が成績で1番になれなかったのは、後にも先にもこの時だけです。
 外交部(外務省)に入った潘は、研修の成績が1位となり、駐米大使館に発令を受ける予定であったところ、本人は、韓国と国交樹立直前のインドのニューデリー総領事館での勤務を希望します。発展途上国ならば経済的に余裕ができ、家族を助けることができると考えたためです。
 潘の上司のニューデリー総領事(国交樹立後は駐インド大使)は、潘の能力を高く買い、後に韓国の首相になると、潘を先例を破って年次の上の者を飛び越す形で次々に昇進させて行きます。
 その潘は、唯一の挫折を外交部の次官の時に経験します。2001年2月、実務レベルのミスで、韓露首脳会談の合意文に、ブッシュ政権が破棄を主張していた弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約の「保存と強化」を骨子とした文章が含まれてしまったのです。 このために、米国に謝罪をさせられた金大中大統領(当時)は、外交部長官と次官の潘を更迭し、潘は意気消沈します。
 しかし、4ヶ月後に後任の外交部長官が国連総会議長を勤めることになり、この長官は、「失業」中であった潘を国連総会議長の秘書室長兼国連代表部大使としてニューヨークに赴任させます。これは外交部次官より格下のポストでしたが、この時、国連内で顔を売ったことが後で役立つことになるのです。
(以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/04/20061004000049.html
(10月5日アクセス)による。)

3 行く末

 潘の評価については、米国の主要メディアは、おおむね当たり障りのないことしか書いていません(例えば、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-un04oct04,0,4780639.story?coll=la-opinion-leftrail
。10月5日アクセス)。
 他方、英国の主要メディアはおしなべて辛口の評価を下しています。
 BBC(BBC上掲)は、潘は、調和を重んじる調整型の人間だが、低姿勢過ぎるしカリスマ性がなさすぎるとし、彼が外交部長官時代の韓国外交は、韓国を孤立させ、不手際が目立ったと指摘し、果たして彼がリーダーシップをとって米国と渡り合えるのか疑問視しています。また、中共が潘を推したのは、潘を手名付けられると思っているからだろうとも述べています。
 ガーディアン
http://www.guardian.co.uk/korea/article/0,,1889800,00.html
。10月7日アクセス)もほぼ同じ評価であり、潘のコミュニケーション能力や記者会見能力にも懸念を表明しています。
 そしてガーディアンは、英仏は、潘よりもマシな候補者が現れるのを待っていたが現れず、結局米中露が潘を積極的に推していたこともあり、しぶしぶ潘に賛成票を投じたことを暴露しています。ただし、米国が潘を推したのは、アナン現事務総長のように、対イラク戦で米国を批判したりするようなことは決してできないであろう潘の「弱さ」を買っただけのことだろう、とつけ加えています。
 なお、ガーディアンは、韓国は、潘を事務総長候補に決めてから、国連安保理の非常任理事国のタンザニアやペルーに経済援助を大幅に増やしている、と以前から報じてきたところです。

4 所感

 私は、日本の最隣国で、かつ日本の植民地であった韓国から国連事務総長が出たことを、素直に祝福したいと思います。
 安保理での最終予備投票結果は、潘に賛成が14票で、棄権が1票でしたが、この1票は日本であったと言われています(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/04/20061004000035.html
。10月5日アクセス)。
 潘が外交部長官となった2004年以降、日本は韓国に極めて不愉快な思いをさせられてきました・・例えば、韓国は日本が安保理常任理事国になることに反対した・・が、潘は単なる秀才官僚なのであって、ノ・ムヒョン大統領の指示に従って外交事務を執り行っただけのことですから、日本は、宗主国米国の姿勢を見習って、最初から積極的に潘を推すべきであったのにケチなことをしたものです。