太田述正コラム#1671(2007.2.24)
<キブツの終わり>(2007.3.26公開)

1 始めに

 イスラエルの最も古いキブツ(kibbutz)であるデガニア(Degania。1909年設立)が、先週、平等主義を捨てて、メンバーに業績に応じて給与を支払うことにしたことが話題になっています。
 ロサンゼルスタイムスは、自由・民主主義は地球をまだ覆い尽くしてはいないけれど、ついに資本主義は世界の隅々まで席巻したと報じました。
(以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-ash22feb22,0,7338862.story?coll=la-opinion-rightrail
(2月22日アクセス)による。)
 このニュースに全世界のメディアがイスラエルにやってきたのですが、アラブ世界を代表するメディアであるアルジャジーラ(Al Jazeera)とアルアラビーア(Al Arabiya)は来なかった(
http://www.haaretz.com/hasen/spages/829382.html
。2月23日アクセス。以下同じ)ということが気になって、キブツのことを少し調べてみることにしました。

2 キブツについて

 キブツ(KIBBUTZ)とはヘブライ語で「集団・集合」を意味する言葉です。
 ロシア、次いで東欧におけるユダヤ人迫害を逃れてパレスティナの地にやってきたユダヤ人達は、それまでの金融業や商業に従事していた・・従事せざるをえなかった・・生活を改め、肉体労働(農業。後には工業が加わる)中心の生活を始めようと考えました。
 しかし、当時のオスマントルコ領パレスティナは、土地は荒れてやせている所が多く、伝染病猖獗地でもあり、かつ無法地帯であって遊牧アラブ人の襲撃をしばしば受けたこと、入植には個人では負担することが困難な多額の資本が必要であったこと、入植地は全世界のユダヤ人の寄付金で購入したものであったこと、から、ロシアの思想(後述)の影響もあり、入植地の土地は個人個人が所有せず、共同生活を営むことになったものです。
 こうして始まったキブツは、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する(from each according to his ability, to each according to his needs)」、自給自足、私有財産の否定、子供の共同生活(注1)、業務のローテーション、世俗主義、といった社会主義的属性を持ちつつも、キブツ内では民主主義が貫徹していましたし、キブツのメンバー達は、イスラエル社会全体をキブツ化するつもりもありませんでした。彼等は、あくまで資本主義社会の中での社会主義的コミュニティーを追求したのです。なお、メンバーをユダヤ人に限ったということもキブツの重要な特徴であると言えるでしょう。

 (注1)血がつながっていなくても一緒に生活して育つと互いに結婚を忌避するようになる、というウェスターマーク効果(Westermarck effect)によって、キブツは少子化と結婚相手を求める若者の流出による人口減少に苦しむことになる。

 キブツのメンバーの数は、キブツの最盛期においても、イスラエルの総人口の6%を超えたことはなかったのですが、その存在感は極めて大きいものがありました。
 キブツのメンバー一人当たりの所得の伸びは、イスラエル国民の一人当たり所得の伸びを上回って現在に至っています。
 また、1948年に始まる累次の中東戦争においては、キブツのメンバーが常にイスラエルの戦力の中心として大活躍しました(注2)。イスラエルの軍需産業もキブツから始まったと言えます。

 (注2)1967年の中東戦争(6日戦争)の時には、ユダヤ人の戦死者約800人中、キブツのメンバーは約200人を占めた。

 イスラエル議会では、長期にわたり、キブツのメンバーが議席の10数%を占めてきましたし、初代首相のベングリオンや女性首相のゴルダ・メイヤーらもキブツの出身者です。
 しかし、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」のでは怠け者が得をしてしまいますし、自給自足など続けられるわけはありません。そして、業務のローテーションなど行っていては専門家が育ちませんし、子供の共同生活は自然の摂理に反します(注3)。

 (注3)現在では、子供は両親と寝起きをし、保育所や小学校に通う生活をしている。

 こういうわけで、キブツの社会主義的属性は次第に水で薄められてきており、ついに最も古く由緒あるキブツまで、冒頭紹介したように、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」考え方を放棄するに至ったわけです。
 それでも、「昔の名前で出ている」ところのキブツの数は現在なお270近くあって、そのメンバー総数は約130,000人でイスラエルの人口の約3%を占めており、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場 製品の約8%を生み出しています。

 英国の政治学者のI.ドイッチャーは、「キブツはロシアの農民社会主義というナロードニク(人民党)の思想を直接受け継いでいる。」と指摘しています(注4)。またユダヤ人の宗教哲学者M.ブーバーはキブツを「もう一つの社会主義」と呼んでいます。

 (注4)キブツはロシアや東欧出身のユダヤ人であるアシュケナージ(Ashkenazi)以外には広まらなかった。

 つまりキブツは、ロシアの土壌から生まれたところの、20世紀の社会主義たるマルクス・レーニン主義との双子の兄弟なのです。
 面白いことに、マルクス・レーニン主義もキブツも1世紀前後でどちらも事実上終焉を迎えたわけです。
 (以上、ハーレツ前掲、
http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Society_&_Culture/kibbutz.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Kibbutz、及び
http://www.geocities.com/genitolat/Utopia/007.html
による。)

3 感想

 どうやら、マルクス・レーニン主義であれ、キブツであれ、社会主義は兵営同志愛(war comradeship)的なもの抜きには存続できないようです。
 つまり、構成員が危機意識を失うと、社会主義は機能しなくなる、と思われるのです。
 キブツは、イスラエルがその存続をかけて戦っていた危機の時代におけるイスラエルの前衛であり、そのキブツが役割を終えつつあるということは、アラブ側が完全に敗北したということであり、そんなことをアラブ世界のメディアが報じたくないのは分からないでもありません。
 これが、アルジャジーラとアルアラビーアが姿を見せなかった理由であろう、と私は思うのです。