太田述正コラム#1804(2007.6.12)
<防衛庁再生宣言の記述をめぐって>
1 始めに
 拙著『防衛庁再生宣言』(日本評論社 2001年)の記述に誤りがあるのではないか、という指摘が軍事愛好家の皆さんから寄せられ、私との間で議論が続いている(掲示板参照)ので、この際、指摘された箇所等の記述の適切性を検証してみました。
 事柄の性格上、本篇も即時公開します。
2 日英軍事力等比較
 (1)ガゼルは対戦車機動攻撃力か
 私が拙著中の日英軍事力等比較表(35~37頁)で、英陸軍のガゼル(SA-341)というヘリコプターを「対戦車機動攻撃力」にカウントしたことが、誤りであるという指摘を受けました。
 すなわち、英陸軍のガゼルは、拙著が出版された2001年には武装すらしていなかった(http://en.wikipedia.org/wiki/Westland_Gazelle#Operational_history
(注1))上、機関銃はもちろん、ロケット・ポッドも対戦車攻撃力は小さいので、仮にガゼルにこれらの武器を装着したとしても、そのガゼルを対戦車機動攻撃力としてカウントすることはおかしい、というのです。
 (注1)「英国のガゼルはフォークランド戦争で用いられた時しか武装・・機関銃とロケット・ポッドを装着・・していなかった。しかし、結局これらは使われなかった。」とある。
 しかし、拙著が出版された2001年(より正確には、私が当時拠った The Military Balance 2000-2001, IISS (以下、ミリバラ)が執筆された1999-2000)当時、ミリバラは、ガゼルを、リンクス(Lynx)やコブラ(AH-1)とともに、攻撃ヘリ(Attack Hel)にカウントしており(PP80)、ミリバラが、このガゼルに関し、武装している、または武装して用いる運用構想を英陸軍が持っている、と判断していたことは明らかです。
 後は、私がこのガゼルを対戦車機動攻撃力としてカウントしたことの是非、ということになりますが、この対戦車機動攻撃力という言葉は私の造語であるだけに、議論は混迷を極めました。
 仮に「機動力」とは、無限軌道(キャタピラ)で走行する車両、または有人航空機なら備えているものとし、「戦車」とは、1960年代~70年代以降の主力戦車(MBT=Main Battle Tank)を指すものとしたとしても、果たしてロケット・ポッド、しかもガゼルに装着していたロケット・ポッド、から発射できるロケット弾で、戦車の種類によってはこれを撃破する能力のあるものがあったのかどうかを判断する、決定的な根拠が見当たらず、議論の決着はついていません。
 今にして思えば、「対戦車機動攻撃力」という言葉より、「対装甲機動攻撃力」といった言葉を用いた方が無難であったかのもしれません。
 ところでミリバラは、英陸軍の攻撃ヘリの合計を269機としており、他方で、日本の陸上自衛隊の攻撃ヘリはコブラだけであって、90機としています(PP200)。
 従って、拙著の本文(38頁)の「対戦車機動攻撃力で見ると、・・攻撃ヘリコプターは英国の三分の一しかない。」の少なくとも後段は、正しいということになります。
 (2)戦闘機の数
 また、拙著中の上記の表で、私が戦闘機(含む偵察機)について、航空自衛隊の戦闘機を300、英軍の戦闘機を757機としていたところ、英軍の戦闘機を過大に計上しているという指摘を受けました。
 ミリバラには、日本の航空自衛隊の戦闘機について、F-1(40機)、F-4E(70機)、F-15(170機)、RF-4E(偵察機。20機)と記されており(PP201)、合計すると300機になります。
 他方、英国の戦闘機については、英空軍:トルネード(303機)、ジャガー(79機)、ハリアー(86機)、ホーク(141機)、英海軍:シーハリアー(48機)、と記されており(PP81、82)、合計すると657機になります。
 どうやら、英国の方は、百の桁の数字が6であるべきところを、7と誤記してしまったとしか思えません。
 ですから、拙著の本文(40頁)の「日本の戦闘機の数は、英国の二.五分の一しかない。」は、「二分の一弱しかない。」に訂正されるべきである、ということになります。
 なお、ホークは老旧機であるから戦闘機の中にはカウントされるべきでなかった、という批判も出ていますが、ミリバラが、trg(練習機)、spt(支援機)といった略号を付している軍用機については、私は戦闘機としてはカウントしないこととし、従って、例えば、sptという略号が付されている英海軍のホーク(15機)については、上記657機中にカウントしていないことを申し添えます。
3 重大な誤り
 以上のほか、ミスプリ類はともかくとして、実は、拙著には一箇所、私が出版直後から気づいている重大な誤りがあるのですが、これまで誰一人指摘した読者がおられません。
 すなわち、195頁の「徳川幕府は、17世紀に入って、「鎖国」政策という、秀吉とは180度違った対外政策を採用したが、その内容はスペイン・ポルトガルを遠ざけ、反カトリシズムのイギリスとオランダ(=イギリスの欧州大陸における橋頭堡であり、当時はイギリスと同君連合の国だった)側に与したということであり、ここに第一次日本・アングロサクソン同盟(ただし、黙示の同盟)が成立する。」の中の括弧書きの部分は、その1世紀近く後の時代の話であり、完全な誤りです。
 従って、括弧書きの部分は削除させていただきます。
4 終わりに
 何せ、急に選挙に出ることなり、大慌てで拙著の原稿を書いたため、ミスプリや不備、誤りは、今回ご披露させていただいたもの以外にもあると思います。
 お気づきの方は、ぜひご連絡ください。