太田述正コラム#13920(2023.12.20)
<映画評論99:ストーリー・オブ・マイ・ワイフ>(2024.3.15公開)

1 始めに

 昨日鑑賞したばかりの、「「心と体と」で2017年・第67回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したハンガリーのイルディコー・エニェディが監督・脚本を手がけ、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥが主演を務めたラブストーリー」
https://eiga.com/movie/95166/
である、『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』(The Story of My Wife) (2021年)、
https://mywife.ayapro.ne.jp/
妙に考えさせられたので、記憶が薄れないうちに取り上げることにしました。
 この映画は、「ハンガリーの作家ミラン・フストの小説を原作に、出会ってすぐに結婚した男女の官能的で切ない愛の行方を描き出す。1920年、マルタ共和国のとあるカフェ。船長のヤコブは友人と、店に最初に入ってきた女性と結婚するという賭けをする。現れたのは<セドゥ演ずる>リジーという美しい女性で、ヤコブは初対面の彼女に結婚を申し込む。そして週末、ヤコブとリジーは2人きりで結婚の儀式を行う。幸せな時間を過ごすヤコブとリジーだったが、リジーの友人デダンが現れると、ヤコブは2人の仲を疑って嫉妬するようになり……。
 ヤコブを「マイ・フーリッシュ・ハート」のハイス・ナバー、デダンを「グッバイ・ゴダール!」のルイ・ガレルが演じる。2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。
 2021年製作/169分/PG12/ハンガリー<(洪)>・<独・仏・伊>合作<で、>原題<は>A felesegem tortenete・・・」
https://eiga.com/movie/95166/
といったものであるところ、もう少し詳しい「筋」が、下掲で説明されています。
https://eiga.com/movie/95166/critic/
 (この映画の邦語ウィキペディアはありませんし、英語ウィキペディアはあるけれど、筋については何も語っていないに等しいです。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Story_of_My_Wife_(film) )

2 本題

 作家でAV監督の二村ヒトシ氏は、「この映画の感触、何に近いかというと「夢」に近いんですよ。・・・
 人間は眠っているときにだけ夢を見るのではない。目が覚めているときも、いつでも夢は見ている。つまり無意識は働いている。夢を見るというのは、自分の無意識(心の中にある、コントロールできない部分)が語りかけてくる声を聞いて、体験したことの「自分にとっての意味付け」を味わうことなんだそうです。夢を見て無意識と対話ができるようになって過去の体験が整理されると、トラウマに圧倒されて人生が不具合を起こしてしまうことが少なくなってくる。その補助をするのが精神分析だと言うのです。
 じゃあ、どういうときに人間は「夢を見ていない」のか。つい行動によって他人をコントロールしようとしてしまうとき、なのだそうです。(藤山直樹・伊藤絵美『認知行動療法と精神分析が出会ったら こころの臨床 達人対談』より)
 それは、おそらく「自分は自分の意志で、すべて制御できている」と傲慢にも思ってしまったとき、あるいは衝動的に暴力をふるうとき、ということなのでしょう。・・・
 <この映画の>テーマは<、「心と体と」と>共通していて「夢」と「無意識」と「他者」<なの>で<す。>」
https://eiga.com/news/20220819/22/
と評していますが、精神分析が精神疾患に治療に役立つとは私は全く考えていないけれど、引用されている「心理療法家で精神科医」の言、と、二村氏が「この映画の感触<は>・・・「夢」に近い」としている点は、概ね同感です。

(続く)