>>500
>かと思いますが当時の西洋の基準に合わせただけで今から考えれば西洋が低レベルだっただけかと
当時の基準で人身売買なら奴隷であるのは紛れもないことになりませんか?
提供されたpdfにも”当然のことながら、「人身取引」のネットワークは日本独自のものではなかった”とあますし、様々な国でその当時の基準での人身売買が行われていた
江戸時代に関してもWikipediaの身請けとは矛盾しますが提供されたpdfによると
“他の労働の有償的提供を目的とした年季奉公とは次の4 点で内容を異にしていた。@家長権を人主から雇い主へ委譲、A転売の自由、B身請け・縁付けの権利を雇い主に委譲、C死亡後の処置も雇い主へ一任、である。法制史の研究者である中田薫は、これらの特徴が「奴婢所有権の作用にも比すべき、他人の人格に干渉し、其人格的法益を処分する人法的支配を、雇主の手に委譲して居る点に於て、此奉公契約が其本源たる人身売買の特質を充分に保存する」として、これを他の年季奉公と区別して「身売的年季奉公契約」と名付けている。建前上は年季を限った奉公契約だが、実質は自身の身体的権利と自由を大きく制限された身売りと変わらなかったのである”
と一般的な年季奉公とは"人身売買の特質を充分に保存する"別物とされている事
“また権力側は常に人身売買的要素を払拭するために、女性たちが生活のために自らの自由意志で売春という手段を選んだかのように施策してきたのは確認してきたとおりである。そうした意識は民衆にも共有されており、親や兄弟が前借金という僅かな収入を手に入れるために身売りすることは孝行として賞揚される社会でもあった”
とあるので上手く誤魔化された平民には人身売買の自覚がなかっただけで
権力者側には自覚があった事から後世の価値観ではなく当時から自覚の上での人身売買だったのではないかと思います
更に読み進めていて少し疑問に感じたことが
“日本人はな、うちらにも内地が恋しいか気持ちのあるけん、誰もが喜んで客に取ったが、ばってん、客のなかで一番いやらしかったのと違うか。うちらの扱いが乱暴で、思いやりというもんが、これっぱかしも無かったもんな”
この一文で過去コラムの一文と矛盾するのではないかと思って検索してみました
“慰安婦だってそれなりに軍人達の「尊敬」を受けていたんじゃないかと思うんだけどね”
http://blog.ohtan.net/archives/52140321.html
証言の内容と”現地人を客にすることは好まれず”というWikipediaとが矛盾しますが、おサキさんの状況から考えて一人や二人の日本人客を根拠にしているとは考えづらいので尊敬の「系譜」は明治か大正初期で死んでしまったのでは?
という疑問が出てきました
>>501
それは最近の話ではないですか?
最近の話で性先進国となると性に関する自由な意思決定を脅かされないかどうかが先進国かどうかになりませんか?
子のためデリヘルで働く母親の悲しすぎる事情
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200109-00031893-president-soci
によると“いやいやながらデリヘルでの勤務を開始”というように明らかに嫌がっているのは問題ではないですか?
その他にも自分自身が嫌である事に気づけない人達もいます
“汚いと言われていた自分に触れてくれる人がいると「気持ちが落ち着いた」。相手の言うことに応えなければいけないという思いが強く、「いやだ」と意思を示すことが頭に浮かばない。それが障害のせいだとわかったのは、風俗店を辞め発達障害の診断を受けた後だった”
https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/075000c?inb=ra
こういった人達が風俗で働かなくてもいいように福祉を提供するのが性先進国ではないでしょうか
福祉によって家庭環境で自己肯定感が得られなかったり抑うつ状態になったりもせず、障害者にも貧困にも支援があって仕方がなくもない
こういった状態で女性が風俗を選ぶ事はないと思います
>かと思いますが当時の西洋の基準に合わせただけで今から考えれば西洋が低レベルだっただけかと
当時の基準で人身売買なら奴隷であるのは紛れもないことになりませんか?
提供されたpdfにも”当然のことながら、「人身取引」のネットワークは日本独自のものではなかった”とあますし、様々な国でその当時の基準での人身売買が行われていた
江戸時代に関してもWikipediaの身請けとは矛盾しますが提供されたpdfによると
“他の労働の有償的提供を目的とした年季奉公とは次の4 点で内容を異にしていた。@家長権を人主から雇い主へ委譲、A転売の自由、B身請け・縁付けの権利を雇い主に委譲、C死亡後の処置も雇い主へ一任、である。法制史の研究者である中田薫は、これらの特徴が「奴婢所有権の作用にも比すべき、他人の人格に干渉し、其人格的法益を処分する人法的支配を、雇主の手に委譲して居る点に於て、此奉公契約が其本源たる人身売買の特質を充分に保存する」として、これを他の年季奉公と区別して「身売的年季奉公契約」と名付けている。建前上は年季を限った奉公契約だが、実質は自身の身体的権利と自由を大きく制限された身売りと変わらなかったのである”
と一般的な年季奉公とは"人身売買の特質を充分に保存する"別物とされている事
“また権力側は常に人身売買的要素を払拭するために、女性たちが生活のために自らの自由意志で売春という手段を選んだかのように施策してきたのは確認してきたとおりである。そうした意識は民衆にも共有されており、親や兄弟が前借金という僅かな収入を手に入れるために身売りすることは孝行として賞揚される社会でもあった”
とあるので上手く誤魔化された平民には人身売買の自覚がなかっただけで
権力者側には自覚があった事から後世の価値観ではなく当時から自覚の上での人身売買だったのではないかと思います
更に読み進めていて少し疑問に感じたことが
“日本人はな、うちらにも内地が恋しいか気持ちのあるけん、誰もが喜んで客に取ったが、ばってん、客のなかで一番いやらしかったのと違うか。うちらの扱いが乱暴で、思いやりというもんが、これっぱかしも無かったもんな”
この一文で過去コラムの一文と矛盾するのではないかと思って検索してみました
“慰安婦だってそれなりに軍人達の「尊敬」を受けていたんじゃないかと思うんだけどね”
http://blog.ohtan.net/archives/52140321.html
証言の内容と”現地人を客にすることは好まれず”というWikipediaとが矛盾しますが、おサキさんの状況から考えて一人や二人の日本人客を根拠にしているとは考えづらいので尊敬の「系譜」は明治か大正初期で死んでしまったのでは?
という疑問が出てきました
>>501
それは最近の話ではないですか?
最近の話で性先進国となると性に関する自由な意思決定を脅かされないかどうかが先進国かどうかになりませんか?
子のためデリヘルで働く母親の悲しすぎる事情
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200109-00031893-president-soci
によると“いやいやながらデリヘルでの勤務を開始”というように明らかに嫌がっているのは問題ではないですか?
その他にも自分自身が嫌である事に気づけない人達もいます
“汚いと言われていた自分に触れてくれる人がいると「気持ちが落ち着いた」。相手の言うことに応えなければいけないという思いが強く、「いやだ」と意思を示すことが頭に浮かばない。それが障害のせいだとわかったのは、風俗店を辞め発達障害の診断を受けた後だった”
https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/075000c?inb=ra
こういった人達が風俗で働かなくてもいいように福祉を提供するのが性先進国ではないでしょうか
福祉によって家庭環境で自己肯定感が得られなかったり抑うつ状態になったりもせず、障害者にも貧困にも支援があって仕方がなくもない
こういった状態で女性が風俗を選ぶ事はないと思います