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法と経済学
246 :
太田述正
:2023/05/19(金) 07:09:51 ID:Fcyg6G1/
[SFさん(たった一人の反乱)へのコメント]
コラム#2298、2596、2598、2698、2724、2815、2825、2827、2847、2863、2869、2879、3011、3019、3051、3077、3085、3087、3131、3193、のSFさんですか?
だとすると、2009年4月4日以来の14年ぶりのご投稿ということに・・。
さて、仮名普及説、人気ありますねえ。
誰か、日本文学者や国語学者で唱えている人がいるのかなあ。
とにかく、私の頭の中にある新説とは違うと言ってるんですから、申し訳ないが、その説、諦めてください。
まーたヒントの大盤振る舞いをしちゃいましょう。
皆さん、次のようなことも念頭に置いて考えて頂ければ・・。
当時はもちろんそうだけれど、江戸時代になるまで、日本には出版という概念も出版する技術もなく、何かを読むためには、借りるか、手で写して自分で写本を作るしかありませんでした。
紙も、少なくとも当時は大変高価でしたし、そもそも、貴族以外はほぼ文盲と言っても過言ではありませんでした。(以上、典拠省略)
ということは、当時は、(作者はもちろん貴族で、)読者は(天皇家を含む)貴族とその係累の中の奇特な者だけにほぼ限られたはずです。
当時の貴族って、何をしていた、或いは、何をすることを期待された、人々、でしたかねえ。
もとより、時代が下り、貴族が「落ちぶれ」、他方で社会全体の識字率が高まるにつれて、読者の範囲は少しずつ広がって行ったでしょうが、貴族以外で、一体どういう人が、これらの「公文書」群、を読んだのかについても、思いを巡らせてみてください。
最後に、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている」『竹取物語』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E
は、『古今和歌集』編纂勅命が下されたところの、同和歌集が奏上された905年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86
より数年前の時点、の更に前の時点、において紀貫之によって依命執筆された、と、私は見ています。
そう見ることによって、初めて、私の頭の中で、この5つの「公文書」群が、連歌的にですが、うまくつながるからです。
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