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太田述正 ★
2022/03/22(火) 06:46:37 ID:ohtanobumasa
防衛省OB太田述正の掲示板★3
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太田述正
2025/01/26(日) 07:36:44 ID:9Cv6OPhl
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名無し@安全保障
2025/01/26(日) 23:47:03 ID:qL2kkSqM
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名無し@安全保障
2025/01/26(日) 23:57:45 ID:qL2kkSqM
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管理人 ★
2025/02/04(火) 19:26:26 ID:kanrinin
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名無し@安全保障
2025/02/05(水) 00:49:31 ID:7crLI/oy
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太田述正
2025/02/05(水) 07:06:40 ID:fqPUFIUF
その限りにおいては、必ずしも異論を唱えるつもりはありませんが、ただ、不合格だと思われたのなら、(これは2013年から2016年にかけての話であるところ、)上皇が2018年に、この二人の歴史研究家のうちの一人である半藤一利に、悠仁親王への先の大戦教育を依頼したこと(コラム#14417)の説明がつきませんねえ。
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管理人 ★
2025/02/26(水) 19:56:38 ID:kanrinin
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太田述正
2025/02/27(木) 10:16:10 ID:qN3gb6Qf
マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』が種本なんですね。
和辻哲郎の『風土』より、相当マシなようで・・。
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太田述正
2025/03/09(日) 21:50:14 ID:8Q9X8uIM
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名無し@安全保障
2025/04/05(土) 21:23:10 ID:tmnZHS11
太田述正コラム#14863(2025.4.5)
<皆さんとディスカッション(続x6217)/映画評論300:英国式庭園殺人事件>
要するに、日本人は、基本的に、江南系漢人、つまりは、支那人。↓
「・・・私たち日本列島の視点で言えば、縄文人が2万〜3万年以上かけて育んできた文化に、農耕を中心にした渡来民が3000年前ごろ流入し、圧倒的に人口を増やしたことが今のDNA構成を生み出した──それを「外来DNAが9割」と表現しているわけです。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/00d8cd7d24d70b87ce297fef2a8afc2cdddb78d6 ↑思ったのですが、弥生人は支那から来たのに、その後の支那に弥生人が少なかった(居なかった?)のは、彼等は縄文人が支那大陸の環境に過剰適応した結果生まれた突然変異種的なもので、殷(商)滅亡後に大多数の支配層が日本に避難した事で、支那には弥生人集団を維持できる程の個体数が残らなかったのが理由ではないでしょうか。
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太田述正
2025/04/06(日) 10:08:05 ID:MEtHqfWu
楚、呉、越、といった江南人由来の諸国の人々の弥生性は若干は相対的に強かったでしょうが、彼らを含め、そして日本に稲作文化を伴って渡来してきた人々・・歴史上のいわゆる弥生人・・をも含め、江南人は、私の言う弥生的縄文人であった、というのが私の考えであるところ、戦国時代の支那を統一した秦は半ば、そして、その秦に取って代わった漢はほぼ、江南人王朝であった、つまり、私の言う弥生的縄文人が支配層である王朝であった、というのが私の仮説であるわけです。
その後、支那は、北方の騎馬遊牧民系の私の言う弥生人によって、何度も征服されることとなるも、その新王朝の支配層が、急速に、現地の旧来の支配層であったところの、弥生的縄文人、化してしまう、ということをその都度繰り返しつつ清末まで至ってしまった、と。
他方、日本の私の言う弥生的縄文人たる支配層は、支那が最初に騎馬遊牧民系の私の言う弥生人によって征服された時、すなわち、隋が支那を再統一した時、自分達のご先祖様筋のこの大悲劇を他山の石とし、自分達自身を縄文的弥生人へと変身させることで、私の言う弥生人に対する安全保障を確立しようと決意し、それに成功した、とも。
以上は、全て、これまで申し上げてきていることです。(コラム#群省略)
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名無し@安全保障
2025/04/17(木) 02:09:49 ID:wRuWBhQ5