太田述正コラム#1465(2006.10.24)
<ユダヤ人あれこれ>

 (深刻な話題が続いたので、このあたりで一服しましょう。)

1 ユダヤ人の優秀さ

 今年もユダヤ人からノーベル賞受賞者が出ました。
 米スタンフォード大学のロジャー・コーンバーグ教授のノーベル化学賞受賞です。
イスラエル政府の資料によれば、昨年までのユダヤ人のノーベル賞受賞者は、平和賞を除き、生理学・医学賞が48人、物理学賞が 44人、化学賞が27人、経済学賞が20人、文学賞が12人、で計151人にのぼります。しかもこの数字には、ユダヤ人と推定されていても、公式に確認されていない人物は含まれていません。
 何と、ノーベル賞受賞者のうち、約3分の1をユダヤ人が占めていることになります。
 (以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/22/20061022000021.html
(10月23日アクセス)による。)
 ユダヤ人の総人口は、現在1,400万人くらいでしかない(
http://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_population
。10月24日アクセス)ので、このような数字は驚異としか言いようがありません。
 特段、ユダヤ人の平均的知能が高い、というわけではなりません。
 平均知能指数(IQ)は、世界一を競っている韓国人が106、日本人が105であるのに対し、(イスラム教徒も含まれていますが)イスラエル人は94でしかない、というデータがあります(
http://en.wikipedia.org/wiki/IQ_and_the_Wealth_of_Nations
。10月24日アクセス。なお、コラム#782も参照のこと)。
 ところが、韓国人のノーベル賞受賞者はゼロですから、韓国人は平均的知能こそ高いが天才は少ないのに対し、ユダヤ人の平均的知能は大したことがないが天才は多い、ということのようですね。

2 ユダヤ人の祖国の喪失と復活

 (1)祖国の喪失
 66年にローマがエルサレムの神殿を破壊した時、ユダヤ人は反乱を起こしたのですが、あっと言う間に鎮圧されてしまいます。
 しかし、132年にユダヤ人は再び反乱を起こします。
 今度は、ローマは、ブリテン島の大半を征服した時の軍団より多くの軍団を投入してやっとのこと鎮圧に成功します。
 この結果、ユダヤ人の大部分は死亡するか亡命するに至ったのです。
 (以上、
http://atimes01.atimes.com/atimes/Middle_East/HB07Ak02.html
(2月7日アクセス)による。)

 (2)祖国の復活
 英国は、1917年のバルフォア宣言で、ユダヤ人にパレスティナにおいて祖国(homeland)を持つことを認めました。
 ただし、それには、「パレスティナにおいて存在する非ユダヤ人社会の非宗教的・宗教的権利を阻害することのない形で」という条件がつけられていました(コラム#480)。
 ところが、1920年代に、ユダヤ系ロシア人のジャボチンスキー(Ze’ev (Vladimir) Jabotinsky。1880??1940年)は、「土着の連中は、文明に浴している者も未開の者も、植民者に対しては常に頑固に抵抗してきた」ことからして、「パレスティナのアラブ人の自発的同意を得ようなどということはおよそ不可能だ」とし、軍事的手段でパレスティナに祖国を建設する運動を起こします。
 この運動の中から、1930年代に、パレスティナから英国を追い出し、アラブ人に対処するための民兵組織イルグン(Irgun)が生まれます。
 (以上、コラム#477、1360も参照のこと。)
 1946年7月22日、イルグンは、英軍司令部が置かれていたエルサレムのダビデ王ホテルを爆破し、28人の英国人、41人のアラブ人、そして17人のユダヤ人を殺害します。
 また、その翌年には、シオニスト達が処刑されたことへの報復として、イルグンは2人の英軍軍下士官を拘束し殺害します。
 この間、イルグンはアラブ人の一般住民にしばしば攻撃をしかけ、やがて戦争がパレスティナのアラブ人及び周辺のアラブ諸国との間に始まり、ユダヤ人はこの戦争に勝利してイスラエルが建国されるのです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1871928,00.html
(9月15日アクセス)による。