太田述正コラム#0175(2003.10.23)
<マザー・テレサ>

(コラム#173に二つの注を付け加えてホームページ(http:/www.ohtan.net)の時事コラム欄に再掲載してあります。ご参照ください。)

1 始めに

米国のメディアでは法王ヨハネ・パウロ二世(の就任25周年)に対して中立的な論調が多い、とコラム#172で述べたところですが、マザーテレサ(注1)(のbeatification=列福=福者位授与)に対しては、米国の著名なコラムニスト、クリストファー・ヒッチェンスが過激な批判を展開しています。

(注1)1910年に現在のマケドニア領内のスコピエでアルバニア人の両親のもとに生まれる。18歳の時にインドにわたり、1979年ノーベル平和賞を受賞。1997年死去。インドで国葬が執り行われた。(マザー(mother)とは本来女子修道院長という意味だが、称号と考えればよい。ちなみにシスター(sister)は女子修道士。(太田))(http://www.vatican.va/news_services/liturgy/saints/ns_lit_doc_20031019_madre-teresa_en.html。10月22日アクセス)

ヨハネ・パウロ二世がソ連の「占領」下にあったポーランド出身の法王として、ポーランド等の「解放」に尽力したことに対し、ソ連を降伏させ、解体に追い込んだレーガン大統領への英サッチャー首相等と並ぶ「協力者」として評価する人が米国内に多いことや、米国のカトリック勢力が英国に比べて強大(例えばケネディ大統領はカトリックでした)であることから、米国のメディアには法王やカトリックに対する遠慮があると思われるのですが、アングロサクソンたる米国人のヒッチェンスが抱いている反カトリック感情が、マザーテレサレベルのカトリック教徒批判に藉口して噴出したということなのでしょうか。(マザーテレサ批判は、彼女を性急に福者に列し、更には聖者に列しようとしている現法王に対する批判に直結します。)あるいはまた、チャリティー大国の市民としての自負から、マザーテレサばりの「チャリティー」のうさんくささにはどうしても一言もの申したくなったということなのでしょうか。

1988年に英国の国防省の大学校に留学していた私は、この大学校の一ヶ月にわたる秋の海外研修旅行に参加します。同期生総数約80名中我々10名はインドとパキスタンを訪問することになったのですが、この旅行の最終目的地はインドのカルカッタ(最近、名前がコルカッタ(Kolkatta)に変わったが、便宜上昔の呼称を使う)でした。
当時のカルカッタはすさまじいところでした。路上生活者が町中にあふれており、カルカッタ全体がスラムに見え、宿泊した五つ星の高級ホテルの部屋の中まで生ゴミの饐えたにおいがたちこめていました。
そのカルカッタで、マザーテレサの「ホスピス」を訪問し、マザーテレサご本人と懇談をする機会がありました。小柄な世界の有名人と握手ができてただただ感激したものです。
当時私は39歳でしたが、何とまあナイーブだったことでしょう。

2 マザーテレサ批判

それではヒッチェンスのマザーテレサ糾弾ぶりを、本人が執筆したコラム(http://slate.msn.com/id/2090083/(10月21日アクセス))を要約してご紹介しましょう。

第一にマザーテレサは、堕胎と避妊を批判するにとどまらず、堕胎と避妊は世界平和に対する最大の脅威だと主張した。
第二に彼女は、離婚を批判するにとどまらず、離婚と再婚の禁止を憲法に規定すべきだという過激な主張をした。アイルランドは、この主張に従って憲法改正を試みたが、1996年の国民投票の結果、僅差で実現に至らなかった。(ちなみに、アイルランドでは堕胎は憲法で禁止されている(太田)。)
第三に、以上の主張の論理的帰結として、彼女は世界の女性の解放、ひいては世界の人々の貧困からの解放を妨げた。そもそも、貧困に由来する苦しみは神からの恩寵だというのが彼女の持論であり、彼女は断じて貧者の友などではなく、貧困の友だったのだ。
第四に、以上の主張を貧者には一律に押しつける一方で、富者には例外を認めた。つまり彼女は富者の友だったのだ。例えば、ダイアナ妃の離婚を彼女は非難するどころか嘉したし、ハイチの暴虐な独裁者であるデュバリエから多額の寄付をもらうや、彼の統治を褒め称えたものだ。
第五に、彼女は自分に甘く他人に厳しかった。彼女は病に伏す路上生活者を、補修を碌にしない廃屋のような自分の「ホスピス」に連れてきては何の治療も施さずにその死をみとることだけに徹したものだが、自分自身が病気になるとすぐにカリフォルニアの病院に駆け込んだ。また、世界中からデュバリエからのような汚れたカネも含め、山のような寄付を集めつつ、一度もその使途を公開することなく、いつしか世界の123カ国に彼女の創設したMissionaries of Charity等の慈善団体の施設を610カ所(4000人近くの人々が働く。以上の数字等は前掲のバチカンのサイトによる)も開設(注2)し、慎み深さや謙譲さとはおよそ縁遠い彼女の本性を暴露した。

(注2)もっとも、Missionaries of Charityが、ハンセン氏病患者や孤児の面倒もみていること(http://edition.cnn.com/2003/WORLD/europe/10/17/vatican.teresa/index.html。10月17日アクセス)、及びMissionaries of Charityで働いている女性達の中にはカトリック信徒だけでなく、他のキリスト教信徒や他の宗教の信徒もいること(http://www.nytimes.com/2003/10/20/international/asia/20CALC.html。10月20日アクセス)は忘れてはなるまい。

先だって行われたこのマザーテレサの列福式(於バチカン)には、30万人の群衆のほか、(彼女の「出身」をめぐって争っている(太田))マケドニアとアルバニアのそれぞれの大統領、そしてフランスの首相が列席しました(http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,12272,1066691,00.html。10月20日アクセス)(注3)。

(注3)フランス大統領夫人もフランス首相夫妻と一緒にこの列福式に列席したが、彼らは40人余りのお供を引き連れて仏空軍機二機でローマに乗り込み、無料で泊まれるフランス政府施設ではなく高級ホテルに宿泊し、ホテル代だけで10万ユーロ(約1300万円)も散財した、しかもフランス人でもない人物の列福式に列席すること自体がフランスが堅持する政教分離の原則に反する、との批判を浴びたhttp://www.asahi.com/international/update/1023/003.html。10月23日アクセス)。

 人間を評価することのむつかしさを考えさせられますね。