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法と経済学

1 太田述正 ★ 2022/03/22(火) 06:46:37 ID:ohtanobumasa
防衛省OB太田述正の掲示板★3
https://www.ohtan.net/

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499 名無し@安全保障 2025/11/09(日) 23:55:51 ID:YQIqHmaS
続き
>イタリアの経済水準は、どうして長らく「これほど高かった」のか

政治的には、誰をも怒らせないことに最も関心を持っていたからでは?中世イタリアでは大規模な農民戦争はなく(あったらすみません)、フランスはジャックリーの乱、イギリスのワット=タイラーの乱
ドイツは農民戦争、ボヘミアのフス戦争等々、余計な諸紛争には積極的参加はせず、他国のように海外貿易(大西洋貿易が盛んになってなお)におけるリスキーな投資に見向きもせず(コロンブスやアメリゴ・ヴェスプッチ、ジョン・キャボット、ジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノがいるじゃんといわれそうですが、彼らは皆他国の支援か委託での航海)その資本のほとんどを農地に投資した。

・mezzadria
「メザドリア契約は、 中世に イタリアの領土 に現れた農業活動に関連する特定の形式の契約です 都市(contado)に依存します。」
https://fr-academic.com/dic.nsf/frwiki/1890781#Le_partage_des_b.C3.A9n.C3.A9fices_entre_le_mezzadro_et_le_propri.C3.A9taire

「13世紀初頭からイタリア半島では、コミューンが周辺の農村地帯を驚異的な勢いで征服し、コンタード(都市に属する領地)を形成しました。
この征服により、コミューンはそれぞれの権力を確立し、農村地域と政治的・商業的に緊密な関係を築くことができたのです。14世紀初頭には、
さまざまな手法によってこれらの結びつきはさらに強固になり、食糧供給を重視し、食糧商人たちが集まる都市が農村経済を完全に支配するようになった。
これらの農村では、いわゆるメザドリア契約が非常に早い時期に普及しました。この契約は、その名称が示す通り、契約当事者間で土地から得られる利益を半分ずつ分配することを定めたものでした」

トスカナ
「産業としては,近年まで農業が中心であった。とくに丘陵地では穀物と果樹の混合耕作が行われ,メッザドリーアmezzadria(折半小作制)が普及していた。地主は多く都市に居住し,小作地の中心にある別荘に季節的に滞在して収穫作業を監督するというのがルネサンス以来の古い伝統であった。このような市民的地主が政治と文化を指導する役割を果たしてきたことに,近代トスカナの特徴が認められる。」

「コジモ1世(在位1537-74)とその子フェルディナンド1世(在位1587-1609)はトスカナを領邦国家にまとめることに努力し,農業や商業の振興を行った。リボルノ港が整備され,17,18世紀には西地中海の重要な港の一つになるにいたった。歴代の大公はトスカナの学問的中心としてピサ大学を保護した。1610年にガリレオが招かれたのもその一例である。このような努力にもかかわらず,トスカナの経済と社会は全体として停滞した。フィレンツェの貴族層はもっぱら土地に投資した。メッザドリーアが農村を支配し,小作農は債務によって土地に縛りつけられるようになった。メディチ家の家運もしだいに衰え,ジャンガストーネの死(1737)によって断絶してしまった。」

https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8%E3%81%99%E3%81%8B%E3%81%AA-3160861

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